小説「真理の微笑 夏美編」

四-三
『隆一様
 わたし、考えたの、居場所を教えられない理由を。女の人ができたんじゃないの。きっと、綺麗な人なんでしょう。その人に夢中なのよね。でもね、それでもいいから、わたしの事も忘れないでね。きっとよ。   夏美』
『夏美へ
 誓って言うが、女が原因じゃない。  隆一』
『隆一様
 あなたは否定するけれど、女の人が原因じゃなかったら、どうしてわたしたちを見捨てる事ができるの。わたしはあなたに会いたくてたまらないの。どうして会えないの。そのわけを教えて。お願いします。教えてください。  夏美』
『夏美へ
 もう一度言うが、会えないのは女が原因じゃない。俺も夏美に会いたい。しかし、それができない。わかってくれと言っても無理だろうけれど、わかって欲しい。  隆一』
『隆一様
 あなたが「女が原因じゃない」と書いてくれた言葉を、わたしは信じます。
 公園に行っても祐一と二人ぼっちです。かつてのわたしのように他の母親たちは、小さな子どもを遊ばせて、楽しそうに話をしています。でも、今のわたしにはそういう事はできません。第一、あなたのことを訊かれても答える事ができないし。ただ、まだ友だちもできなくて、鉄棒に一人ぶら下がっている祐一を見ると、不憫になるのです。
 でもね、今日、公園に行ったら祐一が「ぼく、足かけ上がりができるんだよ」と言って見せてくれました。
 鉄棒に逆さにぶら下がり、鉄棒に片足をかけるんです。そして、上半身を伸ばしながら躰を揺らし始めたの。それを何度か繰り返したら、くるっと回って、鉄棒の上に起き上がったんです。わたしの方を見て、笑ったのですが、見ていて落ちやしないかとヒヤヒヤしました。隆一さん、あなたにも見せたかった……。
 だから、教えてください。あなたは今、どこで何をしているのか。  夏美』
『夏美へ
 祐一は足かけ上がりができるようになったんだね。教えてくれてありがとう。
 わからないかも知れないが、こうしてパソコンを使ってメールのやり取りをしている事は、誰にも教えてはならない。誰も知らなければ一緒にこれからも歩いていけるのだから。  隆一』
『隆一様
 あなたの居場所を教えてくれないのには、きっと理由があるのでしょう。会えないのにも、理由があるのに違いありません。こうして何度訊いてもあなたは答えてくれない。
 きっとあなたには、わたしがあなたを責めているように思えるのでしょうね。
 そんな事はありません。
 こうして、誰も知らないパソコンを使ってのメールがわたしとあなたとの生命線になっています。これを誰にも教えるなというあなたの言葉は、わたし、死んでも守ります。
 あなたが書いてくれた「誰も知らなければ一緒にこれからも歩いていける」という言葉にわたしはすがります。  夏美』
『夏美へ
 辛いだろうが、そうしてくれ。  隆一』
『隆一様
 昨夜は、急にあなたが恋しくなって眠れませんでした。だから、祐一の小さな手を握りました。すぐに嫌そうに離しましたが。
 川の字になって眠っていた時に、祐一をまたぐかのように手を繋ぎましたね。そしたら、しばらくして、あなたはわたしの方に来た。わたしは嬉しかった。
 今となっては二人目の子どもが欲しかったと思っても仕方がありませんよね。もはや、かなわない事ですから……。
 隆一さん、わたしの苦しみを救ってください。
 隆一さん、わたし、あなたの夢をよく見るの。夢の中のあなたはとても優しい。そして、わたしの大好きなキスをしてくれるのです。
 隆一さん、わたしはもう二度とあなたとキスをする事ができないのでしょうか。
 隆一さん、わたしはあなたの唇を忘れる事ができません。       夏美』
『夏美へ
 俺もお前の唇を思う時がある。それがどんなときか……。書けない。とにかく、一生、お前とのキスは忘れない。  隆一』
『隆一様
 あなたが失踪した日の朝の事を思い出すのです。
 あの時、わたしは何も気付きませんでした。きっとあなたは思い詰めていたでしょうに、それに気付く事ができませんでした。
 その日の朝、わたしたちは普通に朝食をとりましたよね。何にも変わらない一日のはずでした。あなたが車で出かけていくのをわたしは祐一と見送りました。それが最後です。
 それっきり、あなたは消息を絶ちました。二日待ってもあなたは帰っては来ませんでした。ですから、警察に相談に行きました。すると捜索願を出すように言われ、その用紙に書いてきました。そして、生存連絡のお願いも一緒に提出しました。
 そして何の連絡もなく二ヶ月が過ぎました。しかし、ある日、突然あなたから電話がありました。最初の時は、何も言いませんでしたね、でもあなたからだと思いました。次にかかってきた時には、声こそ変わっていましたが、あなただとすぐわかりました。わたしはあなたが生きていてくれた事を感謝しました。さすがに二ヶ月も連絡がなければ、行方不明の死体となっているのかと思ってもきていたからです。警察にもよく足を運び、行方不明者の死体で、あなたに似たような人がいないか尋ねてみたほどです。しかし、そのような事がないと知ると安心する一方で不安もつのっていたのです。
 そんな時でした、あなたからの電話があったのは。わたしは、受話器を耳に押し当てながら泣きました。あなたが生きている。それがわかり、わたしはとても安心しました。そして、あなたを追い求めていた苦しさからやっと解放されたと思ったのです。
 でも、あなたは会えないと言いました。わたしが、なぜ、と訊いても答えてはくれませんでした。ただ、会えない。あなたの口から出る言葉はそれだけです。
 ねぇ、あなた。わたしがどれほどあなたに会いたいと思っているか、わかる。わからないでしょうね。今のわたしは全てを失ってもいいからあなたに会いたいと思っているのよ。
 お願い。あなたに会いたい。お願いします。あなた、あなたの顔をもう一度見たい。見せてください。 夏美』
『夏美へ
 俺もできる事ならお前に会いたい。しかし、それができないから、こうしてメールでやり取りをしている。今は、これが精一杯なんだ。わかって欲しい。  隆一』