小説「僕が、剣道ですか? 7」

二十七

 準々決勝は、小手が二本決まって、僕が勝った。

 と同時に女子応援団の応援が始まった。凄まじかった。

 その後ろで、沙由理が盛んに手を振っていた。マスクを下ろして口を開いていたから、何か叫んでいたのだろう。だけれど、応援団の応援にかき消されていた。

 控え場所に戻ると、やはり富樫に抱きつかれた。

「お前、凄いな。ベスト四だぞ、ベスト四」と言った。

「それは分かっているよ。でも、今日は勝ちに来たからな。優勝するぞ、絶対に」と言った。

「その意気だ」と富樫は言った。

 

 続いて、女子の準々決勝戦が行われた。男子準決勝はその後だった。

 準決勝の相手は葛城城介だった。

 組み合わせ表を見ていなかったので、葛城城介が勝ち上がってくれば、準決勝で対戦することになることを知らなかったのだ。しかし、相手が葛城というのは、当然と言えば当然だったかも知れないと思った。

 

 試合場に向かう時、葛城は鋭い目を僕に向けていた。面を通してもそれが分かった。

 前に負けているだけに、勝ちたいという思いは強いのだろう。

 試合場の向こう側とこちら側に立った。そして、試合場に入って、二歩ほど進んで立ち止まり、そこで互いに礼をした。そして、三歩進んで開始線で止まった。

 そこで、竹刀の切っ先を相手に向けつつ蹲踞した。そして、「始め」の声がかかり立ち上がった。

 竹刀を少し引いて、戦う姿勢になった。

 前の時には、葛城はいち早く小手を狙ってきた。だが、今度はそうはしなかった。僕の竹刀がそれを弾くことを警戒したのだろう。

 なかなか踏み込んでは来なかった。だったら、こちらから踏み込んで行くしかなかった。竹刀が交わった。相手の竹刀は弾かれた。当然、相手はそれを予想していた。すぐに腕を引いた。これは前の時と同じだったが、それはこちらの竹刀を弾く準備だった。僕が小手を打ちに来るのを待って、竹刀を叩き付けてきた。しかし、それでも葛城の竹刀は弾かれた。面を通して、呆然とする葛城が見えた。

 竹刀を弾かれて、小手が無防備になった。僕はその無防備になった小手を打った。

 僕が一本取った。

 次は、相手はまたしても出てこなかった。竹刀を弾かれてはどうにもならないことが分かったからだ。だが、逃げていてもしょうがない。葛城が向かってきた時に、僕は踏み込んで、相手の竹刀を弾いた。向かってきていた時に、弾かれたから、相手の体勢が崩れた。胴が空いていた。僕はもう一歩踏み込んで、胴を打った。

 白旗が揚がった。僕の胴が決まり、また一本を取った。

 これで勝った。

 控え場所に戻る時に、葛城とすれ違った。

「あの無反動の対策は取ったつもりだったが、その上を行かれた」と言った。

「君は強かったよ」と僕が言うと「そんなこと思ってもいないくせに」と言ったが、すぐに「ありがとう」と言い添えた。

 控え場所に戻ると大騒ぎだった。

 富樫が抱きついてきて、「やった、やった」と言った。

 女子応援団は比較的大人しくしていた。

 富樫に「どうしたんだ」と訊くと、「主催者からマナーが悪いと注意されたそうだ」と答えた。でも、手を振ってくれた。

 沙由理も何か叫んでいた。

 監督からは、「よくやったな」と言われた。

 僕らはその後、一時退場した。この後は女子の試合だったからだ。

 

 控え室に入ると、女子応援団が顔を出して、「次も勝ってくださいね」と次々と言われた。沙由理は来なかった。

 関係者が「決勝戦です」と呼びに来た。

 いよいよだった。

 僕は面と竹刀ケースを持ち、会場に向かった。僕らが入って行くと、凄い声援がした。主催者が注意した割には、こたえていないようだった。

 相手は男子部員の声援が凄かった。部員数が多いから、控え場所に入りきらない部員は二階席にいたのだ。

 

