小説「僕が、剣道ですか? 4」


 それから三日後、四月二十七日の昼頃だった。
 高木屋に男が来て「鏡京介様はいらっしゃいませんか」と言うので、下りていくと、上がり口に行商人が座っていた。
「私が鏡京介だが、あなたはどなたですか」と訊いた。
「名乗るほどの者ではございませんが、行商をしている七兵衛と言います。白鶴藩の御家老島田源太郎様から手紙を預かって参りました」と答えた。
 僕はその手紙を首を長くして待っていた。
「早く渡してくれ」と言うと、「済みませんが、配達料として三百文頂けませんか」と言う。そして、書付けを渡した。そこにはこう書かれていた。
『鏡京介殿 申し訳ないが、この手紙を持って行った者に三百文を渡して、手紙を受け取って欲しい。 島田源太郎
「分かった。今、取ってくるから待っておれ」と言うと、その書付けを懐に入れて、僕は二階に上がり巾着の中から三百文取り出し、階下へ下りて行った。
 行商人に三百文を渡し、手紙を受け取った。
 僕はすぐ部屋に戻り、手紙を開けた。
『鏡京介殿 お久しぶりでござる。貴殿より、手紙を貰い、驚いた次第でござる。この五年間、何の音沙汰もなかった貴殿から、突然、手紙が来たのだから、無理もないことと思われよ。父、島田源之助は隠居して、今、家老職は拙者島田源太郎が継いでいる。神隠しに遭われたとは、何とも奇矯なことであった。さぞかし、苦労したことであろう。早く、当藩に戻ってきて欲しい。通行手形については、鏡京介殿、おぬしの分と、きくとききょうの分も一緒に送るので受け取って欲しい。一日も早く、会いたいものだ。待っておる。 島田源太郎
 手紙にはそう書かれており、通行手形が僕ときくとききょうの分が添えられていた。
「誰からの手紙でしたの」ときくが訊くから、「島田源太郎様からだ。今は家老職に就かれている」と答えた。
 そして「これからこれを持って番所に行ってくる」と言った。
 きくは「わかりました」と応えた。

 番所に行き、役人に通行手形を見せた。
 通行手形を見た役人は「わかった」と言った。
 僕は「明日、口留番所に行き、隣の鷹岡藩に入りたいのですが、口留番所へはどう行けばいいのでしょうか」と訊いた。
「大通りを真っ直ぐ北に五里ほど進めば、口留番所がある。そこで、この通行手形を見せれば、通れる」と言った。
「ありがとうございました」と言って、僕は番所を出た。

 宿に戻ると、きくに「明日、朝餉をとったらこの宿を出発する。通りを北に向かって五里ほど先に口留番所があるそうだ。旅の準備をしてくれ」と言った。
 それから巾着を持って、階下の帳場に行った。
「明日、朝餉をとったら、ここを出る。今までの宿泊代を精算したいので、お願いする」
 そう言うと番頭が宿泊帳を持ってきて、「十七日から二十七日までの十一日間お泊まりです。十七日に六百文頂いていますので、六千文、つまり残りは一両と二千文になります」と言った。僕は巾着から一両二千文を出して、番頭に渡し、番頭からは『済』と丸で判が押された紙を貰った。その時、「これが代済みの証です」と番頭は言った。
「分かった」と言って、僕は部屋に戻った。巾着には、四十三両と百十六文が入っていた。

 銭湯に入って、夕餉をとった。ききょうはすりつぶしたご飯をかなり食べた。
 夕餉後は、きくはききょうの哺乳瓶などを煮沸消毒に行った。しばらくすると、ガーゼに包み、さらに白いタオルで包んだ哺乳瓶などを持って、きくは部屋に戻ってきた。
 僕は長袖のシャツ、肌着、トランクス、ジーパン、折たたみナイフ、畳んだ大小のナップサック、ショルダーバッグを一枚目の大きな風呂敷に包んだ。次の大きな風呂敷には、ビニール袋に入れた安全靴、タオル類、ききょうの哺乳瓶などを包んだ。
 小さな風呂敷には、大きな風呂敷には包みきれなかった物を包んだ。
 夜は明日のことがあるので、ゆっくりと早めに眠った。

 次の朝は、起きて顔を洗うと、すぐに朝餉をとった。おひつに余ったご飯はおにぎりにしてビニール袋に入れ、小さな風呂敷に包んだ。そして、庖厨を借りて、ききょうのミルクを作った。竹水筒に水を入れると、出かける準備が整った。残した物はないか、確認して部屋を出た。
 階下に下り、草履を履くと、宿を出た。そして北に向けて歩き出した。

 四里ほど行ったところで町に入ったので、蕎麦屋に入り、もり蕎麦を二つ注文した。
 ききょうには乳を飲ませた。
 後一里ほどで口留番所に着く。それまで歩いた。途中で休み、ききょうには哺乳瓶からミルクを飲ませた。僕たちはビニール袋に入れたおにぎりを分けて食べ、竹水筒の水を飲んだ。
 再び、歩き出すと、間もなく口留番所が見えてきた。
 口留番所の中に入り、通行手形を出した。奥に目付の高科十兵衛がいた。目が合ったので、目礼をした。
 役人が来て、耳元で「口役銀を」と言った。
「いくらですか」と訊くと、「一人一分だ」と言うので、一両を差し出すと、その役人はにやりと笑い、荷物も改めずに「行っていいぞ」と言った。
 口留番所の門を通過して、歩き出そうとした時、僕は時間を止めた。目付の高科十兵衛が許せなかったからだ。彼が口留番所に来ていたのは、中越宿の番所から知らせが行って、今日、僕たちがここを通ると思ったからだろう。騒ぎ立てずに通過するのを見届けようとしたのに違いない。それにしても、首領の首十両ネコババされたままでは、腹の虫が治まらなかった。十両盗めば首が飛ぶ時代である。それ相応の処罰を受ける理由が、目付の高科十兵衛にはあった。
 僕は番所の中に座っている高科十兵衛の背後に回り、着物の腹の部分をはだけた。そして彼の脇差を抜き、懐紙で中程まで包んで、切っ先を腹に当てた。それから、切っ先を腹に突き刺し、真一文字に腹を切った。
 そのまま番所を出ると、きくとききょうの元に戻り、時間を動かした。
 番所の中では大騒動が起こっていた。
 僕たちはそれを無視して、街道を先に進んだ。