九
僕は病院のベッドの上にいた。
僕が呻くと「京介」と母が僕を呼んだ。僕は母の顔を見た。
母はナースコールを押した。すぐに看護師が来て、僕を見て「先生を呼んできます」と言った。
僕は母に「携帯を持っている」と訊いた。母は頷いた。
「僕の部屋にきくやききょうがいるはずだ。父に確認して欲しい」と言った。
「わかったわ」と母は言った。以前の経験があるから、すぐに携帯をかけた。そして、父に京介の部屋に行くように言って切った。その時、医師がやってきたからだった。
医師は僕の目蓋を開いてペンライトで見た。左右を確認すると、「わたしが見えますか」と言った。僕は頷いた。
手を開いて、三本指を立てた。
「これは何本ですか」と訊いた。
「三本です」と答えた。
医師は頷いて、「意識は戻ったようですね」と言った。
「明日、精密検査をしますからね」と言った。
「分かりました」と僕は言った。そうすると、医師は看護師に何か言って出て行った。
その時、母の携帯に父から電話が入ったようだ。母は部屋の隅に行って、何か話をしていた。
僕はその間に、体温と血圧を計られた。それをメモして、看護師は「また、明日来ますね」と言って、出て行った。
母が僕の側に来ると、「おきくさんと一歳半ぐらいの女の子と男の赤ちゃんがいると言うの」と言った。
「それは、きくとききょうと京一郎だ」と僕は言った。
「どういうこと」と母は言ったが、僕は「早く帰って、三人を温かくさせて」と言った。
母は「お父さんが、これから三人をお風呂に入れて、着替えさせると言ってたわよ」と言った。
「それでいい。とにかく親父を手伝ってやって」と言った。
母は僕に自分の携帯を持たせて、「何か伝えたいことがあったら、これで知らせて」と言った。
「分かった」
「明日、あなたの携帯を持ってくるわ」と言った。
家に着いた母から、携帯に電話があった。
「お父さんでなくても、びっくりするわね」というのが母の第一声だった。
「おきくちゃんも少し大きくなったけれど、あのききょうちゃんはどうしたの。急に大きくなっちゃって。それに男の赤ちゃんでしょう。お父さんじゃなくても驚くわよ」と言った。
「きくに代わってくれる」と僕は言った。
「ちょっと待ってて」と母は言った。
少ししてきくが出た。
「京介様」と訊いた。
「そうだ。きく、大丈夫か」と訊き返した。
「ええ、わたしもききょうも京一郎も大丈夫です」と言った。
「その他の物は、僕の部屋にあるか」と訊いた。
「ええ、全部あります。確認しましたから」ときくが答えた。
「そうか」
「今日は、居間で寝ます。京介様のベッドの上が濡れているから」
「分かった」
「明日、お母様と一緒に行きますね」と言った。
「無理しなくてもいいんだぞ」
「ええ、わかっていますわ」ときくは言った。
そして母に代わった。
「これから、どういうことがあったのか、おきくちゃんに訊くけれど、わたしの頭は混乱しそうよ」と言った。
「そうだろうね」
「一応、言っとくけれど、あなたが意識を失ってたのは、三日よ。わかった」と母が言った。
母も馬鹿じゃない。僕が意識を失っていた間に、どこかに行って、かなり長い時間を過ごしてきたことを分かっているのだ。ききょうが大きくなったことと、男の赤ちゃんを連れてきたからだった。
「分かっている。おかしなことは言わないよ」
「頭はしっかりしているようね」と母が言った。
「幸いにもね」と僕は返した。
「じゃあ、また明日。十時頃、行くわ」
「分かった」
それで携帯が切れた。
夜の十時になった。
僕は目を閉じたが、いろいろなことが頭を駆け巡って眠れそうになかった。ナースコールを押した。
「どうしました」
「眠れないんです」と言った。
「では、眠剤をお持ちしますね」と看護師は言って、病室から出て行った。
まもなく、眠剤とコップに入った水を持ってきた。
僕は眠剤を飲んで眠った。
朝の七時に起きた。検温と血圧を計りに看護師が来ていた。
「気分はどうですか」
「まぁまぁです」と答えた。
「平熱ですね。今日はいろいろな検査があります。これがその一覧表です」と僕にプリントアウトされた紙を見せた。午前九時に心電図を取ることから始まり、午後二時からはCTスキャンが入っていた。その後は、認識検査と心理検査だった。
血液採取と採尿も入っていたが、それは今するそうだ。
左腕に針を刺されて、血液を採られた。それから起こされて、トイレに行った。僕はおむつを穿いていた。尿をカップに採るとトレーに置いた。
午前八時になると、簡単な食事が出た。ほとんど流動食だった。
「段々に慣れていきましょうね」と看護師が言った。
「後、どれくらい入院していなければならないんですか」と訊いた。
「一週間は経過を見ないとですね。何しろ、昨日まで意識がなかったんですよ」と答えた。
はぁー、一週間か、と思った。
午前九時になると、看護師が来て、心電図を取る場所に連れて行った。その間に、身長と体重が計られた。心電図を取るのは簡単だった。
すぐに病室に戻された。
そして、母ときくがやってきた。
僕は母に携帯を返し、僕のをもらった。きくは僕の手を握った。
母は僕の着替えを持ってきていた。僕はトランクスを取り出すと、すぐにトイレに駆け込んで、おむつからトランクスに穿き替えた。おむつはビニール袋に入れて、ゴミ箱に捨てた。
きくは母のワンピースを着ていた。ちょっと大きめだった。
「どこも悪くなさそうね」と母が言った。
「そりゃ、そうだ。それより、ききょうと京一郎はどうした」と母に訊いた。
「あの男の赤ちゃんは、京一郎と言うのね」
「そうだよ。きくに訊かなかったの」
「訊いた気がするんだけれど、その他のことで頭がいっぱいだったの」と母が言った。
「孫の名前だよ」と僕が非難するように言った。
「そうよね」と母も認めた。
「で、どう」と僕はきくに訊いた。
「今のところ、大丈夫です。前にも来たことがありますから。申し訳ないんですけれど、お父様に面倒をみてもらっています」と言った。
「そうか」
「この後、おきくちゃんの服を買いに行くの」と母が言った。
「そう」
「前のじゃあ、もう着れないの。だから、しょうがないから、わたしのワンピースを着せたけれど、似合わないでしょう」と母が言った。
「まぁ、そうだね」と僕は言うしかなかった。
「向こうでは、一年ぐらい経っているのかしら」と母が言った。
「よく分からないけれど、そうなるのかな」と僕が言った。
「でも、あなたは歳をとらないのね」と母が言った。
「三日しか経っていないからね」と僕が言うと、母が「だから、混乱するのよね」と言った。
「それは僕も同じだよ」と言った。
それから、ききょうと京一郎の様子を聞くと、二人は出て行った。