小説「僕が、剣道ですか? 7」

十七

 四月末から五月初めにかけての連休も終わった。

 その間に、沙由理とは何度会ったことか。百点は確実に超えていた。沙由理は強引だったが、その強引さが、僕は嫌いではなかったのが、原因だった。

 また土曜日にと誘われたが、次の土曜日は、ききょうと京一郎を小児科医院に連れて行くことにしていたので断った。

 

 僕は小児科医院に電話して、予防接種をしてくれるところを探した。今後のことも考えて四谷五丁目に近いところを選んだ。

 そして、土曜日の午前中にやっているところを探し出して、そこに行くことにした。母子手帳がないことや予防接種する券などがないことを伝えた。それでも受けてくれた。

 その次の土日は夏季剣道大会兼関東大会だった。

 僕は、前にききょうが受けた予報接種の控えを探した。それを見ると、B型肝炎、ヒブ、小児用肺炎球菌、四種混合、ロタウィルスを受けていた。ききょうは平成**年六月十日生まれになっていた。ということは、多少、月数が合わないが、今は大体二歳ぐらいと考えて良さそうだった。

 京一郎は、江戸時代では正徳元年十二月六日生まれだったから、西暦に換算すると、一七一二年一月十三日生まれになる。だから、現代では、一月十三日生まれとすることにした。

 ききょうはベビーカーに乗せて、京一郎はきくが抱っこ紐で抱っこして、その小児科医院に行った。

 いろいろな書類に書き込んで、順番を待った。

 順番が来た。対応したのは女医だった。いろいろと訊かれたが、本当のことは言えなかった。

「まぁ、いいわ」と言うと、看護師に予防接種するものを伝えた。

 予防接種が終わると、次に来る予約を取った。一ヶ月後だった。

 医療費を払って、医院を出た。

 

 第三週目からは、剣道部の部活に出た。

 剣道着を着ての試合は、もう一年以上前のことだった。

 約束事も忘れていた。それらを学び直すためだった。

 一礼をした後、三歩ほど近付いて、剣先を合わせつつ蹲踞し、主審の「始め」の合図を待って開始する。

 それを確認した後で、部員と立ち会った。三年が主将と副主将をしていたが、僕以外では富樫が一番強かった。

 その富樫でも、僕には歯が立たなかった。

「お前、強くなったな」と富樫に言われた。

「そうか」

「ああ、以前と比べて断然強くなっている。団体戦はともかく、個人戦は結構いい線まで行けると思うぞ」と言った。

 これが部活でなければ、七人ぐらいと一度に戦いたかったが、それはできなかった。

 

 家では、いよいよ新しい家の新築が進行していた。ローンが下りることになり、無事に家が建てられることになったからだ。基礎工事は明日から始まると言う。順調に行けば、来年の三月の初めには引越しができると言う。

 間取りは大まかに決まっていたが、細かなことはこれからだった。窓の大きさから、電灯やコンセントの位置など決めなければならないことはいっぱいあった。僕はコンセントは多く付けてもらうことと、各部屋やリビングには必ず一箇所にはマルチメディアコンセントを付けることを条件として挙げた。マルチメディアコンセントとは、通常のコンセントの他にインターネットや電話回線、テレビ回線が組み込まれているコンセントのことだった。コンセントを多くしてもらうのは、たこ足配線をなるべく少なくしたかったからだ。

 

 金曜の夜に、きくはベッドで「明日、試合ですか」と訊いた。

「そうだ」と答えた。

「きっと勝ちますよね」と言った。

「やってみなければ分からない」と応えた。これが真剣勝負なら、負ける気はしないのだが、競技試合は、真剣試合とは違うからだった。

 

