小説「僕が、警察官ですか? 3」

十七

 僕は愛妻弁当を食べ終わると、水筒のお茶を飲んだ。

 この後、どうなるのかは予想がついた。山田の弁護士が釈放要求書を持ってくる。それに反対する理由がなければ、山田は釈放される。無罪放免というわけではない。罪については保留という形が取られる。しかし、山田が釈放されるのは、時間の問題だった。ただし、これは特殊なケースだった。

 さて、問題はその次だった。僕は、今回の放火事件の犯人が中上祐二であることを知っている。それをどう捜査本部に伝えるかだった。理由もなく、伝えるわけにはいかなかった。何か、上手い方法を見付けるしかなかった。

 しかし、僕には一つだけ方法を思いついていた。

 

 午後一時になった。安全防犯対策課の面々も席に着いた。

 僕は声を大きくして、みんなに言った。

「これ以上、放火を続けさせるわけにはいかない。安全防犯対策課としては、黒金町で次にどこが狙われるか、各自検討してみてくれ。有力な候補が見つかったら、知らせてくれ」

 そう言ってから、滝岡順平を呼んだ。

「何ですか」と言って、僕のデスクに来た。

「頼みたいことがある」と言うと、彼は明らかに嫌な顔をした。どうせ、面倒な頼みだということが分かっているからだ。

「誰かが警視庁の資料サイトにアクセスしてきたら、偽サイトに誘導してもらいたい。そこで、偽サイトに入ってもらい、偽の情報をダウンロードさせて欲しい。そのとき、相手のパソコンの情報が分かるようにしてもらいたい」と言った。

「それって、警視庁の資料の偽サイトを作れって言っているのと同じですよね」と滝岡は言った。

「そういうことになるな」

「それ、サイバーテロ対策課にやらせたらどうなんですか」と滝岡は言った。滝岡はサイバーテロ対策課が作られた時の有力な候補者だった。と言うよりも筆頭の候補者だった。しかし、彼の協調性のない性格に問題があった。サイバーテロ対策課はチームで活動することがほとんどだ。一人だけでやりたがる滝岡には、向いていない部署だった。結局、滝岡は外された。滝岡がそのことを面白くない、と思っていないはずはなかった。

「あっちは、今回の声明文がどこから発信されているのか、突き止めるので必死だ。こんな話を持ちかけても受けてはもらえない」と僕は言った。

 そして「ここには、コンピューターのプロがいるじゃないか。作ってくれるよな」と続けた。

「そんなに簡単に作れるわけがないじゃないですか」

「中身はいらないんだ。見せかけでいい。できないか」

「できないとは、言ってないでしょう。簡単には作れないと言っているんです」と滝岡は言った。

「そうか、作れる訳か。どれくらい時間がいる」と訊いた。

「そうですね。少なくとも一ヶ月はいりますね」と滝岡は言った。

「そうか、分かった。じゃあ、三週間で作ってくれ」と僕は言った。

「課長、人の話、聞いてます。今、少なくとも一ヶ月はかかると言ったんですよ」と滝岡は言った。

「聞いているよ。一ヶ月はかかるんだろう。それは普通の人の話だろう。滝岡だったら、三週間で作れるよな」と僕は言った。

「課長には、常識ってものがないんですか。そりゃ、無茶ですよ」

「でも、できるんだろう」と僕は言った。

「やるだけはやってみますが、三週間では無理ですからね」

「まあ、やってみてくれ」と僕は言った。

「さっき、誰かが警視庁の資料サイトにアクセスしてきたら、偽サイトに誘導してもらいたいって言ってましたよね」

「ああ」

「ということは、不正に警視庁の資料サイトにアクセスしてきたときだけに、偽サイトに誘導するということでいいんですよね」

「そうだ。そうでないと、正当にアクセスしてきたときに、資料サイトが使えなくなってしまうからね」

「ということは、正当にアクセスしてきたのか不当にアクセスしてきたのか、判別しなければなりませんね」

「そうなるね。普通はどうするんだ」と僕は訊いた。

「IDで判断します」と滝岡は答えた。

「IDか。そうだな、それは人物名でも構わないのか」と訊いた。

「構いません」と滝岡は答えた。

「だったら、初代警視総監の名前ならどうだろう」と言うと「誰ですか」と滝岡が訊いた。

川路利良だ。普通の川に、路地の路、利良は、利口の利に優良可の良だ」と言った。

「IDは川路利良ですね。で、パスワードは」と訊いた。

「彼の西暦の生年月日でどうだろう。ちょっと携帯で検索してみる」と答えて、僕は川路利良を検索した。

「あった。一八三四年六月十七日だ」と言った。

「では、18340617でどうですか」と滝岡が言った。

「それでいい」

「わかりました。じゃあ、これで作ります」と言った。

「頼んだよ」と僕は言った。

 本当にこれが頼みの綱なのだ。

 中上は今は浮かれているだろう。声明文を発表したばかりだ。当分は、これで満足していることだろう。しかし、マスコミの騒ぎが一段落ついた頃、また何かをしでかそうと考えないわけでもないだろう。放火犯という者は、一度、その味をしめるとまたやりたくなるものだ。

 今回の放火事件の犯人が中上祐二と分かっている以上、二度目をやらせるわけにはいかなかった。

 その前に、中上に見せる偽の情報を考えなければならなかった。

 

 僕は時間が来たので、「お先に」と言って安全防犯対策課を出た。滝岡が恨めしそうな目で僕を見ていた。

 僕は中上のアパートの近くで、またズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「アパートの奴の部屋に、中上はいるか」とあやめに訊いた。

「います」と答えた。

「何をしているのか、今日何をしていたのか、見てきてくれないか」と言った。

「わかりました」と答えた。

 僕はアパート近くの通りで立ち止まっていた。誰も来なかった。来るようなら、少し動こうと思っていた。

 まもなく、ズボンのポケットのひょうたんが振動した。

「読み取りました」と言った。

「映像を送れ」と言った。

 目眩とともに映像が送られてきた。僕はすぐに慣れたので、歩き出した。

 中上はさっきまではテレビを見ていた。午後のニュース番組をチャンネルを変えながら見ていた。どこも、昨日出された声明文について取り上げていた。コメンテーターの辛辣な意見もあった。

 それを見ながら、中上は嘲笑していた。

「何もわかっちゃいない」と呟いていた。元来、小心者だから、こうしてテレビで取り上げてくれることだけでも嬉しかったのだ。

 次にパソコンを立ち上げて、ネットの評判を見ていた。

「人、二人も焼き殺しているんだぜ。捕まったら死刑だな」という書き込みがあった。

 中上は鼻で笑った。

「死刑になんかなるものか。その放火の時には、日本にいなかったんだからな」とパソコンに毒づいた。

「でも、警察は失態を犯したな」

「そうだな」

「犯人でもない者を勾留していたんだからな」

「被疑者となっていた人も大変だよな。名前も公表されてしまっているからな」

「これじゃあ、どこも雇ってくれないよな」

「ホント」

「真犯人には感謝しなくちゃな」

「そうそう。もう少しで本当の連続放火事件の犯人にされるところだったんだからな」

「警察も、こんな声明文を出されたんじゃあ、真犯人を見付けるしかないな」

「見付けられるのかな」

「どうだろう」

「犯人も、捜せないと思っているから、声明文を出したんだろう」

「そうだろうな。海外のサーバーを幾つも経由しているっていう話だぜ」

「それじゃあ、日本の警察では見付けられないな」

「そうだな」

 こんなやり取りが延々とパソコン上で繰り広げられていた。

 僕は、そんな映像を再生しながら、家に向かって歩いていた。