二十七
風呂はききょうと入った。
風呂上がりに、新しく購入してきたおむつを当ててみた。タオルとは感触が異なったが、こちらの方がおむつとしてしっくりときた。おむつカバーをして、湯上がり用の着物を着せて、湯屋を出た。
風車は当分、風呂には入れなかった。傷が少し癒えたら、躰を拭いてやるつもりだった。
厠には、何とか自分で行っているようだった。
夕餉は風車はお粥だった。離れの寝床から、躰を起こして、食べさせた。ききょうも同じ物を食べた。
夕餉の時に、今日、何があったのかをもう一度、詳しくきくに話した。
「そうでしたか。京介様は出かける時には、怖い顔をされていましたが、帰ってきた時は、いつも通りだったので、事は無事に済んだものと思いました」
「そうか」
「はい」
夜は僕が離れで看病をすることにした。
きくが眠ると、時を止めて、僕は奥座敷に行き、あやめを呼び出した。
「私の記憶を読み取ることができるか」と訊いた。
「主様が許してくれるのなら」と答えた。
「それでは、今日の柳沢道場で起こったことをこれから思い浮かべるから読み取って欲しい」と言った。
「わかりました」
僕は今日の出来事を頭に浮かべた。
「読めました」とあやめは言った。
「では、離れに行くぞ」と言った。
離れに入る時、行灯の光にあやめは反応したが、それも一瞬だった。
「私の頭から読み取ったことを風車殿に見せてやって欲しい。あくまでも、夢でも見ているように」と言った。
「はい」と言うと、あやめは手を風車の額に当てた。
それはほとんど一瞬だった。
「終わりました」
「それで終わったのか」と僕が尋ねるほどに、短かった。
「ええ、もう想念は送りました。風車様が夢を見るのは、これからでしょうが」と言った。
「そうか。なら、奥座敷に戻ろう」
奥座敷に戻ってくると、「主様の剣捌きは凄まじいですね」と言った。
「そうか。あやめにも当然見えているからだな」
「はい」
「風車殿には、どれだけ効果があるのだろうか。あれを真実だと思うだろうか」
「真実だとは思わないと思いますわ。でも、いまだに、昨日のことが忘れられずにいましたから、あの映像を見れば、すっきりすると思います」
「まだ、昨日のことを夢に見ていたのか」
「ええ」
「そうか。そうだよな。あれだけのことをされたのだからな」
その時、あやめは僕の胸に顔を埋めた。
「どうしたんだ」
「主様がそのようにわたしのことを思っていてくださったことが嬉しかったのです」
「私の心を見たのか」
「いいえ、そうではありません。でも、わたしのことをどう思っているのか、それを知りたい誘惑には負けました」
「お前は美しい」と僕は言った。
「はい。その言葉の意味がよくわかりました」
僕はあやめを抱いた。
「もう、私の心を勝手に読むなよ」と言ったら「はい」と応えた。しかし、女の「はい」と言う言葉はいかにも怪しかった。
時を動かし離れに戻り、畳に寝転んでいた僕をきくが起こした。まだ、夜は明けてなかった。
「寝室でお休みください」
「そうだな」
「はい」
「つい、眠ってしまった」
「仕方がありませんわ。昨日は大変だったんですもの」
僕は頷いた。
「もう一眠りしてくる」
そう言うと、寝室に入り、ききょうの隣に横たわった。
目を閉じるとすぐに眠った。
朝は、ききょうにほっぺたを叩かれて起こされた。
一度目に叩かれた時に起きたのだが、その後、何度か叩かせた。
「こいつめ」と僕は突然、起き上がって、ききょうを抱き締めた。
ききょうは暴れて、抜け出していった。
顔を洗って、離れに行った。
風車は相変わらず布団に横たわっていた。
僕が枕元に座ると、目を開けた。
朝の挨拶をした後、「昨日はよく眠れましたか」と訊いた。
すると、風車が「妙な夢を見たのです」と言った。
「どんな夢です」
「一言では言えません」
「そうですか」
「昨日、どこかに行かれましたか」と風車が訊いた。
「柳沢道場に行ってきました」と答えた。
「どうして、柳沢道場だということがわかったのですか」と訊くので、「うなされて、そう言っていたのを聞いたからです」と答えた。
「そうでしたか。で、どうされたのですか」と風車が言った。
「道場主と大人の話をしてきましたよ」と僕は言った。
「どんな話ですか」
「いろいろです」
「いろいろとは」
「いろいろは、いろいろです。ただ、治療費はちゃんとせしめてきましたよ」と僕は言った。
「いくらですか」と訊くので、僕は右手を突き出して、五本指を立てた。
「五両ですか」と風車が言った。
「風車殿の治療費は、そんなに安くはありませんよ」と僕は言った。
「では、五十両ですか」と風車が、驚いたように言った。
「五十両……」と風車は呟いた。信じられないようだった。
「とすると、あれは正夢だったのだろうか」と風車は呟いた。
「やはり夢が気になりますか」
「ええ。でも、信じられない夢なんです。鏡殿が柳沢道場の高弟六人を打ち倒したのです」と言った。
「確かに、信じられない夢ですね」
「でしょう」
「でも、五十両手にしたんだから、同じようなものでしょう」
「それはそうですが」
「五十両は、傷が癒えるまでは、私が預かっておきます」と僕は言った。
「それはそうしてください」と風車は言った。
「今朝は普通に食べられますか」
「ええ、ここでなら」と風車は言った。
「だったら、後で朝餉の膳を持ってきますね」と僕は言った。
「何から、何までありがとうございました。あれはきっと正夢だったんですね」と言った。
僕は黙ったまま、離れを出た。