小説「僕が、警察官ですか? 4」

十四

 家に帰ると、きくが「怖かったです」と言った。

「そうだよな。突然、あんな車がこの通りに入り込んできたら、誰でも怖くなるものさ」と僕は言った。

「でも変なんですよ。パトカーを呼んだら、あの車に乗っていた二人は、二人とも大怪我を負っていて、まるで動けなくなっていたんです。だから、救急車が来て、二人を乗せて行きました」と言った。

「そういうのを天罰って言うんだ」と僕は言った。

「それにしても、どうやってあの怪我でここまで運転して来れたんでしょうか」と訊かれた。

「ここまで運転してきて、怪我に遭ったんじゃないのか」と言うと、「そうでしょうか。そんな時間はありませんでしたよ」ときくが言った時に、顔色が変わった。

「あなたなんですか。あれをやったのは」ときくが訊いた。

「だから、天罰だと言っただろう」と答えた。

「わたしが電話をした時に、時を止めたんですね。そうなんですね」ときくは言って、自分で納得した。

「もう、その話はやめよう」と僕は言った。

「わかりました」ときくは応えた。

 

「これから風呂に入る」と言った。

「ビールのおつまみを作っておきますね」ときくは言った。

「そうしてくれ」

 僕は風呂場で、髭を剃り、頭と躰を洗って、浴槽に入った。

 自然に島村勇二のことを考えてしまう。西森に島村勇二の自宅を訊いたのは、単なる興味ではなく、もし、自宅にいればそこに行って、あやめを使ってその頭の中を読み取って来るんだがな、と思ったからだった。だが、車で逃げているとすれば、自宅には戻ってはいないだろう。当然、自宅にも警察官は張り付いているのに違いないのだから。

 自宅が駄目なら……、と思っていると、ふと島村勇二の携帯番号は分からないかと思った。島村勇二に直接関係している人物には二人会っている。高橋丈治と高台宗男だ。その頭の中をあやめに読み取らせた。その記憶の中に島村勇二の携帯番号が入っているんじゃないかと思った。僕は映像を再生させた。高橋丈治と高台宗男の意識から、島村勇二の携帯番号はすぐに分かった。だが、ただかけても無駄だろう。島村勇二が心を許している者からかける必要があった。そうでなければ、出ないだろう。

 

 風呂から上がって、ビールを飲んだ。

 薄めに切ったキュウリに塩辛が載っていた。その上に梅肉が少し添えられていた。キュウリに塩辛というのは、ちょっとと思っていたが、食べてみると美味しい。それに梅肉が程好く効いている。

「美味しいよ」と言った。

「そう。良かったですわ」ときくが応えた。

 そうしていると、子どもたちがプリントを持ってきた。

 きくはそれを受け取ると、「後で見て返すからね」と言って、寝室の化粧台に持っていった。

「じゃあ、お風呂じゃんけんね」とききょうが言った。

「今日も負けないぞ」と京一郎が言った。

「じゃんけん、ぽん」

 ききょうがチョキを出して、京一郎がパーを出した。ききょうの勝ちだった。

「じゃあ、わたしが先ね」とききょうは自分の部屋に着替えを取りに行った。

「出たら、教えてよ」と京一郎が言うと、部屋の中から「わかってるわよ」とききょうが言った。

 たわいもないことだったが、僕はこれが幸せというものかと思った。

 

 次の日の朝のニュースは、トップで品川署の留置場で高橋丈治被疑者が首を吊っているのを見回りに来た警察官に発見され、幸い、発見が早くて高橋丈治被疑者の命に別状はないということが流れた。

 これには僕もショックを受けた。

 高橋丈治はそこまで追い詰められていたのか、と思った。

 留置場の中は何もすることがない。島村勇二のことをしゃべってしまったことだけが頭を駆け巡っていたのだろう。島村勇二は執念深い。高橋丈治が自分のことをしゃべったことは決して忘れないだろう。そして、高橋丈治は島村勇二の報復を恐れて、心が折れ、死を選んだのだ。死なずに済んだのが、幸いだった。

 こうなると、一刻も早く、島村勇二を見つけ出し、その手に手錠をかけなければならなかった。

 今は品川署と西新宿署だけが動いている。しかし、島村勇二はもっと遠い所に潜んでいるかも知れなかった。できることなら、全国指名手配になって欲しかった。

 

 黒金署の安全防犯対策課に行った。

 品川署の岸田信子から電話がかかってきた。

「おはようございます。岸田です。鏡課長ですね」

「そうです」

「ご存じだと思いますが、高橋丈治が首を吊ろうとしました」

「そのようですね」

「幸いにも発見が早くて、死なせずに済みましたが、失態でした」

「それをわざわざ知らせてくれたのですか」

「いえ、そちらにも何かがあったと聞きましたので、お電話をしました」

「家の前にバキュームカーが来たんです。危うく、し尿をまかれるところでした」

「やはり、そんなことがあったんですか。それでどうなりましたか」

「何も起きてはいません。運転して来た者と助手がどういう訳か、大怪我を負って、救急車で病院に運ばれて行っただけです」

「不思議なこともあるものですね」

「ええ、世の中は不思議なことだらけです。バキュームカーを寄こした会社にクレームを言いに行きました」

「それでどうなりました」

バキュームカーを寄こした会社というのは、墨田区にあるし尿処理業者の高台清掃業有限会社なんですが、そこの高台宗男社長に昨日会いに行きました」

「…………」

「本人は口にはしませんでしたが、島村勇二から命じられたのでしょうね」

「そうなんですか」

「島村勇二を早く捕まえてください」と僕は言った。岸田信子に言っても仕方ないことだと分かってはいたが、言わずにはいられなかった。

「そうできるように努力します」

「お電話はあなたのご厚意ですね。高橋丈治が首を吊ろうとしたことで私が気にしていると思ってのことでしょう。それと私の家にも何かあったと聞いて……」

「あのう、……それは」

「分かっています。ありがたく、お電話いただいたことを受けておきます」

「…………」

「とにかく私は大丈夫です。ご心配して頂いてありがとうございます」

「そうですか。では、わたしはこれで」と岸田信子が電話を切ろうとしたから、慌てて「また、何かありましたら、お電話ください。私もお電話をしますから」と言ってから電話を切った。

 公務の電話ではなかった。岸田信子からの私的な電話だった。気にしてもらって、ありがたいと思った。