小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十一

 一週間は何事もなく過ぎた。きくも保護者参観を無事に終えることができた。ききょうの授業は国語で、ききょうが指名されて家族という作文を読んだそうだ。警察官である父は具体的に何をしているのか分からないが、母はいつも気配りができていて、大変だなぁと思うと同時に、母のようになりたいと書いていたそうだ。きくはそれを話す時泣いていた。京一郎は、東京****ランドの絵が他の子の絵と一緒に後ろの壁に貼られていて、区内の展覧会で金賞をとっていたそうだ。そんなことは一度も言わなかったので、きくも京一郎の教室に入るまで知らなかったと言う。

 二週間目に入っての月曜日だった。防犯マップで警戒していた箇所に、午後九時に放火事件が起こった。幸い、警戒中の町会の人に見つかり、犯人はその場で現行犯逮捕された。現行犯だったから一般人でも逮捕できたのだ。

 黒金署に送られてきたのは、黒金高校一年生の坂本宗良だった。

 捜査一課二係が翌日取調を担当した。

 僕は犯人が中上でなかったことに、まずホッとした。

 僕は鞄にひょうたんを入れて署に行った。安全防犯対策課に入ると、鞄からひょうたんをズボンのポケットに入れて、緑川に「ちょっと出かけてくる」と言って、取調室のある五階に向かった。

 取調室の前には警官が椅子に座っていた。僕は反対側のトイレの個室に入った。そして、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「はーい」と言うあやめの声がした。

「今、奥の取調室で取調を受けている様子を見てきてくれ。取調を受けているのは、黒金高校一年生の坂本宗良だ。若いから分かると思う」と言った。

 あやめは「わかりました」と言った。

 あやめが戻ってくるまで、狭いトイレの個室にいるのは苦痛だった。しかし、仕方がなかった。過去にあやめがとってきた中上の映像を再生して時間を潰した。

 お昼になって、あやめが戻ってきた。

 僕はすぐにトイレから出て、安全防犯対策課に行った。デスクに座ると、時間を止めて、「映像を送れ」と言った。目眩とともに映像が送られてきた。僕は時間を動かした。

 

 愛妻弁当と水筒を持つと、屋上のベンチに向かった。

 そして、弁当を食べながら、映像を再生していた。

 坂本は取調官の人定質問と放火の方法については、ハキハキと答えていた。しかし、放火の動機について質問されると途端に黙った。

「これまでの放火もお前がやったのか」と言う質問にも、首を左右に振るばかりだった。

「放火すると、胸がすぅーとするのか」と言う質問にも、首を激しく左右に振った。

「だったら何で放火なんかしたんだ」と言っても、坂本は答えなかった。

 そんなやり取りをしているうちに、坂本は泣き出した。

「おいおい、泣いても罪は消えないぞ」と言うと、坂本は小さな声で「これはいじめなんです」と言った。

「何だって」と取調官は言った。

「だから、これはいじめなんです」と坂本はもう一度言った。

「どういうことなんだ」

「ゲーム機を持ってこさせられて、それを取り上げられたんです。そして、返して欲しければ、あそこのゴミ捨て場のゴミに火をつけてこいって言われたんです」

「何だって」

「本当です。それで誰かが百円ライターを渡して、これで火をつけてくるんだ、と言ったんです」

「…………」

「僕は嫌だと言ったんです。だったら、ゲーム機を壊すからな、と言われて、道路に置かれて、今にも踏みつけられそうになったんです。高いゲーム機なんです。やっと、小遣いを貯めて買ったんです。壊されたくなかったんです」

 ここで、坂本はまた泣き始めた。

 取調官が「それで、どうしたんだ」と、続きを促した。

「仕方なく、僕はゴミ置き場に行きました。でも、火をつける勇気はありませんでした。それで、止めてもらえるように振り返ったんです。すると、ゲーム機を足で踏み付ける真似をされたんです。僕は仕方なく、ゴミ袋を手にしました。そして、百円ライターで火をつけたんです。これでいいか、と振り返ると、もう仲間はいなくなっていました。そして、巡回警戒していた町会の人が、ゴミ袋の火を足で消して、僕はその人たちに取り押さえられました」と言った。

