小説「僕が、剣道ですか? 4」

十一
 昼餉の後、もう一度風呂敷を包み直して針を刺しておいた。
 そして、きくとききょうを連れて、町に出かけた。
 午前中は虎之助が一緒だったので、何となくリラックスして見ることができなかった。午後はゆったりと見て回ることができた。
 甘味処で、汁粉を食べた。その時、ききょうにミルクを与えた。
 代金を支払って甘味処を出ると、研ぎ師のところに行った。
 本差と脇差は研ぎ上がっていた。僕は鞘から抜いて、研ぎ具合を見た。よく研げていた。礼を言って店を出た。
 歩いているとつけてくる者がいた。きくも気付いているようだった。
 わざと町を離れて、山道に向かった。すると、前に三人、後ろに二人の五人に囲まれた。
 僕は「どいてもらえぬか」と言った。すると「できぬ」という答えが返ってきた。
「なにゆえに」と訊くと、「おぬし、目付、木村彪吾の所におるだろう」と左頬に刀傷のある男が言った。
「そうだが」
「なぜ、木村彪吾の所にいる」と訊くので、「招かれただけだ」と答えた。
「すぐに出て行け」と男は言った。
「おぬしに指図されることでもあるまい」と答えると、「どうなっても構わないと言うのか」と言った。
「どういう意味だ」
「妻子に危害が及んでも構わないのか、と訊いているのだ」
 こんな事態なのに、きくは「妻子」と言われたことに喜んでいた。きくには危機意識はなかった。僕を信頼していたのだ。
「ここでやり合うのか」
「その気なら」
「なら、ここで決着をつけよう」と僕は言った。
 すると、後ろにいた者がきくとききょうを捕まえようと手を出した。その手が、きくとききょうに届く遥か前に、二人とも抜かれた刀の峰で両手を折られていた。
 前に向き直ると、三人とも刀を抜いていた。しかし、振り上げる余裕も与えず、僕は三人の刀を持っている手を峰打ちで折っていった。
 ほとんど一瞬のうちに五人は倒れ込んでいた。
 左頬に刀傷のある男に「誰に頼まれた」と訊いた。そいつは「知るか」と顔を背けた。
 その瞬間、その男の左腕の骨が折られた。
「もう一度訊く、誰に頼まれた」
若年寄、佐野五郎」とその男は言った。
「早くそう言っていれば、もう一本腕を折られずに済んだものを」と僕は言った。
 きくの所に寄って行くと、「さぁ、町に戻ろう。ただし、このことは他の人には内緒だよ」と言った。きくは「わかっています」と応えた。

 木村彪吾の屋敷に戻ったのは、山に夕焼けが見えるようになった頃だった。
 客室に入ると、風呂敷を点検した。今度は開けられた様子はなかった。針を抜いて裁縫道具入れにしまった。
 女中を呼び、風呂に入りたい旨を伝えると、「わかりました。用意いたします」と言って出て行き、しばらくすると戻ってきて、「用意ができました」と言った。
 僕は着替えのトランクスと折たたみナイフとタオルを持ち、きくも着替えの襦袢やショーツとタオルなどを持ってききょうを抱っこした。
 湯屋に行くと、昨日と同じように手ぬぐいと浴衣が用意されていた。
 僕ときくとききょうは順番に五右衛門風呂に入り、躰を洗い、僕は髭を剃った。
 先に風呂場から出て、脱衣所で僕はトランクスを穿き、浴衣を着た。きくは風呂場で洗い物をしているのだろう。「先に行くよ」と声を掛け、客室に戻り、縁側で涼んでいた。
 そのうちにきくとききょうも来て、僕がききょうを抱っこしている間に、きくは掛け竿に干し物を干した。
「ききょうは随分と大きくなったな」と言うと、きくが「ええ」と答えた。
「抱っこするのが大変だろう」と訊くと「そりゃ、もう」と答えた。

 夕餉の席順は、昨日と同じだった。
 木村彪吾が「鏡殿のことを少し調べさせてもらいました」と言った。
「宝永七年に山賊退治をされていますね。そして、同じ年に黒亀藩御指南役の氷室隆太郎殿に勝たれています(「僕が、剣道ですか? 2」を参照)。その時の鏡京介殿のお歳が十七歳となっていました。これは本当ですか」と訊いた。
「本当です」と答えた。
「すると、変ですね。今は正徳五年ですから、それから五年経っています。しかし、今の鏡京介殿を見ていると、五歳年をとったようには見えません」と言った。
「それにはわけがあるのです」
「ほぅ、どのようなわけでしょう」
「私ときくとききょうは神隠しに遭ったのです」
神隠しですと」
「そうです」
「俄には信じられません」
「そうでしょう。ですから、今まで誰にも言わないで来ました」と僕は言った。
「その神隠しに遭っていた時には、どこに行っていたのですか」と木村彪吾は訊いた。
 僕は少し考えた後、「違う時代に、です」と答えた。
 木村彪吾は「おきくさんとききょうちゃんもですか」と訊くので、「そうです」と僕は答えた。
 木村彪吾はきくに向いて「そうなんですか」と訊くので、きくも「はい」と答えた。
 木村彪吾は僕に「何か証拠のようなものをお持ちですか」と訊いたので、「はい」と答えた。証拠の品の入っている風呂敷包みを開いた者が、この家中にいる。その者が証拠の品について木村彪吾に話しているのに違いないと僕は思った。
 木村彪吾は「では、後で見せてもらうことにしましょう。どうも詮索するのが仕事なもので、済みませんでした。夕餉が冷めてしまわぬうちに食べましょう」と言った。
 僕ときくは「いただきます」と言って、箸を取った。

 夕餉の後、布団が敷かれている客室に、木村彪吾を連れて行き、隅に置かれていた風呂敷包みを取って、縁側に出た。
 木村彪吾と一緒に縁側に座り、風呂敷包みを開いた。中には、ショルダーバッグやナップサック、安全靴などが入っていた。
 木村彪吾にショルダーバッグを見せ、ジッパーを開け閉めした。
「これは肩から掛けて、物を入れて運ぶ物です」と説明した。
 安全靴は「これは履き物です。物が落ちてきて、つま先に当たっても痛くないように工夫された物です」と説明した。
 木村彪吾はそれらを手に取り、珍しげに見ていた。
「わかり申した。確かにこれらの物は、今の世にない物でござる。となると、御禁制品となってしまうが、わたしは見なかったことにします。それで良いですな、鏡京介殿」
「はい、よろしくお願いします」
「では、ゆっくりと休まれよ」と言って出て行った。
 木村彪吾が客室からいなくなると、きくが寄ってきて、耳元で「今の言葉をそのまま受け取ってもいいものでしょうか」と言った。
 僕は「分からん。鬼が出るか蛇が出るか。これからのことだ。ともあれ、寝よう」と言った。