小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十七

 安全防犯対策課に戻ると、退署時間になっていた。僕は鞄を取ると、「お先に」と言って、安全防犯対策課を出た。

 家では、きくが出迎えてくれた。

「お風呂になさいますか」と訊くので、「そうしよう」と答えた。

「塩辛って食べますか」と訊くので、「食べるよ」と言った。

イカを買ったので、お義母様に教わって、作ってみました」

「そうか」

「初めて作ったので、美味しいか、どうか」と不安そうなことを言う。

「きくは食べてみたんだろう」

「ええ」

「どうだった」

「わたしには、ちょっと……」と言った。きくの口には合わなかったのだ。慣れると美味しいんだがな、と思った。

 とにかく、風呂に入った。

 そして、風呂上がりのビールのつまみに、その塩辛が出た。

 食べてみた。塩加減も丁度良く、美味しかった。

「美味いじゃないか」と言うと、きくはホッとした顔をした。

 

 夕食は、鯛の炊き込みご飯だった。

「何かいいことがあったのか」と僕がきくに言うと、「特にそういうわけじゃあ、ありませんが、生まれてくる赤ちゃんは男の子だそうです」ときくは言った。

「そうか、男の子か」と僕は言った。

 そして、京一郎に「お前に、弟ができるな」と言った。京一郎は頷いた。

 イカはその他に里芋と煮付けたものとげそを揚げたものが出た。

 塩辛はききょうは食べたが、京一郎は一口、口にすると、皿を僕の方に押しつけてきた。

「京一郎は塩辛は駄目か」と訊くと、「だって、生臭いんだもの」と言った。

 京一郎の分は僕が食べた。

 

 次の日、僕はひょうたんを鞄に入れて出署した。

 安全防犯対策課に行くと、ひょうたんを鞄から出してズボンのポケットに入れた。そして、緑川に「ちょっと出てくる」と言って、安全防犯対策課を出た。

 四階の待合室の隅の席に座ると、ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、あやめに会議室に行かせた。捜査会議の内容が知りたかったのだ。

 あやめが戻ってくるまでは携帯を見ているしか方法がなかった。

 お昼頃、あやめは戻ってきた。そして、すぐに映像を送ってきた。

 映像を全部受け取ると僕は立ち上がった。

 愛妻弁当と水筒を取りに安全防犯対策課に行った。そして、それを取ると屋上のベンチに行った。

 弁当を開けながら、映像を再生した。

 捜査本部席には、署長、管理官、捜査一課長、捜査二課長、サイバーテロ対策課長が座っていた。

 署長がマイクを持って挨拶をし、中上の取調の状況を捜査一課長に訊いた。

 捜査一課長はマイクを持って、「捜査一課長の相沢です。中上の取調は二係がやっているので、後で詳しい報告があるでしょう。今のところ、連続放火事件については、最後の一件だけを残して、他はやってないと主張しています。その他については、主にパソコンを使った詐欺ですが、それは認めています。そちらは二課に報告してもらいます。最後に、サイバーテロ対策課から、連続放火事件の実行犯だというメールが多数寄せられているのでそれがどうなのかということと、中上の二月二十六日のアリバイと五月二十二日の放火について動機がわかったという知らせがありましたので、報告してもらいます。まず、二係から報告してください」と言って座った。

 マイクは二係に渡り、岡山が立ち上がった。

「二係の岡山です。五月二十二日の放火については、自分がやったと自供していますが、それ以外は否認しています。声明文はどうやって書いたのかということに対しては、メールで送られてきたとか、自分で考えたとか、供述が二転三転しています。後で報告があると思いますが、二月二十六日、三月二十八日と四月二十九日の放火については、中上自身についてはアリバイがあるので、他に実行犯がいるものと見て、交友関係などを当たっていますが、今のところ、それらしい人物は出てきません。ネットを通して、実行犯を募ったというのが、もっとも有力ですが、これはサイバーテロ対策課の報告を待ちたいと思います」と言って座った。

 次に二課の課長がマイクを握った。

「捜査二課長の杉村です。中上は偽のウィルス除去ソフトを使った詐欺を二万件以上行っています。また、偽のクラウドサービスによる詐欺も数百件に及んでいて、今、被害届を呼びかけている最中です。今、被害届は偽のウィルス除去ソフトに関しては百五十六件、金額にして七万八千円。偽のクラウドサービスについては十八件、金額にして五万四千円でありますが、これはまだまだ増えると考えています」

 最後に、サイバーテロ対策課の課長がマイクを握った。

サイバーテロ対策課の課長谷崎です。まず、放火事件の実行犯だと名乗るメールについては、出所を確認した上で、すべてが虚偽のものだとわかりました。また、中上のパソコンを解析していますが、放火の実行犯を募った形跡はありません。次に二月二十六日のアリバイですが、この日は偽クラウドサービスの画面作りなどを一日中していることがわかりました。これは中上のパソコンの解析結果から出たことです。その後、中上が偽クラウドサービスを始めていることからしても、二月二十六日は一日中パソコンを使っていたものと思われます。また、五月二十二日の放火の件ですが、その動機は仮想通貨の下落だと思われます。中上は四月二十七日に、他人のパソコンに分散して隠していた自分の預金を全額、ある仮想通貨に換えたのですが、五月に入ってからすぐに下落し出して、現段階でおよそ三十五%損失をしています。それでむしゃくしゃしていたのだと推量します。これは捜査一課二係で取り調べてもらえばわかることだと思います。また、他人のパソコンを乗っ取って使用していることから、電子計算機損壊等業務妨害罪、および威力業務妨害罪としても立件するつもりです」と言って座った。

 捜査一課二係の岡山がマイクを握り、「二係の岡山です。今、谷崎課長の言われたことを受けて、中上の取調を行ったところ、五月二十二日の放火は仮想通貨の下落にむしゃくしゃしていたという供述を得ています」と言って座った。

