三十
風呂を出ると、昼餉が用意されるまで布団で眠っていた。
この宿には、昼に用意する御膳が決まっていて、上中下の差があるだけだった。きくと風車が相談して上にした。
昼餉が用意されると、僕は起き上がり凄い勢いで食べた。
起きてみると、お腹が空いて空いてたまらなかったのだ。
おひつはすぐに空になった。お代わりのおひつが届けられると、僕はお代わりをした。
何杯食べたのか分からなくなるほど沢山食べた。
大食漢の風車も驚いているほどだった。
食べ終わって、膳が片付けられると、僕は布団を敷いて横になった。
横になると、すぐに眠気が襲ってきた。そのまま眠った。
「京介様」ときくの声がした。
「おやつはどうしますか、と女将さんが訊きに来ました」と言った。
「近くにお菓子屋さんがあるので、そこで買って来てくれるそうです」
「何があるの」
「羊羹でも饅頭でも、団子でもぼた餅でもあるそうですよ」
「だったら、饅頭二個にあんこの団子を一串頼もうかな」
「わかりました。きくは羊羹とぼた餅を頼みます」
「そうか」
そう言うと僕はまた眠った。
ほどなく、お菓子の用意ができた。僕は起こされ、膳の上に載っている饅頭から食べ始めた。
風車は団子を五本も頼んでいた。あんことタレが二本にきなこが一本だった。
「よく眠っていられましたな」と風車が言った。
「私にとっては、厳しい戦いでしたからね」と言った。
「そうでしょう。倒れて眠っているところを見付けた時には、すっかり死んでいるものと思ったほどですから。しかし、おきくさんは、しっかりしている。鏡殿が死ぬはずはないと信じていましたからね。でも、最初に見付けた時は泣いてましたけれどね」と言った。
僕は饅頭を食べると、お茶を飲んだ。
次は串団子を食べた。
そして、もう一つ残っていた饅頭を口に入れた。
きくは、ききょうに羊羹を食べさせていた。
それにしても恐ろしい相手だった。同じく時を止められるということが、これほど力を使うことなのかということもしみじみと感じさせてくれた。
「躰はもう大丈夫なんでしょう」と風車は訊いてきた。
「ええ」と答えると、「どうです、おやつの後はこれで」と碁を打つ真似をした。
僕は笑った。
本当はまだ休んでいたかったが、風車には恩義があった。無下に断るわけにもいかなかった。
「では四子で」と僕は言った。
「四子で、いいですよ。やりましょう」
そういうと、風車は残りの串団子を素早く食べ終えると、お茶を飲んだ。
そして、部屋の隅にあった碁盤を取りに行った。
「私が食べ終わるまでは、待っていてくださいね」と言った。
「それはもう」と風車は言った。
「もう、碁ですか」ときくが言うので、僕はきくの方を向いて「仕方ないさ」と言った。
きくはぼた餅を口に入れたままで、笑っていた。
碁は風呂に入るまでに、三局やった。一勝二敗だった。
一勝は風車の見落としが原因だった。
最初に僕が二敗して、最後に勝ったので、風車は「もう一局」と言った。
その気持は分かったが、風呂にはゆっくり入ったという感じがしなかったので、「後でしましょう」と言ってしまった。
これでは、風呂に入って出て来たら、風車はすぐ碁盤を持ってきそうだった。
僕はなるべくゆっくりと風呂に入ることにした。
風呂に浸かりながら、あの技を使う一族を全滅させなければと思ったが、その一族が僕の祖先だったらどうしようと思い至った。
その可能性はあった。
とすれば、全滅させては僕は生まれてこないことになる。タイムパラドックスという奴だ。
次に同じような敵に当たったときに考えなくてはならなかった。
しかし、当面の危機は避けなければならなかった。
やっつけた相手が鏡姓でないことを願うばかりだった。
髭を剃った。大して伸びていなかった。記憶はなかったが、朝剃ったからだろう。
躰をゆっくりと洗った。節々が痛んだ。疲れは至るところに潜んでいた。
湯船に浸かった。
風車が近付いてきた。
「またやってくるでしょうか」と訊いた。
「何度でも来るでしょう」と僕は答えた。
「これだけ鏡殿にやられているのに、懲りないのですかね」
「上からの命令なので、しょうがないのでしょう」
「そうなんですか」
「でも、相手も数が足りなくなってきたのは確かです」
「そうなんですか」
「ええ、手練れの者が少なくなってきました」と言った。
「それなら、もうやらなければ良いのに」と風車は言った。
「私もそう思いますよ」と言った。
風呂を出ると、風車は早速、碁盤を持ってきた。
僕は洗ったトランクスとバスタオルと手ぬぐいを掛け竿に掛けると、碁盤の前に座った。
すでに四子が置かれていた。そして、風車の第一子も打たれていた。
僕は黒石を取ると、その石を挟むように打った。取りに行くのではない。白石を圧迫して逃げさせながら、囲んでいく戦術をとったのだ。
囲碁をしながら考えた。
相手ももう余分な駒はない。これまでのように無闇に襲ってくることはしないだろう。とすれば、どこかで最終決戦を挑んでくるだろう。やっかいなのは、この間の時を止められる相手だった。その者と同じ力を持った者がそこにいたら、戦いは激しいだけでなく、大変難しいものになる。しかし、僕ならそうする。
僕が考えるくらいなのだから、敵も考えていると思った方がいい。
次の戦いが、最後の山になるかも知れなかった。
碁は大きく囲った僕があっさりと勝ってしまった。こんなに大勝したのは初めてだった。
「もう一局」と風車が言った。
次の局も僕が勝った。
無理に石を取りに行かずに、最初に置かれた四子を軸に囲えば、自然に勝てるのだ。それに僕は気付いてしまった。
「もう一局」と言った風車が「今度は三子で行きましょう」と言った。
僕は「いいですよ」と言った。
三子になると、今までと、まるで違った。一隅は必ず相手が囲うことになる。三箇所囲えたとしても、一隅を大きく囲われると、三箇所の囲いでも数で足りなくなる。
こっちは守っているだけでは勝てなくなっていた。
三子では大敗した。
そのころ夕餉の膳が運ばれて来た。
僕らは碁を止めて、夕餉を食べることにした。
昨夜はただ食べるだけだったが、今日は味わうことができた。