小説「僕が、剣道ですか? 4」

二十七

 昼餉はヤマメにして、僕たちは山道を急いだ。

 幕府の隠密は襲ってこなかった。

 今回は定国に助けられた。定国には、怨霊が憑いているのだろう。それが僕の怒りと闘気に反応して、力を貸してくれたのに違いない。少しの間だったが、定国の霊に取り憑かれて、自分が動かされているのが分かった。このままにしておけば、やがて、定国の霊に自分は取り込まれるかも知れなかった。

 また、お祓いをしてもらうしかないのかも知れないが、今は定国の力を僕は必要としていた。

 僕は定国の霊に取り込まれないことを願うしかなかった。

 

 宿場に来たので、宿を探した。個室だと一人一泊二食付きで四百文だった。そこにした。ここは温泉が出ると言うので、早速、温泉に入りに行った。

 頭や躰を洗うと、湯船に浸かった。きくとききょうも一緒だった。

 湯船から出ると、折たたみナイフで髭を剃った。ききょうを頬ずりした時、痛がったからだ。また湯船に浸かった。ききょうを抱き取り、きくが躰を洗った。

 きくは躰を洗うと、洗い物をした。その後で、湯船に浸かった。

 僕は風呂を出ると、部屋に行き、畳に寝転がった。そして、しばらく眠った。

 夕餉はヤマメだった。きくと顔を見合わせた。

 ききょうには、味噌汁を掛けたご飯を沢山食べさせた。煮物も潰して食べさせた。そろそろミルクも少なくなってきたので、離乳食に慣れさせる必要があった。

 布団を敷くと、僕はすぐに眠った。昨日よりは疲労感は少なかった。

 

 翌朝、朝餉をとると、宿泊代を払い、宿を出た。

 山道に入ると、すぐにジーパンを穿き、安全靴を履いた。

 定国を抜くと微かに唸った。

 きくとききょうと風呂敷包みを木の陰に隠して、定国の唸る方向に向かった。

 山道から外れた林の中に五十人ほどの人影が見えた。定国は彼らに向かって唸り出した。

 僕は彼らに気付かれないように近付くと時間を止めた。そして、定国でそこにいる者全員の腹を裂いていった。

 そして時間を動かした。

 頭が「何故、わしらの所がわかったのだ」と訊いた。

 僕は「この時代の者ではないからだ」と嘘を言った。そして「お前たちを一思いに殺さないのは、他の者に恐怖を与えるためだ」と言った。

 頭は「わしらが、恐怖を覚えることなどない」と言うと、僕は「そうでもないだろう」と言った。

 定国の血を頭の着物で拭うと鞘に収めようとした。その時、定国が唸った。近くに敵がいる証拠だった。

 定国の示す方に向かって走った。すると二十人ほどの忍びの者が走って来るのが見えた。近くまで来るのを待って、時間を止めた。そして、彼らの腹を裂いた。そして、時間を動かした。二十人は倒れ込むと、のたうち回った。

 最後の者の着物で定国の血を拭うと鞘に収めた。

 時間を止めていた時に斬ったので、返り血を浴びずに済んだ。

 

 きくとききょうの所に行くと、風呂敷包みを取って歩き出した。

 少し行くと定国が唸った。鞘から出して見ると、地面を指している。大きな石を放ると、地面に吸い込まれていく。木の枝で掃いてみると、薄い板に木の葉を敷き詰めた落とし穴が仕掛けられていた。その落とし穴の中には、竹槍が何十本も突き立てられていた。

 落とし穴の周りを回って、僕らは先を急いだ。

 あの遅れてきた二十人の忍びの者は、この仕掛けを作るためだったのかと納得した。またしても定国に助けられた。定国に心を乗っ取られてもいけないが、定国の助けも必要だった。奇妙なバランスの上に僕はいた。

 