 僕は面を被り、準備を整えた。そして、竹刀ケースの定国を触ることも忘れなかった。

今度こそ、定国の力がものをいうはずだった。

 心の中で「頼んだぞ、定国」と言っていた。

 試合場のコート線の外に立った。

 向かい側に、絶対王者の倉持喜一郎がいた。

 コート内に二歩入った。そして向き合い、礼をした。倉持喜一郎の視線が礼をしながら、僕に浴びせられていた。

 それから三歩歩んで開始線で止まった。倉持喜一郎は僕を睨み付けていた。

 互いに脇から竹刀を取り出し構え、蹲踞の姿勢を取った。

「始め」と言う声がかかり、立ち上がった。

 えい、と言うかけ声と共に倉持喜一郎の竹刀が僕に向かってきた。僕もえい、と声をかけ竹刀を合わせた。そして相手の竹刀を弾いた。

 この瞬間、時が止まるのを感じた。相手は、竹刀が弾かれて動く前に時を止めたのだ。だから、観客には、竹刀が弾かれたことが分からない。竹刀は弾かれ動いたが、それは審判も見ていない。竹刀が重なり合ったところで時は止まっていたからだ。

 倉持喜一郎は弾かれた竹刀を戻そうとした。

 その時、僕はもう一度竹刀を弾いた。今度は、こちらも動いて少し勢いをつけて、弾いた。その時の倉持喜一郎の驚きは尋常ではなかった。

 まさか、時を止めた中で僕が動けるとは、思ってもいなかったからだ。竹刀は大きく弾かれた。しかし、ここで時を動かすことはできない。倉持喜一郎はまた竹刀を合わせに来た。その間、小手ががら空きだった。僕は鋭く小手を打った。時が動いていれば、これで一本のはずだが、時が止まっているので、これは誰にも見えない。

 倉持喜一郎が竹刀を元の位置に戻した時に、また僕はその竹刀を弾き、その反動で小手をまた打った。時が止まっていることが分かっているから、今度は渾身の力を込めて打った。倉持喜一郎は竹刀を持っているだけで何もできなかった。しかし、時が止まったところまで戻さなければならなかった。僕はまた、竹刀を弾いて小手を打った。

 ついに倉持喜一郎は竹刀を落としたが、拾わざるを得なかった。そして、またも竹刀を合わせようとした。そこで、相手の時を止める能力に限界が来た。僕も時を止めるのを止めた。

 僕は相手の竹刀が弾かれるのを見て、小手を打った。赤旗が三本揚がった。僕が一本取った。

 館内は響めいた。

 絶対王者が一本取られたのだ。ざわめくのも不思議ではなかった。

 

 二本目が始まった。

 さっきのように竹刀を合わせると弾かれた。そこで彼は時を止めて戻そうとしたが、これでは小手を打たれるので、時を動かして、僕に小手を打たせに来た。僕は小手を打ちに行った。そこで彼はコンマ何秒、時を止めた。僕は油断をしていた。

 その間に彼は体勢を立て直し、竹刀を合わせてきた。その時には、時は動いていた。僕の小手がゆっくりと見えた。相手の小手が素早く、僕の小手を叩くのを見た。

 白旗が三本揚がった。

 これでイーブンになった。

 次の三本目が勝負だった。

 開始線で剣先を合わせ、蹲踞の姿勢を取った。

「始め」の声がかかった。相手が立ち上がった。

 そして、竹刀が重なると同時に僕が時を止めた。

 相手の竹刀を弾いた、それも思い切り強く。相手はそれを戻そうとしたが、面が空いてしまっていた。僕は竹刀を上段に振り上げ、定国の力で面を叩いた。

 凄まじい振動が脳を揺さぶったことだろう。相手は白目を剥いた。

 僕は竹刀を戻し、相手の竹刀を弾くところに合わせた。そして時間を動かした。

 相手は、竹刀を弾かれて、呆然と立ち尽くしていた。その小手を打ってから、えい、と気合いを入れて面を打った。

 相手は竹刀を落とした。

 そして、膝が落ち、躰が崩れた。その時から、カメラのシャッター音が聞こえてきた。

 主審が駆け寄った。

 倉持喜一郎の顔を見た。白目を剥いているのが分かったのだろう。担架を呼んだ。

 倉持喜一郎は担架に乗せられて、コートを出て行った。

 僕は開始線で蹲踞の姿勢を取っていた。主審は赤旗を揚げて、僕の勝ちを宣言した。

 僕は一人で、コートの端から二歩ほど中に入った位置に行き、相手はいなかったが、礼をしてコートを出た。

 その瞬間に女子応援団は、足こそ上げなかったが、凄い応援をしてくれた。

「勝ったぞ、勝ったぞ、鏡。優勝、おめでとう」と声を張り上げた。

 沙由理は二階席から下りようと階段に向かっていた。

 控え場所に戻ると、監督が「よくやった。おめでとう」と言った。

 富樫も抱きついてきた。

「お前、凄いな。ついに優勝だぞ」と言った。

 僕は当然のように「そうだな」と応えた。