 取調官がゲーム機を机に置いて、「これがお前のゲーム機か」と訊いた。

 坂本は、踏みつけられて壊れているゲーム機を手にして泣いた。

 取調官は「いじめにしろ、罪は罪なんだぞ。わかっているのか」と言った。

 すると、坂本はもっと泣いた。

 取調官は係官に向かって、首を左右に振った。係官も頷いた。坂本が連続放火事件の犯人ではないという合図だった。

 そこで、僕は映像を止めた。

 嫌な気分だった。

 午後には捜査会議が開かれる。そして、今の取調の結果が報告される。二係の他の者は連続放火事件の犯人が捕まったと思って期待をしていただけに、この報告を聞いてがっかりするだろう。

 それよりも、僕はいじめの方が気になった。また、黒金高校には番長が復活したんだなと思った(「僕が、剣道ですか? 3」参照)。結局は、何も変わらなかったわけだ。

 そして、今回の放火事件を中上が知ったら、どう思うかが気になった。

 

  昼食から戻ると、時間を止めてズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「何ですか」と言うあやめの声が聞こえた。

「今、中上が家にいるかどうか分かるか」と訊いた。

「遠くて駄目です」と言った。

「やっぱりアパートの近くに行かないと駄目か」と呟くと、あやめに「分かった」と伝えた。

 そして、時間を動かした。

 午後一時になった。メンバーが戻ってきた。

 僕はデスクから大きな声で言った。

「昨日の放火の現行犯逮捕は、この前、防犯マップを配った成果だ。我が部署もそれなりに役立っているということだ」と言った。

 それから、緑川に「ちょっと出かけてくる」と言って、デスクを立った。

 署を出ると、中上のアパートに向かった。近付いたら、あやめに様子を探らせようと思った。コンビニを通り過ぎようとしたら、中から中上が出て来て、危うく鉢合わせになりそうになった。僕はそのままコンビニに入り、中上が遠ざかるのを待った。中上は朝刊を買っていったのだろう。まだ、黒金高校の生徒がいじめによって放火したことは、報じられていないはずだ。また、昼のニュース番組でも放火のことしか伝えられていないだろう。捜査会議後の今夜の記者会見で、犯人は高校生だったことは報じられるかも知れないが、詳細は伏されるのに違いなかった。

 中上にとっては、別の放火犯が出て来たということしか、現在は知りようがなかった。それによって、中上がどう反応するのかが、僕は知りたかったのだ。

 中上が見えなくなると、コンビニを出て、中上のアパートの近くまで来た。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「今、中上はアパートにいるか」とあやめに訊いた。

「います」と答えた。

「じゃあ、何をしているか、見てきてくれ」と言った。

「わかりました」

 あやめがいなくなると所在がなかった。携帯を取り出して、見ているフリをした。

 あやめが戻ってくるまで、遠くまで行くわけにはいかなかったから、時間が経つのが長かった。途中でもいいから、戻ってきてくれ、と思ったほどだった。

 小一時間ほどして、あやめは戻ってきた。

「映像を送りますね」と言ったので、「頼む」と応えた。

 目眩とともに映像が送られてきた。長くはなかった。

 僕は、映像を再生しようとした。その時、「こんな所で何をしているんですか」と巡査に職質された。

 僕は「敬礼はしないように」と言いながら、警察手帳を見せた。

「これは失敬しました。近所の人から通報があったものですから」と巡査が言った。

「そうですか。もう、用は済みましたから、署に戻ります」と言った。

「はい」と言って、巡査は無意識に敬礼をしようとしたので、その手を押さえた。

「犯人(ホシ)に勘づかれたくないんですよ」と僕は言った。

「失礼しました。お疲れ様です」と巡査は言った。

 僕は彼から離れた。制服を着ている者と話をしているところを中上に見られる訳にはいかなかった。