 区立体育館に現地集合で、午前八時に競技委員長などの挨拶が終わると、早速、競技が始まった。

 最初は団体戦だった。今年も抽選が悪かった。一回戦を勝っても、次はシード校だった。

その一回戦の相手も強いところだった。大将が都の八強の一人だった。後のメンバーは、それほど強くないので、シード校になれなかったのだ。

 僕らの試合は、すぐにやってきた。富樫と早瀬が勝ったので、二勝二敗になっていた。大将戦が勝負を握っていた。

 僕がこちらのチームの大将で、相手は都の八強の一人だった。

 僕は試合前に竹刀ケースに忍ばせてきた定国を触った。そして、その力を腕に移して、それを竹刀に移動させた。準備はそれで十分だった。

 試合が始まる。礼をして、開始線まで三歩進んだ。そして、竹刀の剣先を合わせつつ蹲踞した。

 主審の「始め」の合図と同時に立ち上がり、相手は一歩踏み込んで小手を打ってきた。それを僕は竹刀で弾いて、小手を打ち返した。

 赤旗が揚がった。僕の小手が決まったのだ。

 相手は信じられないという顔をした。多分、小手が得意だったのだろう。その小手を弾かれたのが、理解を超えていたのだ。

 それは僕も同じだった。

 相手が小手を打ってきた時は、僕の小手は何の防御もできない状態だった。しかし、竹刀がクイと動いて、相手の打ってきた竹刀を弾いたのだ。

 ゴルフにたとえてみよう。ティーショットのときに、バックスイングせずにボールにドライバーをくっつけたままで打って、遥か遠くまでボールを飛ばしたら、誰しも驚くだろう。それと同じようなことが起こっていたのだ。

 打つ動作もなく触れてきた竹刀に、力一杯に打ち込んだ竹刀が弾き飛ばされたのだ。それも、打ち込むよりも速い速度で。

 二本目は相手も警戒してきた。なかなか打ち込んで来なかった。

 さっきの弾かれた残像が残っていたのだろう。

 だから、僕の方から間合いを詰めて打ち込んでいった。まず小手を狙い、次に胴に向かうつもりだった。しかし、小手がそのまま決まってしまった。相手は僕の小手打ちを防ぐことができなかったのだ。

 僕はそのまま胴も打ったが、小手で決まっていた。

 赤旗が揚がり、僕の勝ちが決まった。

 蹲踞して立ち上がり、礼をして、皆の元に戻った。

 富樫が一番喜んでいた。

「お前、凄いな。今年は行けるかもな」と言った。

「どこに行くんだよ」と僕が言うと「ベスト八だよ」と富樫が言った。

「後、二試合勝てばな」と僕が言うと、「今日は早瀬が調子いいんだよ。俺が負けなければ、絶対にベスト八には行ける」と言った。

 実際に、そうだった。次のシード校の戦いでも、早瀬と富樫が勝って、大将戦にもつれ込んだ。

 相手は、さっきの僕の試合をビデオに撮っていたようで、監督があれこれ大将に指示をしていた。

 でも、無駄だった。

 試合開始直後に、竹刀を弾かれて、僕に易々と胴を取られた。

 次の一本は、竹刀を交えた直後、「始め」という言葉とほぼ同時に小手が決まっていた。

 向こうの監督が、僕の竹刀に文句を付けた。竹刀に何かおもりのような物が入っているのではないかという疑念だった。録画したビデオを見て、そう思ったのだろう。

 そう思うのも無理はなかった。僕の竹刀には、定国の力が宿っていたのだから。

 主審が僕の竹刀を持ち、振ってみて、相手の監督に渡した。相手の監督も振ってみて、納得したようだった。

 そして、ベスト八になるかどうかの三試合目が始まった。

 これも早瀬が勝ったことで、富樫に余裕ができた。富樫も勝った。

 僕も三度目の試合に臨んだ。

 相手はまるで間合いを詰めてこなかった。仕方ないので、こっちが間合いを詰めようとすると逃げる。だが、その先を行く速さで、切り込んでいき、面を打った。

 小手を打たれないようにしていた相手は、上部の防御がなってなかった。

 面を打たれた相手は、どうすることもできずに、僕に小手を打たれて負けた。

 礼をして戻ると、「やったー」と富樫が走って来て、抱きついた。面を被っていて良かったと思った。むさ苦しい顔が面に阻まれたからだった。

 団体戦は、今日はここまでだった。午後からは個人戦があった。それにも僕はエントリーしていた。