小説「僕が、警察官ですか? 5」

二十四

 沢村からは山のように質問が来たが、僕はまともには答えられなかった。ただ、警察官の勘だと言うだけだった。

 沢村を押しのけるように鞄から、愛妻弁当と水筒を取り出すと十階のラウンジに上がっていた。

 

 翌日になった。朝、未解決事件捜査課に行くと、昨日、鑑識に渡した歯磨きブラシとヘアブラシから採取したDNAの鑑定結果が、沢村孝治から報告された。

「DNA鑑定の結果が出ました。一致したそうです」と沢村は弾んだ声で言った。

「そうか、一致したか」

 沢村は「これが朝、一番に届けられた鑑定結果書です」と言って書類を渡してくれた。

 僕はそれを受け取ると、相沢浩二刺殺事件のファイルと一緒に持って「これから刑事部長に話に行ってくる」と言った。

 沢村は「わかりました」と言った。僕は、三階の刑事部長室に向かった。

 刑事部長室をノックした。

「入りたまえ」と言う声がした。

 中に入ると刑事部長の仲代安弘が椅子に座っていた。僕は「失礼します」と言って頭を下げてから、部長のデスクに行って、相沢浩二刺殺事件のファイルと鑑定結果書を置いた。

「これは何かな」と部長は訊いた。

 僕は「今、未解決事件捜査課がやっている未解決事件のファイルとDNAの鑑定結果書です」と言った。

 僕は事件の概要と犯人が残していった血液のDNAが、今調査中の長瀬良一のDNAと鑑定が一致したことを報告した。

「すると、未解決事件の犯人がわかったということか」と部長は言った。

「まだ、断定はできませんが、本人を取調すれば自白すると思います」と言った。

「捜査一課に引き継ぐんだね」

「いえ、できれば私たちでやらせてもらいたいのですが」と僕は言った。

「君たちは未解決事件を追っていればいいんだ。解決の糸口が見つかったなら、引き継ぐのが当然じゃないか」と部長は言った。

「わかりました。資料は置いていきますから、後はお任せします」と言って、僕は刑事部長室から出た。

 未解決事件捜査課に戻ると、沢村孝治に「済まん。結局、刑事部長に預けることになった。おそらく捜査一課が引き継ぐことになるんだろう」と言った。捜査一課が引き継ぐことになったとは言えなかったのだ。

「まあ、いいじゃあ、ありませんか。わたしたちのできることをすれば、それで十分ですよ」と逆に沢村に慰められた。

 

 家に帰った。京一郎に出迎えられた。きくはききょうを連れて塾に行っていると言う。そんな話をしていたところにきくが帰ってきた。

「あなた、お帰りなさい。お風呂にしますか」

「そうだな」

「ベビーベッドに寝かせている京二郎も起こしてきますから、京二郎も入れてくださいね」

「分かった」

 僕は寝室に入ると愛妻弁当と水筒を鞄から出して台所に持って行った。それからジャケットを脱ぐとズボンと一緒にハンガーにかけてWICにしまった。靴下とワイシャツを脱ぐとバスローブと新しいトランクスを持って、下の階の風呂場に向かった。

 きくが京二郎を裸にして、待っていた。僕も肌着とトランクスを脱ぐと靴下とワイシャツと一緒に洗濯籠に入れた。バスローブと新しいトランクスは洗濯機の上に置いた。

 京二郎を受け取ると、バスルームの戸を開けて中に入った。

 シャワーでベビーバスに湯をはると京二郎を入れた。その間にシャンプーで髪を洗い、髭を剃った。そしたら、ベビーバスから京二郎を出し、ベビーシャンプーで頭を洗い、ベビーソープで躰を洗った。シャワーで全身を流すと、脱衣所で待っていたきくに京二郎を渡した。京二郎がいなくなると躰を洗い、シャワーで流すと湯船に浸かった。

 未解決事件捜査課はあくまでも、未解決事件捜査課なんだなということを思い知らされた。最後まで事件に付き合うことができなかった。事件解決の糸口を見つけたら、それを手がける課に引き渡さなければならない。

 あくまでも裏方に徹さなければならなかった。

 湯で顔を洗い、長瀬を取り調べたかったという思いを吹っ切った。

 湯から上がるとシャワーで全身を流して、バスタオルで躰を拭いた。それからトランクスを穿くとバスローブを着た。

 五階のダイニングに上がって行くと、冷えたビールをきくが用意してくれていた。コップを掴み、ビールを注いでもらった。立ったまま飲む一杯目のビールが美味かった。

 タオルで頭を拭きながら椅子に座ると、二杯目のビールが注がれて、「これもどうぞ」と枝豆を差し出してきた。

 夕食は、スパゲッティだった。ミートソースをかけて食べるように用意してあった。

 京一郎もダイニングテーブルに座った。スパゲッティを皿に取り分けて、ミートソースをかけて、きくが渡してくれた。京二郎はベビー椅子に座って哺乳瓶からミルクを飲んでいた。哺乳瓶を見ると、江戸時代に行っていた頃のことを思い出した。食事処に入ると、きくは哺乳瓶に湯をもらっていた。懐かしかった(「僕が、剣道ですか?」シリーズ参照)。

 それにしてもききょうがいなくなるだけでも食卓は寂しいものになることを実感した。

 ききょうは今頃、塾で勉強に励んでいることだろう。

 僕も最後まで事件に付き合うことができなかったことぐらいで、くじけているわけにはいかなかった。まだ、未解決事件は山のようにあるのだから。

 午後八時少し過ぎには、夕食も終わっていた。

 きくは後片付けをしたら、ききょうを迎えに行かなければならなかった。

 八時四十五分になったら、きくは家を出た。

 九時に塾に着いていなければならなかったからだ。

 僕は戸棚からコップを取り出すと、氷を入れた。そしてウィスキーを注いだ。きくがいれば水割りにしろと言われるから、オンザロックで飲んだ。ウィスキーはオンザロックに限ると僕は思った。残っていた枝豆をつまみにした。

 九時半にきくとききょうが帰ってきた。

「授業が延びたの」ときくが言うと、ききょうは「わたし、お風呂に入るね」と言った。

「あなた、ウィスキーを飲んでいたのね。ほどほどにしてくださいね」

「もう一杯だけ。頼むよ」と言うと「じゃあ、わたしが入れます」と僕からコップを取り上げると、ボトルから指一本分のウィスキーを注ぎ、水で割った。

 あー、ウィスキーが薄まる、と僕は思った。

 

 ウィスキーを飲み終えると、寝室に行った。ベッドに寝転がった。しばらくして隣にきくが入ってきた。僕は無意識にきくを抱き寄せていた。

「今日は、近藤さん、使わなくても大丈夫ですよ。安全日ですから」と言った。どこからそんな知識を得ているんだと思いながら、そんなつもりじゃなかったんだけれどな、と呟きたくなった。

 

 その後、相沢浩二刺殺事件は、長瀬良一が捜査一課の取調を受け、DNAの鑑定結果も一致していることから、本人が自白した。それで、長瀬良一は地検に送検された。

 事件は、裁判員裁判になり、判決は懲役十三年の刑だったが、長瀬良一は控訴した。

                                            了