 最後に署長がマイクを握って、「今の報告によれば、放火事件については、五月二十二日の放火は中上本人の自供もあるので、中上がやったと確認できているが、二月二十六日、三月二十八日と四月二十九日の放火については、声明文を出しただけで本人はやってもいないし、他に実行した犯人も、実行したというメールが届いただけでこれも偽物だと判明した。ということは実行犯は依然として見つかっていないことになる。しかし、放火は実際に起こっているのだから、誰かがやったことには違いがない。声明文がある以上、中上がやらせた可能性が高いが、そのあたりを追求してもらいたい。と同時に、パソコンを使った詐欺が多数行われているので、この解明と被害届を多く出してもらうように努力してもらいたい。次回は月曜日の午前九時とする。他に意見が無ければ、これで散会する」と言って座った。意見を言う者はいなかった。

 捜査会議は終わった。

 

 時計を見ると、午後二時近かった。

 水筒のお茶を飲むと、そっと安全防犯対策課に戻った。

 緑川が「長いお昼でしたね」と嫌味を言った。

 

 捜査会議の映像を見る限り、放火事件については、五月二十二日の放火は中上本人の自供があるので、中上がやったものと確認ができた。ただ、二月二十六日、三月二十八日と四月二十九日の放火については、他に実行犯がいるものとして捜査を継続していくようだが、これも無駄足になるだろう。パソコンを使った詐欺については、追々と全貌が判明していくことだろう。

 とにかく声明文についてだけは、僕に責任があるからどうなるのか、心配していたが、二月二十六日のアリバイも成立しそうなので、中上本人が実行したということだけは避けられた。そして、他に中上に依頼を受けて実行したという犯人も見つからないだろう。

 四月二十九日の放火が、死者が出ているので事件としては大きいが、これは戸田喜八がやったことだということは僕だけが知っている。この件についても中上にはアリバイがあり、他に実行犯がいないとなれば立件はできないだろう。そうなると、中上の詐欺の方が、数が多い上に罪が重い。これをしっかりと解明してもらいたいものだと思った。

 連続放火事件は、黒金署としては大きな事件だっただけに、一山越えたという気分が、マイクを握る署長の声からも感じられた。後は地道な検証と捜査が残るだけだった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十六

 次の日、黒金署に行くと、署内は大変なことになっていた。いろんな部署の電話が鳴りっぱなしだった。それにマスコミが押しかけていた。署に入って行こうとする僕にまで、マイクを向けられたから、「何のことだか分からない」と答えて、署内に逃げ込んだ。

 僕は安全防犯対策課に行き、鞄を置くと、緑川に「どうしたんだ」と訊いた。

 緑川は呆れたような顔で、「今朝、テレビを見なかったんですか」と訊き返された。

「見なかった」と答えた。

「放火の実行犯は俺だ、というメールが十数件、各マスコミに届いたそうです。今、その対応に署内は追われているんですよ」と言った。

 昨日の夕方のニュースが引き金になったようだ。犯行声明文を送った中上と同じような気分で、自分が犯人だぞというメールを送っているのだろう。

 僕はパソコンを起動して、それらのメールを読んだ。明らかに稚拙なものもあったが、中にはそれらしいものもあった。それらはネットオタクが書いたものだろう。そうなると出所を追跡するのもやっかいだ。

 

 サイバーテロ対策課に行った。みんな、忙しくしていた。近くにいた職員に警察手帳を見せて、「どうなんだ」と訊いた。

「大変ですよ。この報道がされてから、またメールが増えているんですよ。マスコミが一番やっかいです」と答えた。

「そうか。頑張ってくれよ」と言って、サイバーテロ対策課を離れた。

 二課に行った。やはり、忙しくしていた。中上のパソコンを使った詐欺は、偽のウィルス除去ソフトだけではなかったのだろう。

 課長席に行くと、杉村康は僕を邪険には追い払わず、今の状況を簡単に説明してくれた。

 それによれば、中上には海外の口座がいくつかあり、分かっているだけでも五千万円を超えるそうだ。最終的には一億を超えるんじゃないか、と言っていた。それだけのお金をどうやって手にしたのか、目下、調査中だということだった。

 僕は課長に礼を言って、二課を離れた。

 一課には行かなかった。今はピリピリしているのが分かるからだった。

 

 安全防犯対策課に戻ってきた。ここだけはのんびりとしていた。

 今はすることがなかった。

 僕はパソコンを起動した。そこには、サイバーテロ対策課から転送されてきたメールが三十件あった。

 サイバーテロ対策課の課長名で『このメールの出所を特定してください』というメールが添えられていた。

 僕は、滝岡を呼んで、「このメールを解析してくれ」と言った。

 滝岡は、中上を特定したのは自分なのに、その功績をサイバーテロ対策課に譲った一件があったので、ふてくされていた。

「そんなの課長がやってくださいよ」と言った。

 僕は冷静に「これは命令だ。そっちのパソコンに転送するから、解析をするように」と言った。

 他の者にもメールを転送して、声を大きくしてメンバー全員に「このメールの出所の解析は滝岡に任せたから、みんなはメールから読み取れることを探して欲しい」と言った。

 

 そのうちにお昼になったので、僕は愛妻弁当と水筒を持って、屋上のベンチに向かった。

 今日は卵焼きがハートマークになっていた。

 レンコンの煮付けを食べながら考えた。このメール騒動は二、三日中には収まるだろう。ただ、メール騒動によって、中上の指示によって放火した者がいる可能性も高まった。メール騒動を契機に、二係の取調はそこに集中していくことだろう。

 中上は五月二十二日に放火をしている。周到に放火場所を探して、人がいないことを確認してから火をつけているのだ。そして、犯行声明文を警察やマスコミに送っている。今までは、単なる愉快犯だと思っていたが、中上がパソコンを使ってかなり手広く詐欺をやっていたことを考えると、そんなに単純ではないような気がしてきた。放火はパソコンを操作しているのとは違うのだ。実際の行動が必要だった。

 五月に入って、何か面白くないことが中上に起こったのだ。思うに、相場が下落したのではないか。それで大損したのに違いない。

 中上の映像を再生してみた。しかし、そのあたりは分からなかった。中上の表面的な意志しか映像化していなかったからだ。明日、あやめの入っているひょうたんを持ってきて、そこについて、中上の頭の中に入ってみようと思った。そして、もう一つ、思いついたことがあった。アリバイのない二月二十六日についてのことだった。確か、新しいアイデアが浮かんで、それに夢中になっていたのだ。新しいアイデアについてはそこまでにして、追求はしていなかった。すべきだった。おそらくそれは、新しい詐欺の手口を思いついたのではないか。そんな気がした。これも確認したかった。