 ジーパンと安全靴は脱がずに、着物を下ろして隠した。

 しばらく行くと畑に出た。

 山道からそれて、畑の脇の道を行くと農家に出た。

 声を掛けると、中から老婆が出て来た。

「この辺りには食事処はありませんか」と僕が訊いた。

「この先は街道まで、何もありはせん」と老婆が答えた。

「では、何か食べさせて貰えませんか」と言うと、「いいよ、おいで」と言った。

 老婆は茅葺きの農家の中に入って行った。僕らも後を付いていった。右手には牛舎があった。土間を抜けると、庖厨があった。その側に囲炉裏のある部屋があった。

「そこに上がんな」と老婆は言った。

「他の人たちはどこにいるんですか」と僕が訊くと、老婆は「畑に決まっているがや」と言った。それもそうだと僕は思った。

 安全靴を脱ぐと風呂敷包みの中に隠し、草履を置いた。

「ご飯と味噌汁と漬物しかないが、いいかな」と訊くので「それで結構です」と言った。

「じゃあ、待っとれ」と言って、庖厨の方に行った。

 おひつを持ってきた。味噌汁は熱かったが、ご飯は冷めていた。朝の残りなのだろう。ご飯に味噌汁を掛けて漬物で食べた。ききょうにも味噌汁を掛けたご飯を潰して食べさせた。

 きくは庖厨を借りてききょうのミルクを作った。

 食べ終わると、「ごちそうさまでした」と言って、ちゃぶ台に巾着から二十文取り出して置こうとしたが、老婆は「いらん、いらん。大したもん、食わしたわけじゃあ、ねえけ」と言った。

「では、お言葉に甘えさせていただきます」と僕は言った。

 部屋から土間に降りる時、草履をしまい、安全靴を履いた。

 

 山道に戻る途中、二人の若者とすれ違ったが、畑作業から昼餉をとりに農家に向かっているところなのだろう。彼らの分が残っているといいが、と思わずにはいられなかった。

 

 山道に戻り、しばらく歩くとまた定国が唸り出した。きくとききょうと風呂敷包みを木の陰に隠すと、定国を抜いて、その示す方向に走り出した。

 山道を外れた林の中に二十人ほどが固まっていた。定国は激しく唸り出した。僕は時間を止めて、その二十人の腹を切り裂いた。そして時間を動かした。

 中の一人が「何故お前がここにいる」と訊いた。

 僕は「何故、お前たちはここにいるんだ」と訊き返した。

 すると「命令だからに決まっているじゃないか」と言った。

「誰からのだ」と訊いた時、その男は息絶えた。

 定国はまだ唸っていた。他に敵がいるのだ。定国の示す方に向かった。三十人ほどがいた。そこに二人が駆け込んできた。先程、斬った二十人の報告でもしに来たのだろう。動き出そうとしたので、時間を止めた。そして、三十二人の腹を裂いて、時間を動かした。

「何故、お前が」と先程の男と同じことを言った。

「そっちが狙ってくるからだ」と言った。

「俺たちを殺しても、もうお前は逃げられないぞ」とその男は言った。

「何故だ」

「幕府が追っているからだ」と答えた。

「だが、表立ってではないだろう」と言うと、「どうしてそれを」と訊いた。

「表立ってなら、公儀隠密を使うはずがないからだ」と答えた。

「幕府が追っているのではなく、公儀隠密を使っている者を倒せばいいのだな」と僕は言った。

 そいつは「お前に倒せるはずがない」と言った。

「瞬間移動ができてもか」と言うと、そいつは明らかに狼狽していた。

「私に瞬間移動ができることは知っているのだな」と言うと、そいつは答えずに死んだ。

 定国の唸りは止まった。敵はすべてやっつけた。僕はそいつの袖で定国の刃の血を拭うと鞘に収めた。

 僕が戦っている相手は強大だった。一人一人はそいつの駒にしか過ぎない。

 今、戦って勝っても、それは一時しのぎでしかない。公儀隠密を動かしている者を倒さなければ、決着は付かない。だが、そいつは江戸にいる。

 僕の手の届かない所にいるのだ。