十
一週間が過ぎるのは、長かった。その間に、富樫と沙由理が見舞いに来た。
富樫は相変わらずだった。
「この不死身野郎が」と言って、いきなりヘッドロックをしてきた。
「一応、入院中なんだけれどな」と僕が言うまで止めなかった。富樫のヘッドロックも本気ではなかった。
沙由理は母がいたからしおらしくしていたが、いなかったら何をするか分かったもんじゃなかった。
「寂しかったわよ」と言った。
どういう意味なんだよ、と言いたくなったが堪えた。
退院して、家に戻ると、まずひょうたんを捜した。そして、夜になるのを待った。
夜になって、時を止めて、ひょうたんの栓を抜いた。
果たして、あやめが現れた。
「窮屈でしたわ」と言った。
そして、抱きつこうとした。
「周りを見て」と僕は言った。僕の部屋には、僕のベッドにきくが、ベビーベッドにききょうが、ベビー籠に京一郎が眠っていた。
僕は誰もいないリビングにあやめを連れて行き、ソファの上であやめと交わった。久しぶりに女と交わった感じがして、僕は満足した。
あやめも大人しくひょうたんの中に入っていった。
僕は時を動かし、自分の部屋に戻った。
きくやききょうと京一郎を見ていると、これからどうしようと思った。
三人とも戸籍がなかった。作らなければならないが、江戸時代のきくにどうやって戸籍を作るんだ、その方法が分からなかった。きくに戸籍ができれば、ききょうや京一郎はなんとかなると思った。
ネットで調べたが、当然のことだが、きくのようなケースで戸籍が作られたケースはなかった。僕は自分が成人するまで、待つことにした。
そうしたら、どんな手を使っても、きくに戸籍を作ろうと思った。その時は、きっときくと結婚しなければならないだろう。絵理の顔が浮かんだが、今となっては夢の人だったんだと思うしかなかった。
それまでは、戸籍がないまま、何とかやり過ごしていかなければならなかった。とにかく、自分が二十歳(成人年齢が二十歳から十八歳に引き下げられる前の話である)になるまでは、どうにもできないと思った。二十歳になったら、やれることはすべてやる。その頃には、ききょうも小学校に上がる歳になる。手続きはなんとかするしかなかった。というより、なんとかできると思う他はなかった。
リビングに降りていった。父と母と話さなければならなかったからだ。
だが、一番やっかいだったのが、父と母だった。父も母も現状の事態をすぐに理解するのは難しかった。
母は、理解するのではなく、現実と向き合った。とにかく、今、きくとききょうと京一郎がいる。この現実を認めることはした。否定しようのない、この現実を受け入れるしかなかったからだ。
しかし、父はどうしてこうなったかを説明しろ、と言う。当然のことだった。僕は説明した。だが、父の理解の範囲を超えていた。
「お前はたった三日間、意識を失っていただけなんだぞ。その間に、江戸時代に行き、一年ほど過ごしてきたと言うのか。それをどう信じていいのだ」と父は言った。
もっともな意見だった。僕も他人がそう言ったら、頭がおかしいんじゃないか、と思うに決まっていた。
「信じられないのは、無理はないさ。誰だって信じられる事柄じゃない」と僕は言った。
「だが、きくとききょうと京一郎を見てくれ。彼らは、幻なのか。違うだろう」と続けた。
父はきくにいろいろと訊いたようだったが、きくの言っていることが分からなかったのだ。無理もない。江戸時代の話をしても、それを信じることができないんだから。
僕は江戸時代から持ってきた物を父や母に見せた。
父や母も前にきくとききょうが来たことがあるから、完全ではなくとも、きくとききょうと京一郎の存在は分かったようだった。分からないのは、三日間の時間と江戸時代で過ごした時間のズレだった。
それは僕にも説明ができなかった。
父は母に何度も「俺は頭がおかしくなっているのか」と訊いた。しかし、その度に母は「いいえ、お父さんの頭はおかしくはなっていませんよ」と答えた。
結局、父も母もきくとききょうと京一郎がいるという現実は認めざるを得なかった。
次にどうするかということだった。
二LDKに納戸一つの家に、突然三人家族が増えたのだ。
当分は、きくとききょうと京一郎は僕の部屋にいるしかなかったが、あまりにも狭かった。そして、確実にこれから成長していく。今の家では、手狭だったのだ。
「困ったな」と父が言った。
ようやくローンが終わったところだった。僕が高校生になった時だった。僕が公立の高校に受かったことが嬉しかったようだった。私学よりは学費がかからないからだった。しかし、僕が大学に入るとすれば、その費用はどうにかしなければならないと思っているらしかった。
だが、家のローンがなくなったので、僕が卒業して結婚するまで、この家に住んでいられると思っていたことは確かだった。
高校に入学した時からと考えると、高校で三年、大学で四年、卒業して結婚するまで、早くて、二年の猶予、つまり、合計九年間の猶予があると思っていたのだ。
それなのに、いきなり、三人も増えてしまった。三人家族だったのが、六人家族になったのだ。父は家をどうするかということで迷っていた。
定年まで十七年間ある。退職金も出るだろう。
だが、祖母の介護のために、預金はほとんどなかった。介護施設に入るために、僕が持ってきてた小判を使ったほどだった(「僕が、剣道ですか? 3」参照)。
「どうしようもないな」と父は呟いた。
母も頷いていた。
「でも、ここじゃあ、狭いよね」と僕が言った。
母が「無理でしょう」と言った。
「そうでもないんだがな」と僕はチラシをちらつかせた。
それは新宿区四谷五丁目の空き地のチラシだった。百十八平米で一億八百万円だった。土地分割も可、と書かれていた。
「ここには、もう連絡した。親父の名前で、予約済みになっているはずだ」
「勝手なことを」と父が言い、母も「そうよ、そんなことを」と加勢した。
そして、父が「どこにそんな金があるんだ」と言った。
「ここにある」と僕は、ショルダーバッグの中の千両箱を見せた。
中を開けば、五百両の小判があった。
「以前には、この小判は一枚、二百万円以上で売れたよね。これだけあると、一枚二百万円ということにはならないかも知れないが、百枚売れば、一億ぐらいにはなるんじゃない」と僕は言った。
「そんな物、どこから持ってきたんだ」と父が言うから、「江戸時代に決まっているじゃないか」と僕は言った。
「そんな小判、どこで換金するんだ。もう古物店に行くのは、嫌だからな」と父は言った。
「僕にあてがある。だから、このチラシの不動産屋から連絡があったらよろしくね、絶対に買うから。そして、家を建てるんだ」と言った。
チラシを置いて、僕は立った。そして三階の自分の部屋に行った。