小説「僕が、剣道ですか? 7」

 夕餉の後、僕は風車、ききょうを抱いたきく、みねがいるところで、「今夜、決行します」と言った。

 風車が「どうしてもしなければならないことなんですね」と言った。

 僕は頷いた。

 そして、風呂場に行ってちょっとした準備をした。それは、ビニール袋に竹べらで掬った朱色の染料を落とし、桶から湯を入れて、混ぜ合わせて、口を縛るということだった。それを四回した。つまり、朱色の染料に染まった液体の入ったビニール袋が四つできたことになる。

 それを小さいナップサックに入れた。

 それから、肌着、長袖シャツ、革ジャン、ジーパンに着替えた。途中で誰何されないように、その上に着物を着た。

 そして、帯には定国を差した。

 腰には、ひょうたんをぶら下げていた。今夜は、あやめに活躍してもらうつもりだった。

 大目付の二宮権左衛門の屋敷に着いた時は、まだ夜の十時頃だろう。二宮権左衛門は眠ってはいなかったようだ。屋敷内も明るかった。

 僕は着物を脱ぎ、丸めて、塀の向こうに放り、定国を門の隣の潜り戸に立てて、その上に乗った。足と手を伸ばすと、潜り戸の上に手がついた。それで躰を押し上げて、上に上がり、定国は紐で吊り上げた。

 ひょうたんを取り出した。栓を抜いて、あやめを出した。

「この中にいる者の精気を吸ってこい。特に警護に当たっている者には、念入りに精気を吸え。殺すんじゃないぞ。ただし、大目付の二宮権左衛門はそのままにしておけ」と言った。

 太陽光にはあやめは弱いが、行灯の光には強かった。

 あやめは、「はぁい」と言って、飛び去っていった。

 中でガタガタと音がした。警護に当たっている侍たちが倒れたのだろう。

「どうした」と言う声が聞こえたが、それもすぐに止んだ。

 あやめは帰って来て、「終わりました」と言った。目の色が赤かった。

「いい目をしているな、あやめ」と僕は言った。そして、口づけをした。あやめを完全に浄化するためではなかった。ご褒美だった。

「私も修羅になる」と僕は言うと、雨戸を蹴破って、中に入った。

 障子戸を開けると、死んだように転がっている家来を揺すっている二宮権左衛門がいた。

「ようやく会えたな。大目付、二宮権左衛門」と僕は言った。

「お前は」と二宮権左衛門は恐怖を露わにして言った。

「そうだよ、私が鏡京介だ」と僕は言った。

 二宮権左衛門は口を開いたが、声が出なかった。

「自分だけが安全だと思っていたか、二宮権左衛門。無駄に公儀隠密を殺したな」と僕は言った。

「殺したのはお前ではないか」と二宮権左衛門は言った。

「お前に命じられなければ、公儀隠密は私に関わることはなかったし、死ぬこともなかった。私が公儀に対して何をした。何もしやしなかった。それをお前が公儀隠密に私を狙わせた。私は仕方なく、彼らを殺した。もはや、公儀隠密は役に立たないだろう。江戸城を守っていた者たちまで、死んでしまったのだからな」と僕は言った。

「お前は魔物か」と二宮権左衛門は言った。

「そう思ってもらっていい。お前にとっては、魔物だ」と僕は言った。

 二宮権左衛門は後ずさりをして、床の間に行った。そして、刀を掴んだ。その手を僕は安全靴で踏みつけた。手首の骨が折れる音がした。

 二宮権左衛門は悲鳴を上げた。

「誰も助けには来ないぞ。この屋敷の者は動けなくした」と僕は言った。

 そして、時を止めた。ナップサックからビニール袋を取り出し、それぞれの寝室で眠っている三人の息子と妻の胸に、それを着物の下に押し込んだ。

 そして、「あやめ、この四人を失神させることができるか」と訊いた。あやめは「もう、失神していますよ」と答えた。

「そうか。さっき『この中にいる者の精気を吸ってこい』と言った時に、吸ったんだな」

「はい」とあやめは言った。

「そうか。ありがとう」

 僕はそう言うと、時を動かした。

 二宮権左衛門の首あたりの着物を掴んで、それぞれの寝室に引っ張っていった。そして、失神している子どもたちの胸を定国で刺した。それはビニール袋を刺したのだが、二宮権左衛門には、血が噴き出したかのように見えただろう。

 そうして、三人の息子の胸を次々と突き刺し、最後に妻の胸を刺した。

 それから時を止めて、破れたビニール袋を回収して、新しいビニール袋に詰め、ナップサックに入れた。そして時を動かした。

 二宮権左衛門は叫び声を上げていた。

 僕は、そんな二宮権左衛門を座らせた。そして、床の間から、脇差を持ってきて、懐紙を見つけ出し、それを脇差の刃を半分程度残すほどに巻いた。

 そして、その脇差で腹を突いた。凄まじい叫び声を上げた。僕はゆっくりと腹を裂いていった。

「まだ、死にはしない。痛みだけだ。だが、死は確実にやってくる。その痛みの中からな」と僕は二宮権左衛門の耳元で言った。

 二宮権左衛門は僕を見た。その目は涙で濡れていた。

 

「終わったな」とあやめに言った。

「怖い方ね、主様は」とあやめは言った。

 二宮権左衛門が呻いている前で、僕はあやめと交わった。僕の狂気とあやめの妖気が入り交じった、交わりだった。

 二宮権左衛門が意識を失おうとすると、その都度、目覚めさせた。苦痛は長い方がいいのだ。そう、二宮権左衛門に囁いた。

 

 明け方近くまで、二宮権左衛門の屋敷にいて、僕は門の横の潜り戸から外に出た。あやめはひょうたんの中に入った。

 誰もいなかったので、着物は着ずに家まで帰った。

 家に帰ると、風呂の焚き口にビニール袋を投げ込んで火をつけた。そして、風呂を沸かし入った。

 さっぱりとして出て来ると、寝室ではきくが寝ないで待っていた。

「首尾はどうでしたか」ときくは訊いた。

「私は思ったより、残酷だった」と答えた。

「それでは答えになっていません」ときくは言った。

「思った通りにしてきた。これで思い残すことはなくなった」と僕は言った。

「では、次の満月に現代に帰るのですね」ときくは言った。

「多分、そうなると思う」と僕は言った。

「もう、わたしたちを置いていかないでくださいね」ときくは言った。

「約束する」

「絶対ですよ」

「絶対だ」

 もう離れたりはしない。僕はそう思った。