 前者は放火の動機が分かる。後者は、二月二十六日の間接的なアリバイになるのではないか。中上のパソコンには使用履歴も残っているはずだ。そうでなくても何らかのソフトを作っていれば、その作成年月日と時間もスタンプされる。その時間が分かれば、アリバイになる。

 

 僕は弁当を食べ終わると、水筒のお茶を飲んで、安全防犯対策課に戻った。

 滝岡が「このメールの解析はいつまでに終わらせればいいのですか」と訊いた。

「明日の午前中いっぱいでお願いする。午後には、サイバーテロ対策課に持って行くから」と答えた。

「メールで依頼が来たのだから、メールで返せばいいじゃないですか」と滝岡が言った。

 僕は「確かにそうだが、こちらにも都合があるんだ」と応えた。

 午前中に、あやめに中上の頭に入らせて、こちらの欲しい情報を得る。それを基に、サイバーテロ対策課の方にパソコンの解析の方向付けをそれとなくする。それが今、考えていることだった。

 

 次の日、僕はひょうたんを鞄に入れて署に行った。

 安全防犯対策課に着くと、鞄からひょうたんをズボンのポケットに移して、緑川に「ちょっと出て来る」と言って、五階のトイレの個室に向かった。そこでズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「中上の二月二十六日の映像と、四月下旬から五月二十二日までの映像を取ってきてくれ」と言った。

「取調の様子はいいんですか」とあやめが訊くから「それはいいんだ」と答えた。

「はーい」とあやめは言った。

 あやめが戻ってくるまで、トイレの個室で時間を潰すのは大変だった。

 そのうち、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「映像を送れ」と言った。

 目眩とともに映像が送られてきた。僕はそれを受け取ると、トイレから出て、安全防犯対策課に戻った。デスクに座って、パソコンを見ているフリをしながら、映像を再生していた。

 二月二十六日は、中上はパソコン上の新しい詐欺の方法を思いついたのだ。偽のクラウドサービスを始めようとしていた。クラウドサービスというのは、ネット上にデータを保存したり共有したりすることができるサービスのことだ。そのための画面作りを一日中していた。これは押収したパソコンを解析すれば分かることだった。画面を作るためのソフトにデータを保存する度にタイムスタンプが記されるからだ。もちろん、書き換えることもできるが、書き換えても痕跡は残るし、中上には書き換える理由がなかった。

 四月二十七日は、この日、他人のパソコンに隠しておいてあった自分の海外の預金を、全額仮想通貨に換えていた。しかし、五月になって、その相場が下落したのだ。彼は自分の財産の三分の一ほどを失った。

 それでむしゃくしゃしていたのだ。その時に連続放火事件のテレビを見たのだった。

 放火でもしてスカッとしたい気持ちがその時に湧き起こった。

 僕は中上が事を起こした時は彼を逮捕することに夢中になっていて、動機までは深く考えなかった。

 映像を再生し終わると、滝岡に「メールの解析はできたか」と訊いた。

「もう、とっくに終わっていますよ」と言う声が滝岡からした。

「他の者はどうだ」と訊くと「読み終わって感想をデータ化しています」と言う声が上がった。

「じゃあ、データを私のパソコンに送ってくれ」と言った。

 各メンバーからデータが送られてきた。僕は、それをUSBメモリに落とした。滝岡からもUSBメモリを受け取ると、 安全防犯対策課を出た。

 そして、サイバーテロ対策課に行った。

 課長の谷崎に「言われたメールを解析しました」と言って、USBメモリをデスクに置いた。

「お疲れ様でした。こっちはまだこんな風です」と言って、忙しくしている課員を見せた。

「ちょっといいですか」と僕は谷崎課長に言った。

「何でしょう」

「中上の二月二十六日のアリバイなら、彼のパソコンにあると思いますよ」と言った。

「それはどういうことでしょう」と谷崎は言った。

「詳しくは言えないんですが、彼のパソコンを追跡している時に、中上のパソコンの中に入れたんですよ。すると、二月二十六日には、あるソフトを作っているところだということが分かったんです。それともう一つ。五月二十二日の中上の放火の動機は、他人のパソコンに隠して置いてあった自分の海外の預金を、全額仮想通貨に換えていて、その相場が下落したことにあるんじゃないかと思うんです。これも中上のパソコンを解析すれば分かることだと思います」と言った。

「貴重な情報、ありがとうございました。明日までに調べておきます」と言った。

 明日は午前九時から捜査会議があったからだ。

「では」と言って、僕はサイバーテロ対策課を出た。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十五

 土日も取調は続いているだろう。金曜日の弁護士との接見から、中上は自分のアリバイを主張していることだろう。二係はその裏を取るために休みを返上して働いているに違いない。

 月曜日の午前中には、きっと捜査会議がある。そこで、土日の成果が発表されるとともに、今後の方針が決まるだろう。

 僕は月曜日には、ひょうたんを持って行くことにした。

 

 その月曜日が来た。ひょうたんを入れた鞄と剣道の道具を持って、黒金署に行った。

 安全防犯対策課に入ると、鞄からひょうたんを出し、ズボンのポケットに入れると、緑川に「ちょっと出てくる」と言って、安全防犯対策課を出た。

 そして四階の待合室の隅の席に座ると、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「会議室の様子を見てきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめは言った。

 僕は携帯で今度の放火事件のことを検索して時間を潰した。

 あやめはお昼近くに戻ってきた。すぐに映像を送らせた。目眩がした。これはいつものことだったから、慣れていた。

 映像を受け取ると、お昼になったので、安全防犯対策課に行き、愛妻弁当と水筒を持って、屋上に向かった。隅のベンチに座って弁当を食べながら、映像を再生した。

 捜査本部席には、署長と管理官、捜査一課長と捜査二課長とサイバーテロ対策課の課長がいた。

 珍しく署長がマイクを持ち、「今度の放火事件は、放火に留まらず、事件は多岐に渡るので、捜査二課長とサイバーテロ対策課の課長にも来てもらった。まずサイバーテロ対策課の課長からどうぞ」と言った。

