小説「僕が、警察官ですか? 3」

十九

 家に着き、出迎えてくれたきくに鞄を渡すと、「今日、山田さんが釈放されましたね」と言った。

「テレビを見ていたのか」

「ええ。それに新しい声明文も出されましたね」

「そうだな」

「警察の方は大変じゃありませんか」

「大変だと思うよ」

「まるで他人事のようですね」

「僕の部署は関係していないからね」

「そうですか」

「そうでなければ、こんなに早くは帰って来れないよ」と僕は言った。今日は西新宿署での剣道の稽古があったから、いつもよりは二時間ほど帰るのが遅かったが。

「お風呂にしますよね」

「ああ」

「じゃあ、用意をしておきます」ときくは言った。

 僕は新しいトランクスとバスタオルにバスローブを持って、風呂に向かった。

 浴槽に浸かりながら、新しい声明文について考えた。

 山田が釈放されて、ほどなくして出されたものと思われる。中上はすっかり、このゲームにのめり込んでいる。今は興奮している最中だろう。だが、やがて、それも冷めてくる。その時が危険だった。僕は、滝岡が偽サイトを作るまで、中上に何もしないでくれと願わずにはいられなかった。

 

 火曜日は、あやめの入ったひょうたんを持って出かけた。朝の捜査会議の様子が気になったからだ。昨日、山田を釈放して、犯人からの声明文が届いている。捜査本部はそれをどう受け取っているのだろう。

 いつも通りに安全防犯対策課に行くと、ひょうたんを鞄からズボンのポケットに移して、緑川に「ちょっと出てくる」と言って、四階に向かった。

 捜査会議はその下で開かれているはずだったからだ。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「捜査会議の様子を見てきてくれ」と言った。

「はーい」と言うあやめの声がした。

 僕は待合室の隅の席に座って、携帯を見ているフリをした。もう、係の者も僕に声をかけては来なかった。

 会議は一時間ほどで終わったようだ。あやめが帰ってきて、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「映像を送れ」と言った。

 目眩と一緒に映像が送られてきた。

 僕は待合室の席を立つと、屋上のベンチに向かった。

 隅のベンチに座ると、映像を再生した。

 本部席には、署長と管理官と、捜査一課長、サイバーテロ対策課の課長が座っていた。捜査一課二係と三係の係長は本部席ではなく、自分の係の席に座っていた。

 捜査一課長がマイクを持って立つと、「諸君も承知のように、昨日、山田宏を釈放した。しかし、山田の嫌疑が完全に晴れたわけではない。だが、これ以上、勾留しておくことができなくなった。引き続き、山田の件は検討するとして、問題は新たに発表された声明文だ。完全に警察を挑発している。こんな輩をいつまでも野放しにしておくことはできない。そこで、今日はサイバーテロ対策課にも会議に加わってもらった。課長から現状を説明してもらう」と言って座った。

 サイバーテロ対策課の課長が立って、マイクを握った。

サイバーテロ対策課の課長、谷崎です。この犯人はコンピュータに詳しく、海外のサーバーを幾つも経由して、声明文を送ってきています。今、その経路を辿っている最中ですが、まだ犯人には行き着いていません」と言って座った。

 捜査一課長はマイクを持って立つと「サイバーテロ対策課には、一刻も早く犯人のコンピュータを特定してもらいたい。それでは、意見のある者は挙手をして発言するように」と言って座った。

 四人が挙手をして、それぞれ意見を言った。どれも犯人像についてのものであり、直接、逮捕に関係するものではなかった。

 最後に二係の岡山が手を挙げた。

「わたしは、まだ山田が白だとは思ってはいません。そこで、自由になった山田をつけてみたいのですが、構いませんか」と訊いた。

 捜査一課長は「山田を尾行するなら、わからないようにやれよ。マスコミがうるさいからな」と言った。

「承知しました」と岡山は言った。

 捜査一課長は「他に意見はないか。では、これで散会する」と言った。

 映像は終わった。僕はベンチから立ち上がると、安全防犯対策課に向かった。

 安全防犯対策課に入ると、僕はデスクに座って、みんなに言った。

「明日、午前中に会議をする。議題は次に放火されそうな場所についての検討だ。各自の意見を聞くので、そのつもりでいて欲しい」

 安全防犯対策課としても、形式的にでも何かやっている必要があった。それにこれ以上、中上に犯行を重ねさせるわけにはいかなかった。

 

 お昼になったので、愛妻弁当と水筒を持って、屋上のベンチに行った。

 隅のベンチに座って、弁当の蓋を開けた。炒り卵と挽肉の二色弁当だった。挽肉でハートマークが作られていた。それを見ているうちに、ふと、午後は中上の所に行ってみようかという気になった。昨日、声明文を出している。午後のニュースショーは山田の釈放とこの声明文を取り上げるのに決まっていた。それをどのように中上が見ているのか、気になったのだ。

 早めに弁当を食べ終えると、安全防犯対策課に戻った。緑川はいなかった。

 鈴木浩一と並木京子がいたので、「ちょっと出かけてくる」と言って、ズボンのポケットにひょうたんが入っていることを確認して、安全防犯対策課を出た。

 

 中上のアパートの近くに来ると、ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「今、アパートに中上はいるか」と訊いた。

 あやめは「霊気は感じます」と言った。

「だったら、中上の様子を映像に取ってきてくれ」と言った。

 あやめは「はーい」と言った。

 僕は通路の途中にいたので、じっと立っているわけにもいかずに、その通路を何度も往復した。やはり、不審に思った近所の老人が家から出て来て、「何か用かね」と訊いた。

 僕は警察手帳を見せて、「今、同僚を待っているところです」と言った。

「そうかね。ご苦労様」とその老人は言って、家に入って行った。そこにはもういられなくなったので、別の所に移動した。

 あまり遠くに移動するわけにはいかなかった。あやめが戻ってくる時に困るに違いなかったからだ。

 すると、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「どうした。映像は取れたのか」と訊いた。

「それより、中上が出かけます」と言った。

「何だって」

「それで急いで戻ってきたんです」とあやめは言った。

 僕の立っている所では、中上と出くわさないとも限らなかった。違う道を探した。

 少し行った所に、曲がり角があったので、そこを曲がった。そして、少し歩いて行って、中上が来るのを待った。

 中上は僕に気付かず、通りに向かった。僕は間隔を置いて、中上をつけた。人を尾行するのは、初めてだった。中上がコンビニに入ったので、あやめに見てくるように言った。コンビニは狭いから、僕が入って行けば、見つかるような気がしたのだ。

 ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「中上がコンビニから出て来ます」と言った。僕は中上が通りそうもない通りに入り込んだ。そして、「中上はコンビニで何をしていた」とあやめに言うと、「映像を送ります」と言った。

 クラクラする感じとともに映像が送られてきた。さっき、自宅にいた時の映像も一緒に送られてきた。

 僕はコンビニの方の映像を再生した。

 中上は今日の朝刊を片っ端から買っていた。どの朝刊の見出しも山田の釈放と犯人の声明文がトップ記事だった。そして、パン二つとペットボトルのコーヒーを買って、コンビニを出た。

 映像を見終わった時には、中上は自宅に戻る最中だった。僕は中上が自宅に戻るまで動かなかった。