小説「僕が、剣道ですか? 4」

十二

 朝餉の時に、僕は木村彪吾に「鷹岡藩は初めて来た所なので、何か珍しい所とか物があれば、行って見たいものですが」と訊いた。

「当藩で有名なのは、こけしです。こけしの店は随分あるから見られるといいでしょう」と答えた。

「お寺はどうでしょう」

「鷹岡護国寺があるが、ここからは十里ほどの所にあるので、藩を出られる時に立ち寄るといいでしょう」

 僕は「分かりました。そうします」と答えるほかはなかった。

 客室に戻ると、きくに「いつ、ここを出立できるか、訊ける雰囲気ではなかったな」と言うと、「本当にそうでしたわね」と答えた。

「後でこけしでも見に行くか」と言うと「はい」ときくは返事をし、庖厨にききょうのミルクを作りに行った。

 玄関に行き、草履を履く時、女中に「昼は外で食べるから、昼餉の用意はしなくてもいいぞ」と言うと「若殿が寂しがりますね」と言った。

「虎之助殿は何歳になられる」と訊くと「十三歳です」と答えた。

「すると、もう元服してもいい年頃だな」と言うと、「来年、元服なさるようです」と応えた。

「そうか。では、出かける」と言って、きくとききょうを連れて屋敷を出た。

 きくはききょうをおんぶしていた。哺乳瓶などの入った風呂敷包みは僕が肩に掛けた。

 

 町に入ると、こけしを売っている店が多いのに驚いた。昨日は、刀を研いでもらうことに気が向いていて、よく店を見ていなかったのだ。

 どのこけしもよく出来ていたが、旅の途中であるので、荷物は増やしたくはなかった。従って、見るだけになった。

 昼になると食事処を探した。

 蕎麦屋を見付けたので中に入ると、鳥南蛮というお品書きがあったので、それを二つ注文した。

 鶏の肉とネギの入った熱い汁を掛けた蕎麦だった。冬によく食べられる物らしかったが、夏に食べても美味しかった。ご飯と皿をもらい、皿にご飯を盛り、汁を匙で掛けて、ききょうに食べさせた。ききょうは美味しそうによく食べた。

 僕もご飯を注文し、汁をかけて食べてみた。美味しかったので、きくにも食べてみろと言った。きくも食べると「美味しいです」と言った。

 ききょうはかなり食べた。鶏肉も細かくして、きくが噛んだ物を口に入れると、食べた。鶏肉一つ分ぐらい食べたろうか。

 つゆも飲み干すと、お腹がいっぱいになった。

 代金を払って外に出た。

 すると、いきなり侍とぶつかってしまった。きくとききょうの方を見ていたので、僕の不注意だった。

「済みません」と謝った。その侍を避けるように、脇を通ろうとすると、その侍は前を塞いだ。

「どいて頂けませんか」と僕が言うと、侍は「そっちがぶつかってきたのだ、謝ったらどうだ」と言った。

「済みません、と謝ったではありませんか」

「ほう、それがそちの謝り方か」

「他に謝り方がありますか」

「あるだろう」

「何です」と僕が言うと、侍は手の平を出してきた。金を出せ、と言っているのだ。

「申し訳ないが、他に謝り方は知りません」

「何だと」とその侍が言うので、「これ以上、事を荒立てない方がいいですよ」と僕は言った。

「貴様も拙者を侮辱する気か」と言った。

「いや、そんなつもりはありません」

「なら、謝れ」

 人だかりが出来ていた。侍も引くに引けなくなっていた。

「済みませんでした」と僕は、再び謝った。

「それがおぬしの謝り方か」と訊くので、「そうですよ」と答えると、刀の柄に手をかけた。

「やめておいた方がいいですよ」と僕は言った。

「なにぃ」と侍が言った途端に、刀に手をかけていた腕がぶらりと下がった。

 僕は他の人に見えないほどの早業で、その侍の右腕の骨を刀の峰で折ったのだった。

「その手では刀は抜けないでしょう」と僕は言った。

「だから、やめておいた方がいいと言ったのに」と続けた。

「きく、行こう」

 僕ときくはその場を去った。

「鏡様が刀を抜くところは、きくにも見えましたよ」ときくは言った。

「えっ」と僕は驚いた。

 あの速さでの居合抜きは、誰の目にも見えなかったはずだ。しかし、それをきくが見たと言ったのだ。

「本当か、きく」

「はい。鏡様が刀を抜かれて、峰打ちであの者の右腕を折るのをはっきりと見ました」と言った。

 時間を操れるのは、鏡家の血筋だと思っていた。確かに血筋のせいもあるだろう。だが、今、きくはあの居合抜きを見たと言ったのだ。きくと僕とは血筋はつながっていない。とすれば、どういうことなのだろう。

 僕は考えた。

 考えられるのは、過去から未来に行き、また過去に戻ってきたことぐらいだ。あの時間移動の際に、時間を操れる能力をきくは身につけたのかも知れない。いや、それ以外に考えられなかった。

 河原にきくを連れて行った。周りには、人気が無かった。時間を止めてみた。そして、きくの肩に手を置いた。そして、時間を動かしてみた。

「鏡様、いつの間に肩に手を置かれたのですか」ときくは言った。止まった時間を見る能力は身につけてはいないようだった。

 今度は、素早く刀を抜き、そして鞘に収めた。

「どうだ」と僕がきくに訊くと、「今、刀を抜き、鞘に収めるのが見えました」と言った。

 素早い動きは見えるようだった。どれくらい素早い動きが見えるのか、何度か速さを変えて、きくに見させた。

 ある程度の速さまでは、見えるようだった。もちろん、その速さでは普通の人には見えないスピードだった。

 今度はきくからききょうを預かり、きく一人にして、どの程度速く動けるのか、試してみた。かなり速く動けるのが分かった。仮に人に追われたとしても逃げ切ることができるぐらいの速さはあった。

 刀を抜いて、きくを切る真似をした。それもかなりの速さで避けることができた。

「凄いぞ、きく」と僕は言った。

 これは大変な発見だった。

 きくとききょうを連れている時に、多数の者に囲まれたとしても、きくは自分一人で何とか逃げることができる。これは心強いことだった。

 

 木村彪吾の屋敷に戻った時、屋敷内は大変な騒ぎだった。

 女中を捕まえて「どうしたのだ」と訊くと、「虎之助様が町道場から戻っていないのです」と答えた。そして、「虎之助様をさらった。返して欲しければ、木村彪吾様お一人で稲荷神社の境内まで、戌の刻までに来い。さもなくば、虎之助様を殺す、という書付けが門に矢で射られていました。それで城中にいる旦那様にその書付けを佐平に届けさせたところです」と言った。

 僕は屋敷に入り、客室に行った。

「とんだことが起こったものだな」と言うと、きくも「そうですね」と応えた。