 サイバーテロ対策課の課長が立ってマイクを持つと「サイバーテロ対策課の谷崎です。犯人の中上は巧妙に海外のサーバーを経由していて、なかなか尻尾を掴ませませんでしたが、我が課の職員が声明文の出所を丹念に追っていったところ、中上のパソコンを突き止めたのです。中上のパソコンを押収したところ、声明文を発見しました。そればかりでなく、他人のパソコンを乗っ取って、詐欺行為も行っていました。これは件数が多いので、二課に任せることにしました。以上です」と言った。

 次に一課の課長がマイクを持って立った。

「捜査一課長相沢です。サイバーテロ対策課からの連絡を受け、中上の所に向かいました。中上は任意同行を求めた刑事を突き飛ばして、逃げようとしたので、公務執行妨害の現行犯として逮捕しました。放火事件の捜査は二係がやっていたので、取調は二係に任せることにしました」と言った。

 捜査一課二係の係長がマイクを持って立った。

「二係の中村敬三です。中上は当初は黙秘を続けていましたが、土曜日になって、急に三月二十八日と四月二十九日のアリバイを主張したのです。土日にアリバイの裏を取りました。そのアリバイというのは、三月二十八日は、午後八時半頃から午後十時頃まで、武下巌と沢島隆二の二人と****カラオケ店で歌っていたというものです。武下巌と沢島隆二の両氏に連絡を取ったところ、事実だということがわかりました。そして、四月二十九日のアリバイは四月二十八日から三十日まで台湾旅行をしていたというものでした。これは旅行会社の添乗員に中上の写真を見せて、彼が旅行に参加していたことを確認しました。つまり、三月二十八日と四月二十九日のアリバイは完璧なのです。しかし、声明文があります。これには、三月二十八日と四月二十九日についても、その犯行の様子が詳細に書かれています。これは犯行をした者でなければ、書けない内容です。三月二十八日と四月二十九日のアリバイは完璧なのですが、どうして、このような犯行の様子、状況を書けたのか、今、取調中です」と言った。

 二係の加藤が手を挙げた。

 加藤にマイクが渡された。

「二係の加藤です。今、中上の取調を担当しています。わたしの勘ですが、三月二十八日と四月二十九日のアリバイは完璧過ぎて不自然さを感じます。特に四月二十九日のアリバイは海外に出ています。この放火事件は現住建造物等放火罪で極めて悪質です、しかも、実際に二人の被害者が出ている。そうしたことを考えると、何らかの作為を感じるのです。放火は本人がしなくても他人を使ってやることもできます。現在では、パソコンを使って、実行犯を募ることも可能です。放火の方法さえ、教えれば実行できるのではないでしょうか。そうでなければ、あのような声明文は書けません」と言った。

 これには同意の声が上がった。

 捜査一課長はマイクを手にして、「では、その実行犯を特定してもらいたい。そうでないと、立件できない」と言った。

 加藤は「わかりました」と言った。

 捜査一課長は「次はサイバーテロ対策課にお願いします」と言った。

 谷崎がマイクを持って、「サイバーテロ対策課の谷崎です。今、中上のパソコンを解析している最中です。膨大な量のデータが入っているので、調べ終わるのにはまだ時間がかかると思います。途中経過を報告します。声明文は中上のパソコンから、他人のパソコンを経由して海外サーバーに送られています。そこから、警察やマスコミに送られてきたのです。中上はコンピューターに関しては、かなりのスキルを持っています。今は、他人のパソコンを乗っ取って、様々なデータを流していることがわかっています。その中でも、件数が多いのは、偽のウィルス除去ソフトです。僅か五百円で、あなたのパソコンのウィルスを除去します、といううたい文句で二万人以上から費用を不当に受け取っています。この他にもパソコンを使った詐欺行為を行っていますが、件数が多いので、二課にお願いしているところです」と言った。

 次に捜査二課の課長がマイクを握った。

「捜査二課長の杉村です。今、話があったサイバーテロ対策課からの要請を受けて、詐欺の被害者に連絡をして、被害届を出してもらっている最中です。件数が多いので、時間がかかると思います。また、その他の詐欺行為も行っているようなので、サイバーテロ対策課から情報をもらって、順次、当たっていくつもりです」と言って座った。

 最後に捜査一課の課長がマイクを握り、「連続放火事件と声明文を出した犯人(ホシ)だ。一筋縄ではいかないだろうが、各自粘り強く頑張って欲しい。次回の捜査会議は木曜の午前九時からとする。では散会する」と言った。

 

 映像を見終わった時には、午後一時を遥かに過ぎていた。

 水筒のお茶を飲んだ。

 今の時代は、見知らぬ人に殺人を依頼して人が殺せる時だ。放火方法を教えて、依頼することも可能だろう。中上にはアリバイがあるから大丈夫だろうと思っていたことが崩れていく音がした。

 しかし、捜査一課長が言ったように、放火の実行犯が特定できなければ、立件できない。前の三件の放火の犯人は、すでに死亡した戸田喜八であることを僕は知っている。だから、その他の実行犯が出て来るはずがない。

 だが、妄想の中で犯罪を犯している者が多いことを、その時の僕はまだ知らなかった。

 

 安全防犯対策課に戻ると、パソコンでネットのニュースを見た。コメンテーターの一人が、「捜査関係者の話によると、中上氏にはアリバイがあるようですよ。少なくとも三月二十八日と四月二十九日については」と言っていた。

 キャスターが「詳細な犯行状況が書かれた声明文がマスコミにも送られてきましたよね。本人にアリバイがあるとしたら、それはどういうことになるんでしょう」と言った。

 さっきのコメンテーターは「今はネットを使って、見知らぬ人にも殺人を依頼できる時代ですよ。放火にしても、その方法さえ教えればできるんじゃないですかね」と言った。

 捜査会議で言っていたようなことをしゃべっていた。

 

