三十四
次の日、朝餉の後に、きくとききょうを京太郎の眠る墓に連れて行った。
そして、花と線香を手向けてきた。
「ここにお前の弟が眠っているんだぞ」とききょうに言った。もちろん、ききょうに分かるはずもなかった。そして、ききょうに手を添えて、手を合わさせた。
帰り道、参道の店でお守り袋を買った。京太郎の髪を入れるためだった。そして、きくとききょうの髪も。
きくは突然しがみついてきた。
「きくを離しては嫌ですよ。きくは鏡京介様と一緒でなければ生きてはいけませんから」と言った。
「分かっている。分かっているんだ」
僕はそう言うしかなかった。
風呂ではきくは長いこと僕の背中を流した。
「きくは嫌ですからね」と言った。
そして、一流しする度に「きくは嫌ですからね」とまた言った。
その繰り返しだった。
夕餉の席では、再度、きくとききょうのことを家老島田源太郎とその父の島田源之助に頼んだ。二人は、「後のことは任せておけ」と言った。
僕は深々と頭を下げた。
座敷に戻った。
障子を開けると、大きな月が見えた。その月が見る見るうちに赤くなっていった。
「赤くなっている」ときくが言った。
「そうだな」
「明日ですね」
「うん」
僕たちは早く眠った。明日に備えるためだった。
次の日、朝からきくは出立の準備をしていた。ききょうに飲ませるミルクはなくなっていた。現代に着いた時に着る服も、風呂敷包みから取り出して、チェックしていた。
午後になると早めに風呂に入った。
これがきくに流してもらう最後の背中流しだと思うと涙が出て来た。
髭を剃り、顔を洗って、ききょうにも頬ずりをした。これが最後だった。
風呂を出ると髪をとかしてもらった。
夕餉の席では、島田源太郎と島田源之助に「お世話になりました。今夜でお別れです。きくとききょうのこと、くれぐれもお頼み申します」と言った。
「わかった」と源太郎は言った。
「今夜行くのだな」と源之助は訊いた。
「そうです」と答えた。
座敷に戻るときくはききょうをおぶり、風呂敷包みを下に置いていた。出かける準備をしていた。
僕はそんなきくとききょうを抱いた。そして、きくに当て身を食らわせ、気絶させた。床の間から定国を取り、その刃できくとききょうの髪を切った。そして、それをお守り袋に入れた。
きくとききょうは布団に寝かせた。
僕は定国を帯に差すと、玄関に向かった。
玄関には島田源太郎と島田源之助に源太郎の妻あきがいた。
僕は頭を下げて、玄関を出た。
門を開けてもらうと、そこから外に出た。
屋敷町を抜けて、野原に向かった。野原に着くと、着物を脱ぎ、肌着と長袖シャツを着、靴下を履いてジーパンを穿くと、安全靴を履いた。そしてリバーシブルのオーバーコートを着た。
風呂敷包みは畳んで、ナップサックを出し、そこに着物を詰めた。小さなナップサックは畳んで大きなナップサックの中に入れた。ここにはききょうのミルクが入っていたのだった。
お守り袋は長袖シャツのポケットに入れた。
ナップサックを背負いショルダーバッグを肩に掛けた。そして、本差と脇差の二本の定国を持つと、本差の定国を抜いた。
空が曇り始めた。そして、雷雲が立ちこめて来た。雨が降り、雷雲の中で稲光が起こった。
僕は定国を天高く突き上げた。
そこに光が竜のようになって落ちた。僕は光の渦の中に入り込んでいった。