二十四
日曜日らしい日曜日を過ごした真理子は、月曜日に病院に寄った。午前八時を少し過ぎた頃だった。
秋月医師と湯川医師から話があるというのは、土曜日に聞いた留守電で知っていたので、二人が現れるのを待った。
ナースステーション前のソファに座っていると、ほどなく二人がやってきた。
真理子はいつも説明を受ける部屋に案内されて、ソファに座った。
「前にもお話したように早ければと言いましたが、二十五日、つまり明日ですが、顔及び歯の形成の手術を行うことになりました。時間は、午前十時に開始して、五、六時間かかります。よろしいですか」
「はい。結構です」
「では、こちらの書類にサインをお願いします」
そう言うと秋月は真理子の前に数種類の書類を出した。そして、それぞれの内容を、秋月と湯川が説明し、それぞれの書類のサインする箇所を指し示した。真理子は言われる通りにサインした。
「それで手術の付き添いなんですが、奥様にお願いできますか」と秋月が言った。
「ええ、わたしが付き添います」
「わかりました。ではよろしくお願いします」と秋月と湯川の二人が同時に言った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」と真理子は頭を下げた。
病院を出たのは午前十一時頃だった。
会社に着いたのは、午前十一時半頃だった。滝川に明日は休む旨を伝えた。
そして高木を社長室に呼んだ。
「そういうわけで、明日も手術の付き添いをしなければならないんです」
「社長代理……、いや、真理子さんも大変ですよね」
「仕方ないわ。これも妻の務めですもの。それで明日は頼みますね」
「承知しました」
高木が出ていくと、社長室の窓から向かいのビルを見た。中で仕事をしていた会社員が背伸びをするのを見た。
時計を見ると、お昼だった。
午後五時に会社を出ると、真理子は明日の手術に備えようとした。手術室の前で待っているのも、結構大変だったのだ。本屋に寄って文庫本を買おうとしたが、読んでも内容が頭に入ってくるような気がしなかったので、結局何も買わなかった。
朝、起きたのは午前八時半過ぎだった。会社に遅刻してしまうと、飛び起きたが、今日は富岡の顔の形成手術だったのを思い出した。
手術は午前十時からだと言っていたから、まだ十分に時間はあった。家から車で三十分もかからない所に病院はあった。
いつものように朝のシャワーを浴びると、軽く朝食をとり、控えめな化粧をした。薄いグレーのスカートスーツを着ると、車に乗った。
病院には、午前十時十分ほど前に着いた。総合案内で手術室の受付の場所を訊くと、B棟の方に向かった。四階の受付に行き、富岡の妻であることを告げると、4と書かれた手術室の前でお待ちください、と言われた。
手術室は1番から4番まで並んでいた。
4番の前のソファに座ると、手術中というランプはもう点灯していた。ショルダーバッグに入れてきたペットボトルの飲料水を飲んだ。
時折、中から看護師が出て来たが、この前のことがあるので、真理子は手術のことを訊くことはしなかった。
お昼になるとA棟の地下一階のコンビニに向かった。
サラダとサンドイッチを買って、広場のテーブルで食べた。
昼食をとった後で、手術室の前に戻った。
午後三時過ぎに手術中というランプが消えた。しばらくしてストレッチャーに乗った富岡が出てきた。その後ろに秋月と湯川がいた。
秋月は満面の笑顔で「手術は無事終わりました」と言った。湯川も頷いた。その顔には自信が満ち溢れていた。手術は成功したのだ。二人の様子から、それが伝わってきた。
「ありがとうございました」と二人に頭を下げると、真理子はストレッチャーの後を追った。エレベーター室の前で、看護師から「病室でお待ちください」と言われた。
真理子はA棟の六階に上がると、ナースステーションの前に行き、看護師に富岡修の妻であることを告げた。すると、前回のように「まだ看護師が作業をしていますので、もう少しお待ちください」と言われた。
富岡の病室で作業をしていた看護師が出てくるのを見たナースステーションの看護師が「もう入室されても結構です」と言った。
真理子は、マスクを取り出してナースステーションの看護師に見えるように口にかけると、入口のアルコール消毒液で消毒をしてから、中に入っていった。
富岡の顔は、真新しい包帯で包まれていた。しばらく、その富岡を見てから、真理子は病室から出た。
ナースステーションの看護師に声をかけてから、エレベーター室に向かった。
家には、午後五時前に戻った。
何も食べる気が起きなかった。どこかで手術が失敗してくれることを望んでいた自分がいたことに気付いた。
富岡はなんていう強運なんだろう、と真理子は思った。
土曜日に行った事故現場を思い出していた。夜中のことだ。近くの木に引っ掛かっていなければ、翌日の捜索になると言っていた警察官の言葉を思い出した。そうであれば、富岡は助かってはいなかっただろう。そして、二度に及ぶ難しい手術も無事に乗り切った。これを強運と呼ばなくて何と言うのだろう、と真理子は思った。
今日も付き添いながら、緊急事態になることを、心のどこかで望んでいた。しかし、それもなかった。あの二人の医師の満面の笑顔は、真理子の儚い希望を砕くものだった。
それだけに家に戻れば、疲労感だけが残った。
明日も会社に行かなければならないことが、苦痛にすら思えた。
しかし、先に進まなければならないことは、真理子自身がよくわかっていた。
自分自身を励ますように、服を脱ぐとシャワーを浴びるために浴室に向かった。
浴室から出ると、保険会社に郵送する保険金の払込先の書類を取り出して記入し、判を押した。それを封筒に入れて封をすると、明日、病院に行く時にポストに投函しようと思った。