 定時になったので、僕は鞄と剣道の道具を持つと、安全防犯対策課を出た。

 そして、西新宿署に向かった。

 剣道着に着替えて、西森と一時間稽古をした。絶えず打ちまくる稽古だったから、汗がびっしょりと出た。

「上がりますか」と西森が言ったので、僕も頷いた。

 シャワーを浴びて着替えると、ラウンジに上がった。

 今日は缶コーヒーではなく、スポーツドリンクにした。五百ミリリットルのペットボトルがすぐに空になった。

「連続放火事件の犯人が捕まりましたね」と西森は言った。

「ええ。でも、これからですよ」と僕は言った。

「そうですか。今回は、犯行声明文があるじゃあありませんか。それって、自供したのも同じことでしょう」と言った。

「奴にはアリバイがあるんですよ。知っているでしょう」と言うと「そのアリバイには何か裏があるんでしょう」と言った。

 そう、裏があるんだが、西森が思っているようなことではなかった。僕が教えたとは言えなかった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十四

 僕は中上が逮捕されたことで、ひとまずホッとした。

 家に帰り、風呂に入って、リビングでビールを飲んでいた。

 しかし、二つ問題は残っている。前の三件の連続放火事件については、中上は犯人ではない。ただ、このうち、二件は中上にアリバイがあるから、犯人とはされないだろう。ただ、もう一件がどうなるかは分からなかった。放火事件全体を否認するかも知れなかった。

 もう一つは、声明文だった。犯行の詳細な記述がどうしてできたのか、これは問題にされるだろう。仮に実行犯ではないとしても、犯行を教唆した可能性は残る。その場合、別に実行犯がいるということになる。おそらく、取調ではそのあたりが訊かれることになるだろう。しかし、実行犯はすでに亡くなっているのだから、中上には答えようもないだろう。実行犯を特定できなければ、教唆は成り立たない。

 取調はそこで暗礁に乗り上げることになる。

 実態から言えば、放火事件よりも、パソコンを使った他人のパソコンの乗っ取りと偽物のウイルス除去ソフトを使わせたことの方が罪が重い。最終的には、そちらの取調で終わるものと思った。

 夕刊には、『連続放火事件の犯人、捕まる!』という見出しが踊っていた。まだ、一報の段階なので、詳しい状況は説明されていなかった。

 

 今日の夕食はパエリアだった。

「このところイタリア料理が多いな」と言うと、「今見ている料理番組の講師の先生がイタリア料理店をしている人なの」ときくが言った。

「そうか。明日は和風料理が食べてみたいな。きくの煮物は美味いよ」と僕が言うと、「そうですか。なら、明日はそうしますね」ときくは言った。

 

 次の日は金曜日だった。朝刊は、連続放火事件のことがトップ記事になっていた。捜査一課長の談話も載っていた。注意深く、連続放火事件の犯人という言葉は使っていなかった。あくまでも、声明文を出した犯人であることを強調していた。しかし、マスコミは声明文を出した者=連続放火事件の真犯人という構図ができていたので、書き方はそのようになっていた。

 中上祐二の名前も公表されていた。そして、近所の評判も書かれていた。いつも部屋に閉じ籠もっていて、何をしているのか分からない人だったというのが、大方の意見だった。

 

 署に行くと、緑川に「ちょっと席を外す」と言って、五階の取調室のトイレの個室に入った。ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「あやめ、中上の様子を見てきてくれ。それから、私は屋上に行っているが、来れるか」と訊いた。

「わかりません」とあやめは不安そうに言った。

「じゃあ、一度屋上に行っているが、ここに戻ってくるからその時に戻ってこい」と言った。

「わかりました」と言った。

 午前中の取調はお昼まで続くから、その頃まで、トイレから出て屋上に行った。

 そしてお昼になる前に五階のトイレに戻ってきた。

 まだ、あやめは戻ってきてはいなかった。トイレの中でしばらく待つことになった。お昼になった頃、ズボンのポケットのひょうたんが震えた。

「戻りました」と言った。

 映像を送ってもらうと、僕はトイレを出た。

 安全防犯対策課に行くと、鞄から愛妻弁当と水筒を取り出し、屋上に向かった。

 弁当を食べながら、あやめからの映像を再生していた。

 取調官は「この声明文はお前が書いたものだよな。押収したお前のパソコンからも、この声明文は出て来ている。そうだとすると、黙っていても、自供したのと同じことなんだよ。わかるか」と言った。

 中上は何も言わなかった。

 取調官は、中上が書いた声明文を読み上げ、「こんなこと書けるのは犯人以外はいないんだよ」と言った。

 しかし、中上は黙ったままだった。

「いくら黙っていても、声明文の内容は消えないからな」と取調官は言った。

 取調官がいくら中上の発言を促しても、中上は何もしゃべらなかった。

 こうして、午前中は終わった。

 中上のことを小心者だと思っていたが、意外に粘こい奴だとも思った。

 

 午後の取調は、あやめに見に行かせなかった。どうせ午前中と変わらないと思ったからだ。それよりも弁護士との接見が気になった。弁護士は、中上からアリバイを聞き出していた。当然、今日、そのアリバイの裏をとってきているのに違いない。中上にアリバイがあることは、以前より知っている。問題はそのアリバイを弁護士がどう判断するか、だった。

 午後六時になり、中上の取調が終わると同時に弁護士の接見が許された。

 僕は接見場所の近くに行き、あやめに見てくるように言った。

 弁護士との接見は、一時間程度だった。従って、あやめも一時間ほどして戻ってきた。僕はその映像を再生した。

 弁護士の村雨が今までの詳細な状況を確認しながら聞いた後で「今日はどうでしたか」と訊いた。

 中上は「何も答えませんでした」と言った。

「そうですか。わたしの方は、中上さんが主張されたアリバイについて調べてきました」

「どうでしたか」

「武下巌さんには連絡がつかなかったんですが、沢島隆二さんとは直に話ができました。中上さんの言われたように、三月二十八日は、午後八時半頃から午後十時頃までカラオケ店で歌っていたという証言が得られました。それと四月二十九日のアリバイですが、これは旅行会社に連絡を取ったら、名簿に名前があり、それは添乗員も確認してくれました。必要があれば、出入国記録を調べれば、完全なんですが、そこまで調べなくてもアリバイは成立しています」と言った。

