小説「僕が、剣道ですか? 2」

十一

 きくに十両を渡すと、「こんなに」と言いながら、それをどこかに仕舞い込んだ。

「また辻斬りが現れるといいですね」と言った。

「おいおい、私の心配はしないのか」

「あなたがやられるわけがないじゃないですか」

「出かける前は心配していたように見えたが」

「そりゃ、心配しますよ」

「言っていることが矛盾しているな」

「矛盾って」

「言っていることがちぐはぐだってことだよ」

「ちぐはぐですか」

「そうだよ」

 

 夕餉の席では、家老が「今日は、辻斬り退治の一件で話が持ちきりだった。鏡道場に入門するにはどうしたらいいのかと訊かれて困った」と言った。

 僕は今月が選抜試験の月だったということを忘れていた。

「選抜試験を受けてください、とお伝えください」と僕は言った。

「選抜試験か、いつやるんだ」

「今月末頃です」

「そうか。試験日はいつなんだ」

「まだ、決めていません」

「決まったら教えて欲しい」

「必ず、お伝えします」

 

 次の日、道場に出ると、相川小次郎、佐々木大五郎、落合敬二郎、長崎三郎、島村時四郎、沢田熊太郎を集めた。

「相川と佐々木は選抜試験を免除されているが、落合敬二郎、長崎三郎、島村時四郎、沢田熊太郎も免除する」

 そう言うと、四人は喜んだ。

「喜ぶのは早い。二月の選抜試験は、私がいなくてもやったんだよね」

「はい」と相川が答えた。

「それなら、今回の選抜試験も六人で取り仕切って欲しい」

 相川と佐々木からは「えー」と言う声が聞こえた。

「大変なのは分かるが、そこを乗り切って欲しい」

 僕は言いたいことだけを言って、道場を出た。

 

 町ではなく、山の方に向かった。

 山に登る途中にも農家はあり、段々畑が続いていた。そこを通り過ぎると、少し平らな所に出て、そこは何かの果樹園だった。

 さらに登っていくと見晴らしのいい所に出た。

 遠くに城が見える。その周りを武家屋敷が囲み、さらにその周りに町が広がっている。

 草むらに寝転んでいると「誰だ」と訊かれた。

 見上げると侍だった。

 僕は半身を起こして、「鏡京介です」と言った。

「鏡京介」

 しばらくして、その侍が「あの町で騒がれている男か」と訊くので「さぁ」と答えるしかなかった。

「ここで何をしておる」

「見ての通り、寝転んでいただけです」

「怪しいな。番所へ来い」

 こんな所に番所があるの、と思っていると、林を抜けた所が広く平らになっていて、そこに結構、立派な屋敷と番所とおぼしき建物があった。

 その番所の方に連れられていった。

 番所の中には、意外にも多くの人がいて、その奥にいる人に向かって、侍は「お奉行、怪しい奴を連れてきました」と言った。

 へぇー、こんな所にお奉行がいるの、と思っていたら、奥からその男が出てきた。三十歳を少し過ぎたところだろう。

「おぬし、名を何と申す」

「鏡京介です」

「ご家老の屋敷にいる鏡京介か」

「そうです」

 僕の名は知っているようだった。

「一手、まいらぬか」と言った。

「えっ」

 そう言っている間に「誰か木刀を二本持ってまいれ」と言った。

 若い侍の一人が二本の木刀を持ってきた。

 山奉行は、草鞋を履いて外に出た。若い侍から、二本の木刀を受け取り、一本を僕の方に投げてきた。

 僕はそれを掴んだ。

 平坦な所に移動した。

 作業をしていた者たちも、皆軒先に集まって来て、こちらを見ている。

「お奉行の立ち合いは久しぶりだなあ」

「本当に」

「何と言っても藩随一ですからね」

 そんな声が聞こえてきた。

 なるほど、木刀の構えがしっかりしていた。大地に根を生やしたような感じだった。

「まいれ」と言った。

 受けが強いのか。僕は間合いを詰めた。正眼の構えから突いて出た。その木刀を払い、返しながら切り込んできた。その木刀を受け、ねじり合った。

 そして、後ろにはねると、相手はすぐに突いてきた。速かった。その木刀をかわし、相手の間合いに入った。相手の繰り出す木刀をかわしながら、少しずつ余裕が出てきた。

 相手の間合いから出て、こちらの間合いから攻めた。リーチが長い分、僕が有利だった。少しずつだが、押し込んでいった。そして、再び、相手の間合いに入った。その時を狙っていたかのように木刀を差し込んできた。その瞬間を逃さず、強く叩いた。木刀が折れる音がした。

 僕は引いた。

「さすがよのう」

 山奉行はそう言った。

「お奉行こそ、お強い」

「何を言う。余裕でかわしておったくせに」

「お奉行のお名前をお教えください」

「佐伯主水之介」

「佐伯主水之介様ですか」

「敢えて、間合いに入ったのか」

「たまたまです」

「たまたまか。こちらが木刀を差し込むのを待っていたかと思ったのは、錯覚だったか」

「錯覚でしょう」

「久しぶりにいい汗がかけた、と言いたいところだが、ちと物足りなかった」

「そうですか」

「ああ」

 そう言うと「もう一本、木刀を持ってまいれ」と言った。

「またの機会にしましょう」と僕は言った。

「そうか。無理強いもできまい。だが、ここにいても退屈でな。時々、思い切り剣を振ってみたくなる」

「それなら、次の機会にそうしましょう」

「わかった。だが、あまり、待たせるなよ」

「承知しました」

 僕は山奉行のもとを後にした。