小説「僕が、剣道ですか? 6」

三十二

 風車と風呂に入った。

「後、四日ですね」と僕が言った。

「ええ、それでわたしの人生も変わります」と風車が言った。

「いい方に変わりますよ」と僕が言った。

「そう、信じています」

「明日はどうされますか」と訊いた。

「おみねの布団を買おうと思っています」と風車は答えた。

「茶碗や箸なんかもいりますよね」

「ええ。取りあえず用意しておいて、後でおみねが気に入った物にすればいいと思っています」

「それから鏡台なんかも必要になりますよ」

「それはおみねに選ばせます」

「それがいいですね」

「多分、足りない物があると思うんですが、おいおい買い揃えていくつもりです」

「そういうことも楽しいでしょうね」と僕は言った。

 風車は照れたように笑った。

 

 風呂から出ると、風車は離れに行った。これからは離れが二人の主な生活の場になるのだ。いろいろと整理しておくこともあるのだろう。

 夕餉は昼餉が会席だったので、慎ましやかだった。

 風車は口数が少なかった。お代わりをした時に、発したぐらいだった。気持ちは身請け後のことにいっているのだろう。

 夕餉が済み、風車が離れに行くと、僕は居間に残って、後片付けをしているきくに「これから大変だと思うが、よろしく頼むな」と言った。

「なんですの」

「おみねさんが来るだろう」

「そのことですか」

「年は上だが、彼女は遊女をしていたから、台所仕事などはもとより、洗濯もろくにできないだろう。それなりに気は遣うだろうが、教えてやってくれ」と言った。

「大丈夫ですよ。万事心得ていますから」

「そうか」

「そう言わないと困るでしょう」

「まぁ、そうだが」

「わたしも、正直言えば不安ですよ。でも、おみねさんの方がもっと不安でしょう。同じことです。折合いを付けてやっていくしかありません」

「分かっているんだな。頼む」

「そんなこと言われなくても……」

 僕はきくに口づけをした。どうしてそうしたのか、分からなかった。ただ、そうしたかったからだった。

「もう」ときくは言いながら、嬉しそうに「驚きましたわ」と続けた。

「とにかく、任せられることが分かって、ホッとした」と僕は言って、寝室に向かった。

 蚊帳を吊らなければならなかった。

 ききょうが待っていて、蚊帳を握っていた。

 

 夜半になり、時を止めてあやめと会った。

「賑やかになりますね」

 あやめが最初に言った言葉はそれだった。

「そうだな」

「わたしが一人で暮らして一年、そして、亡くなって七年になります。その間は、静かでした。主様がいらしてから、すっかり変わりました」

「…………」

「また、変わるんですね」

「嫌なのか」

「いいえ。わたしは一人の時を過ごしすぎました。賑やかになることはいいことです」

「そうか」

「でも、わたしがいることを忘れないでくださいね」

「そんなことあるものか」

 あやめを抱いて、寝室に戻り、時を動かした。

 

 次の日は、朝餉の後に、風車が買物に浅草に行くと言った。

 僕がじっと風車の顔を見ていると、「吉原には行きませんよ。茶碗などを買ってくるんです」と言った。

「布団はどうするんですか」

「昼餉の後に、両国に行ってきます。そこで買います」

「そうですか。今日は忙しいですね」

「ええ、いろいろと考えていたら、揃えなければならない物が次々に浮かんできます」

「それはいいことです」と僕は言った。

 風車はお代わりをして、食事を済ませた。そして、しばらくして家を出て行った。

 きくが「お魚やおやつを頼めば良かったかしら」と言ったが、僕は「それはやめておいて良かったんじゃないかな。今の風車殿はそれどころじゃないんだから」と言った。

「そうね」ときくも言った。

 

 昼餉前に帰って来た風車は、買ってきた茶碗や箸をきくに見せて、「これでどうでしょう」と訊いた。きくは風車に笑顔を向けて、「風車様が買ってきた物ですもの、おみねさんも気に入るのに違いありませんよ」と言った。

「鏡台は、みねが選ぶ物を買うとして、当面必要だろうから、手鏡を買ってきました」と、これもきくに見せた。

「まぁ、素敵」ときくは言って、それで自分を写そうとしたが、「おみねさんが最初に使うんですよね」と言って、風車に渡した。

 

 昼餉をとった後は、風車は両国に向かった。布団を買うためだった。

 おやつ時に店の小僧二人に棒にぶら下げた大きな包みを持って帰って来た。離れに運び込んでもらうと、店の小僧二人には、風車が駄賃を渡して帰らせた。

 風車には珍しく、饅頭も買ってきていた。

 おやつを食べた後で離れに行くと、布団が畳まれて置かれていた。その上には、枕も載っていた。柄は分からなかったが、赤い色が主体の布団だった。

 風車は布団を触っていた。これでみねが眠る光景を思い描いていたのだろう。