「そうでしょう。良かった」と中上は言った。

「ですが、事はそう簡単じゃあないんですよ。わたしは声明文を何度も読み返しました。あそこには、克明に犯行の状況が書かれています。これは犯人しか知り得ないことなんです。中上さんのアリバイは、実行犯ではないということを証明しているのに過ぎません」

「先生。それはどういうことですか」と中上は不安そうに言った。

「有り体に言います。仮に中上さんが実行犯でなくても、他の人がやって、それを中上さんが手引きしたか、主導したとしたら、教唆か共同正犯の可能性があるんです」と言った。

「そんな……」

「そのようなことはありませんよね」と村雨は訊いた。

「絶対にありません。わたしはやっていない」と中上は言った。

「最後の放火については、どうですか」と村雨は訊いた。

 中上は答えなかった。

「あなたがやったんですね」と村雨が訊いた。

 中上は頷いた。

 村雨は息を吐いた。

「状況は非常にまずいですよ」

 中上はうな垂れていた。

「とにかく、アリバイのある二件の放火については、やっていないということを、アリバイがあるということを主張してください。後は取りあえず、黙秘してください」と村雨は言った。

「わかりました」と中上が言った後、細かな確認のやり取りがあって、接見は終わった。

 

 僕は安全防犯対策課に鞄を取りに戻った。メンバーはもう帰っていた。

 僕も灯りを消して、安全防犯対策課を出た。

 

 家に帰って風呂に入った。浴槽に浸かりながら考えた。山田の冤罪を晴らしたいがために、中上に犯行時の喜八の映像を送った。真犯人は喜八だが、もう亡くなっている。喜八犯人説をまとめた報告書は署長が破り捨てた。

 こうなると、喜八のやった放火について、中上に何らかの罪が問われる可能性が出て来た。それは声明文があるからだ。あれは犯行を自白しているのと同じことだった。

 喜八の映像を見せられて、声明文を書いたなんていうことは、誰も信じないだろう。それよりも、中上が実行犯でなければ、他の人にやらせたという可能性の方がよほど信憑性がある。

 一つの冤罪は防げたが、別の冤罪を生んでしまったかも知れないのだ。

 僕は頭を抱えた。

 中上にはアリバイがあるから、大丈夫だと軽く見ていた。甘かった。自分の甘さが許せなかった。

 風呂から出ると、ビールを一気飲みした。そして空になったコップをきくに差し出した。

「何か食べてからにしたら」ときくは言った。

「いいから、注いでくれ」と僕は言った。

 きくは仕方なく、コップにビールを注いだ。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十三

 ひょうたんが震えた。あやめが戻ってきたのだ。

「映像を送ってくれ」と言った。

 興奮していたためか、目眩はしなかった。中上は「そうか」と言って、警視庁のサイトにアクセスした。当然、IDとパスワードが求められる。中上は考えた。すると、初代警視総監のことが浮かんだ。これだと思った。パソコンで検索をして、初代警視総監についての情報を得た。その名前をIDの欄に入力した。そして、パスワードを少し考えて、生年月日を入力した。すると、警視庁のサイトが開いた。中上は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 携帯が鳴った。出ると、滝岡だった。

「課長、今、例のパソコンが特定できました」と言った。

「分かった。すぐ戻る。そのデータをUSBメモリに保存しておくように」と言った。

「わかりました」と滝岡は言った。

 僕は携帯を切ると、映像を見ながら署に向かった。

 中上はサイトの中から、連続放火事件の報告書を見つけ出した。そして、中を開いた。そこには、膨大な量の新聞のデータが詰め込まれていた。しかし、中上はそれを丹念に読んでいた。

 映像が終わらないうちに黒金署に着いた。

 僕は一旦、映像を打ち切って、安全防犯対策課に急いで入って行った。

「まだ、奴はサイトに入っています」と滝岡は言った。

「USBメモリは」と訊くと、黙って渡してくれた。

「済まん。これを使わせてもらう」と言うと、僕は安全防犯対策課を出て、サイバーテロ対策課に向かった。と同時に、捜査一課長に携帯電話をかけた。

「鏡課長。何ですか」と捜査一課長は言った。

「声明文を出した犯人のパソコンが判明したんです。サイバーテロ対策課に来てもらえますか」

「それは本当ですか」

「本当です」

「すぐ、二係の係長と行きます」

「待っています」と僕は言うと携帯を切った。

 サイバーテロ対策課に来ていた。

 谷崎課長が「犯人のパソコンが判明したというのは、本当ですか」と訊いた。

「ええ、これが証拠です」と彼の手にUSBメモリを握らせた。

 谷崎は「おい、杉山、これの中身を見てみろ」と言って、杉山にUSBメモリを渡した。

 彼は、自分のパソコンにそれを差し込むと中身を見た。そしてすぐに「ただのテキストファイルです」と言った後、「いや、これにはパンコンの識別番号が記されています」と言った。

「そのパソコンを特定できるか」と言った。

「やってみます」と言った。

 僕は「もうそのパソコンの特定は済んでいます。これがパソコンのある場所です」と、僕は中上のアパートの住所を書いた紙を渡した。

「パソコンの所有者は、中上祐二です」と言った。

 その時、捜査一課長の相沢と二係の係長の中村がやって来た。

 相沢が「鏡課長。どういうことなんですか」と言った。

 僕は「声明文のパソコンが特定できたんですよ。谷崎課長が、犯人の住所と名前を知っています」と言った。

 捜査一課長はサイバーテロ対策課の課長に「本当ですか」と訊いた。

 谷崎は、さっき僕が渡したメモを捜査一課長に渡して、「中上祐二だそうです」と言った。

 捜査一課長はそのメモを二係の係長に渡して、「すぐに引っ張ってこい」と命じた。

 中村は、急いで自分の係に向かうと同時に携帯を取り出して、誰かを呼び出していた。

 捜査一課長相沢孝弘は、もう一度、僕に「どういうことなんですか」と訊いた。

 僕は仕方なく答えたように「うちの課にパソコンの得意な滝岡という男がいましてね。彼が声明文の発信元を追っていたんですよ。そして、ようやく、突き止めたという訳です」と言った。

