小説「僕が、剣道ですか? 7」


 修太郎と修二郎は、朝餉の済んだ巳の刻(午前九時から十一時頃)の少し前に来た。
 風車は、二人を表座敷に上げ座布団に座らせ、座卓の前に着かせた。彼らの横に風車が座ることになった。
 硯などは、今日二人が来ることを予想して準備して置いた。
 風車はまず、墨のすり方から教えた。
 そして、いろはのいから書き始めた。まず風車が書いて見せて、それを二人の前に置き、「これと同じように書きなさい」と言った。
 二人は風車の手本を見ながら、筆で書き始めた。最初は下手な字だったが、段々、風車の字に近くなっていった。五枚ほど書かせてから、次の字に行った。いろはを全部書けるようになるには、三日ほどかかりそうだった。
 二人が筆に馴染んできたところで、二人の名前を書かせる練習に切り替えた。いろはだけを書かせていたのでは、無味乾燥だったからだ。自分の名前を書けるとなると、二人の目の色が変わった。
 風車が二人のそれぞれの名前をフルネームで書いて、「この通りに書いてみなさい」と言った。
 僕は少し離れて見ていたが、風車の先生ぶりは顔に似合わず合っていた。教え方も丁寧だった。ときおり、みねも見に来ていたが、安心したことだろう。

 二人は昼餉にはいったん帰っていった。その時に、風車が二人に書かせたフルネームの紙も持たせた。二人は、「昼餉の後にも来てもいいですか」と訊くので、風車が「いいよ」と答えたら、その通りに午後も来た。この二人は学問に飢えていたのだ。
 みねは、おやつの用意をした。夕餉のおかずを買いに浅草に行ったついでに団子も買ってきたのだった。

 きくとみねは上手くやっていた。みねの方が年上だが、きくに何事も訊いてから、するようにしていた。みねも遊女をしていたが故に、炊事洗濯はまるで駄目だったのだ。
 きくも上手いとは言えなかったが、炊事洗濯はしてきていたので、それを教えていた。
 そのうち、二人は分担して炊事洗濯をするようになった。きくはお腹が大きくなってきたので、買い物は主にみねがした。その時、必要な物はきくが伝えた。

 こうして半月が過ぎた。
 風車の筆学所は、教え子が十人に増えていた。風車の教え方が良かったことと、似たようなことを教えるところがなかったことにもよる。
 従って、書道の道具は十人分以上、まとめて買った。座布団も一緒に買った。それは店の者に運ばせた。
 ただ、座卓は二つしかなかったので、四方に座らせても、二人余り、それは卓袱台を持って来て、机代わりにした。
 ここでも一と十五の日を休日にした(「僕が、剣道ですか? 1」参照)ので、休日に座卓を買いに行くことになった。
 両国で四卓購入して、荷車で家まで店の者に運ばせた。
 三卓ずつ、表座敷と奥座敷に並ぶことになった。それで二つの座敷はいっぱいになった。
 本人の名前を漢字で書かせて持たせることが、好評に繋がった。
 次の休日は、浅草か両国の古本屋に行こうということになった。漢字を書かせる際に、手本となる本があればいいと思ったからだ。
 今は、風車が書いた文字の紙の隅を綴じて、それを手本としていた。いろはは全部一冊に綴じられていた。
 いろはは三日もあれば、字の下手さを除けば、皆が覚えた。
 後は、簡単な漢字を書いたものが一冊あった。

 一月経つと、教え子は二十人になっていた。一人一分ずつもらっていたから、それは二十分、つまり月五両の収入になっていた。
 そうなると、座卓では手狭だった。代わりばんこに書くしかなかったので、長い座卓を家具店に六卓注文した。
 表座敷と奥座敷を開いて、長い座卓を並べれば、三列の長い座卓ができる。そうすれば、一列に八人座れるので、二十四人までは、教えられることになる。
 長い座卓ができあがってくるまでは、今までの座卓で我慢してもらった。
 長い座卓は六日で家まで届けられた。
 ちょうど、教えていたところだったので、教え子たちに手伝ってもらって、表座敷と奥座敷に、その長い座卓を置いた。
 それまで、使っていた座卓は一卓だけを離れに置き、残りの三卓を古道具屋に売った。
 新しい座卓が来ると、教え子たちは、自分の席を確保して、その使い心地を確認していた。

 次の休日は、僕は風車と両国の古本屋を歩いた。
 あれもこれも買っているうちに手一杯になった。
「今は字を書かせていますが、そのうち空いた時間にお金の数え方も教えようと思っています」と風車が言った。
「ほぅ」と僕が言うと、「商家の者が多いものですから」と風車は言った。
「離れでは、みねが特別に算盤を教えているんですよ」と続けた。
「おみねさんが」と僕が驚くと、「みねの元の家は、米屋だったそうです。それで子どもの頃から、算盤は習わされていたということです。みねも算盤は得意で、暗算もできるようになっていたようです。でも、多額の借金ができ、みねは十六歳の時に吉原に売られることになったそうです」と風車は話した。
「十六歳ですか」と僕が言うと、「かなりの歳になってから売られたので、すぐに遊女に出されたそうです。五年前の話です」と風車が言った。
 すると、今は二十一歳ということになる。きくが数え年で十六歳になっていたから、五歳違いだった。すると、きくと同じ歳の時に吉原に売られたのか、とも思った。

 家に帰ると、両国で買ったあんころ餅をおやつに食べた。その後は、買ってきた本の整理に追われた。僕は数学が得意だったので、つい、問題を作ろうとしてしまったりしたが、解法が江戸時代とは異なるので止めた。それにこの時代の日本には存在しない記号を教えるのも駄目だった。
 鶴亀算が書かれた本は面白かった。九九は古くからあったようだった。このあたりも教えると良いかも知れないと思った。

 夜になると、あやめと会った。
「楽しそうですね」とあやめが言った。
「風車がな」と言うと「主様もですよ」と言った。
「勉強なんて嫌だよ」と言うと「勉強って何ですか」と訊くから「学ぶことだよ」と言うと、「主様は学んではいないではありませんか」とあやめが言った。
「そうだな」
「楽しそうに見えるのは、昔の主様が見えるのではありませんか」とあやめは言った。
「昔の私か」
「そうです」
「昔の私は学ぶことが嫌いだった」と僕は言った。実際、そうだったが、こうして寺子屋のようなものをしていると、確かに昔の自分とダブるところがあった。教えられることは嫌いだったが、問題が解けるときの快感は何とも言い難かった。それで算数、そして数学が好きになっていった。
 でも、昔のことだ。今はあやめと交わっている。霊と交わるのは、いつも不思議な感覚だった。