 その時、サイバーテロ対策課の誰かの声がした。

「問題のパソコンが確認できました。国内です」と言った。

 僕は「この件はサイバーテロ対策課が見付けたということでいいんじゃないですか」と捜査一課長に言った。

「それでいいんですか」と相沢は言った。

「私は構いませんよ」と僕は言った。

「わたしもそうしてもらえれば、面目が立ちます」とサイバーテロ対策課の谷崎課長も言った。

「では、重要参考人を引っ張ってきたら、そういうことで発表しますが、いいですか」と相沢は念を押した。

「いいですよ」と僕は言った。

 

 中上はアパートにいたところを任意同行を求められたが、刑事を押しのけて、二階から飛び降りて逃げようとしたので、公務執行妨害で現行犯逮捕された。

 それが午前十一時半だった。

 僕は安全防犯対策課に戻ると、滝岡に経緯を説明して謝った。

 当然、滝岡は怒った。

「それじゃあ、わたしの三週間は一体何だったんですか」と言った。

「こっちには、捜査権はないんだ。こうするより、しょうがないじゃないか。でも、捜査一課長の耳には、君の名前を伝えておいたから、それで納得してくれ。それから偽サイトは完全に消去しておくように」と言った。

「使う時は使って……」と滝岡はブツブツと言っていた。

 その気持ちは分かったが、僕はお昼になったので愛妻弁当と水筒を持って屋上に上がって行った。

 

 中上が黒金署に引っ張られてくると、早速、取調が始まった。取調は二係が担当した。取調の様子をあやめに見に行かせた。

 今回は、声明文という、言わば自供に近いものがある。取調は順調に行くものと思われた。しかし、中上祐二は黙秘権と弁護士を呼んでくれと言うだけだった。声明文には、自分の犯行以外の三件の放火事件のことも書かれている。そのうち、二件については、アリバイがあるが、それを取調官に言っていいものかどうか、言うにしてもどう言うのか、弁護士と打ち合わせをしたかったのだ。

 その日の取調では、中上は何も言わなかった。

 留置場に戻された時に、弁護士との面会が許された。この面会の様子もあやめに見に行かせた。

「これからする質問に、簡潔に答えてください」と弁護士村雨正は言った後で、「あなたは連続放火事件を起こしましたか」と訊いた。

「いいえ。最後の一件はわたしの犯行ですが、前の三件はわたしの犯行ではありません」と中上は言った。

「そのことは取調官に話しましたか」

「いいえ」

「放火事件について、アリバイのあるものはありますか」

「二件あります。三月二十八日と四月二十九日です」と中上は言った。

「どんなアリバイですか」と村雨は訊いた。

「三月二十八日は、午後八時半頃から武下と沢島、これは黒金高校時代の友人ですが、彼らに会い、三人で黒金駅前のカラオケ店で午後十時まで歌っていました。武下と沢島に訊いてもらえばわかります」

「その武下さんと沢島さんのフルネームと住所か電話番号を教えてくれませんか」と村雨は言った。

「武下巌と沢島隆二です」と中上は言った。

「電話番号は武下が****で、沢島が****です」と中上は言った。

「四月二十九日のアリバイはどうですか」と村雨は訊いた。

「四月二十八日から三十日まで台湾旅行をしていました」と答えた。

「わかりました。調べてみます。それにしても、どうしてあんな声明文を出されたんですか。あれでは、自供しているようなもんじゃあ、ありませんか」と村雨は言った。

「あれは頭の中に浮かんできたんですよ」と中上は言った。

「でも、まるで犯人しかわからないような具体的な内容ですよ」と言った。

「それはわたしにもわからないんです。とにかく、頭に浮かんできたものを書いただけですから」と中上は言った。

 ここから、やり取りはちぐはぐになったが、接見は終わりとなった。

「このあと、わたしはどうすればいいですか」と中上は訊いた。

「わたしがアリバイを調べるまで黙秘を続けてください」と村雨は答えた。

「わかりました」と中上は言った。

「では、これで今日の接見は終わりにします。何か聞きたいことはありますか」

「いえ、ありません」と中上が言うと、村雨は「今日はこれで終わりにします」ともう一度言った。

 係官に促されるように接見室から中上は出た。

 その後、中上は留置場に向かった。

 僕はあやめからの映像を再生し終わった。

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十二

 署に戻って、安全防犯対策課に行った。デスクの椅子に座ると、先程の映像を再生した。

 中上は、幾つも新聞を買っていた。そこにトップ記事で載っていたのは、放火事件のことだった。

 書いている記者も、事情が分からずに書いているものだから、連続放火事件との関連で記事は書かれていた。犯人が現行犯逮捕されたことも書かれていた。従って、論調はこれで連続放火事件の真相が分かるのではないかという憶測記事になっていた。

「馬鹿な」と中上は呟いていた。

「これは模倣犯だ。俺を真似たのに過ぎない」と言っていた。

「どの新聞もでたらめばかり書きやがって」と続けた。

「犯人が捕まっただと。笑わせるな。そんなヘマは俺はしないよ。だが、こいつが、すべての罪を被ってくれると助かるかもな」とも言った。

 朝刊には、犯人については何も書かれてはいなかった。それだけに中上には、犯人が気になったようだ。パソコンを起動して、記事を検索し始めた。しかし、朝刊以上の情報はなかった。それで警視庁のサイトを検索した。入口には入れたが、更に深く入ろうとすると弾かれた。IDとパスワードがなければ入れないのだ。

 僕は中上が警視庁のサイトに興味を持っていることを確認できたことだけで十分だった。

 滝岡に声をかけた。

「もうそろそろ、三週間経つぞ」

 滝岡は「そんなに簡単にはできませんよ。でも、もうちょっとです」と言った。

 滝岡がそう言っているのなら、時間の問題だった。

 偽サイトができたら、中上にIDとパスワードを教えて、その偽サイトに誘導すればいい。そうすれば、中上のパソコンが特定できる。中上に知られるようなウィルスを仕込むようなことはしない。とにかく、中上のパソコンが特定できればいいのだ。そうすれば、中上を引っ張れる。偽サイトには、でたらめな情報を載せておく。特に、連続放火事件については、全く見当違いな報告書を作っておく。それを中上に読ませる。中上はホッとすることだろう。

 その日のうちに、中上は逮捕される。サイバーテロ、つまり、厳密には電子計算機損壊等業務妨害罪、および威力業務妨害罪で逮捕する。その後で、中上のパソコンを押収すれば、その他の余罪もボロボロと出てくる。そして、放火事件に対する声明文も見つかるだろう。そうなれば、放火事件の犯人としても逮捕されることになる。

 問題は誰に逮捕させるかということだった。功績としては、第一に滝岡にあるのは明白だった。しかし、滝岡はこの件に関わっていないことになっている。従って、滝岡に逮捕させるわけにはいかない。

 となると、この事件に絡んでいるサイバーテロ対策課に一役買ってもらうしかない。おとり捜査と言われかねない手法だけにサイバーテロ対策課が、簡単に承諾する保証はない。だから、こっちの手の内を見せなければいいのだ。放火事件に対する声明文は安全防犯対策課のパソコンでも見られる。ということは、その声明文を追うことも許されるはずだ。声明文を追っているうちに、中上のパソコンに辿り着いたことにすればいい。ただし、安全防犯対策課は正式な捜査には入っていないので、手柄はサイバーテロ対策課に譲ればいい。滝岡は怒るだろうが、我慢してもらうしかなかった。

 

 退署時間になったので家に帰り、風呂に入って午後七時のニュースを見た。思った通り、捜査一課長が記者会見を行っていた。事件の概要を説明した後、放火で現行犯逮捕されたのは、高校生で未成年であることから、氏名等は明かせないと話した。それと、一連の連続放火事件とは関係がないこともしゃべった。

「犯行の動機は何ですか」と言う記者の声が飛んだが、「ノーコメントです」と答えた。

「連続放火事件の模倣犯じゃないんですか」と言う質問にもノーコメントを通した。

 次々に記者からの質問が飛んだが、「記者会見は以上です」と切り上げ、捜査一課長は記者会見場から退出していった。

 中上もこの記者会見は見ていることだろう。それを見て、どう思ったことだろう。

 分からなかった。

 

 僕は、テレビを消して、夕食をとることにした。今日はバジルのスパゲッティだった。タコやイカやエビなどの海鮮類が使われていた。

「こんな料理どこで覚えたの」と僕は訊いた。

「テレビでやっていたの。美味しそうだったから、作ってみたの」と答えた。

「凄く美味いよ。きくは料理が上手だな」と言ったら、嬉しそうに笑った。

 

 翌日の朝刊は、放火事件の続報がトップだった。今回の放火事件が一連の連続放火事件とは関係がないことと高校生が引き起こしたものであるものの、これまでの放火事件を模倣したものではないことが強調されていた。そして、捜査関係者の話として、犯行の背景にいじめがあったことも明かされていた。

 これで、今回の放火事件がこれまでの連続放火事件と関係のないことが明らかにされたのだった。

 そして、この放火事件は少年課に引き継がれることになった。背景にあるいじめ問題も関係していた。

 

 僕は安全防犯対策課のメンバーに、今回の事件では防犯マップが役立ったことを関係者に伝えるとともにお礼を言うように指示した。

 

 翌日、滝岡がデスクにやって来て、「できました」と言った。

 僕は「私のパソコンでもそのサイトを見られるのか」と訊くと、「見れますが、パソコンが特定されますよ」と言った。

「それも確認して欲しい」と僕は言った。

 警視庁のサイトを検索してから、IDとして川路利良と入力して、パスワードを18340617と入力した。すると、警視庁のサイトが開いた。その中身はでたらめなデータだった。しかし、筆頭に今回の連続放火事件の報告書が置いてあるので、中上はこれを開くことだろう。報告書の内容は、概ね報道された記事をスキャンしたデータだったが、その中に、サイバーテロ対策課が、声明文は海外のサーバーをいくつか経由して伝えられてきているが、現在、国内のあるパソコンから発せられていることが判明した。今、そのパソコンを特定中である、という文章を入れておいた。これを読めば、中上は自分が乗っ取ったパソコンから声明文を発しているから、直接、自分のパソコンが特定されるとは思っていないだろうが、サイバーテロ対策課の力を過大に評価することは間違いなかった。

 それが狙いだった。逮捕した時に、その背後にサイバーテロ対策課がいたと思わせるのが目的だった。

「課長のパソコンがわかりましたよ」と滝岡は言った。英数字と記号の混じった文字列を言った。僕は理解できなかった。

「じゃあ、今から監視していてくれ」と滝岡に言った。

「当然です。もう監視しています」と言った。

 僕は緑川に「ちょっと出かけてくる」と言って、安全防犯対策課を出た。ズボンのポケットにはひょうたんを入れていた。このところ、いつ滝岡が偽サイトを作り上げてもいいように、ひょうたんは持ってきていたのだ。

 

 中上のアパートに向かった。彼がいてくれればいいが、と思った。当然のことだが、今の中上は情報が欲しくてしょうがないはずだ。パソコンの前を離れるとは思えなかった。それに、外に出て仕事をしなくても、偽のコンピューターウィルス除去ソフトで稼ぎはあるのだ。

 中上のアパートの近くに来た。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「中上はアパートにいるか」とあやめに訊いた。

「います」と答えた。

「何をしているか、見てきてくれ。ただし、すぐに戻ってきてくれ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 しばらくして、ひょうたんが震えた。

「今、映像を送ります」と言った。

 軽い目眩がした。映像は短かった。中上のテーブルには朝刊が散らばっていた。テレビのニュースも見ただろう。今は、パソコンでネット上の情報を検索していた。グッドタイミングだった。

 僕は、あやめに、中上を警視庁のサイトに興味を持つように仕向けることと、IDとパスワードは初代警視総監じゃないかと思わせるようにすることを指示し、その様子を見てくるように言って、中上のところに行かせた。

 ついに、中上を引っ張ってこれるチャンスが来たのだ。この機会を逃したくはなかった。

 あやめが中上に警視庁のサイトに興味を持つように暗示すれば、必ず警視庁のサイトを検索するだろう。そして、IDとパスワードが求められることが分かれば、それが初代警視総監と関係があるように思わせたことが効果を発揮するだろう。

 僕はすっかり、釣り師の気分だった。餌をつけた釣り糸は水に落とした。後は、魚がそれに食いつくのを待つだけだった。