小説「僕が、警察官ですか? 1」

 昼食の後、自室の机に座って、石井和義の映像をもう一度見ることにした。西新宿公園にいた時は早送りしていたのと、拉致されてからのしか見ていなかったからだ。

 石井和義使途不明金に関わっていたのかどうか確かめた。しかし、この半年分の映像を見たが、石井が不審に思っている節はなかった。だが、十日前の映像では、滝沢興業株式会社からの資材購入に関して、常務の中林昭之に訊いている。金額が大きかったからだ。それに対して、中林昭之は「適正な処理だから、君が気にしなくていい」と答えている。

 経理上は資材を購入して代金を支払ったようになっているので問題ないように見えるが、その資材は実際にはない。結局、滝沢興業株式会社との取引は架空取引になっている。詳しく調べられれば、分かることだった。それに気付いて石井は悩んでいたのだ。

 拉致される時に、家の前を掃いていた主婦がいた。それに学生らしい男子も見えた。彼女やその男子なら石井の乗った車を見ているはずだった。家の前を掃いていた主婦は向かいの家らしかったので、聞きに行けば何か教えてくれるに違いなかった。

 今は殺人事件になっているから、拉致されたところを見ている人に捜査員が聞込みをしているのは確かだった。だから、あの主婦のところにも捜査員は行っているはずだった。

 どんなことを聞き込んできたのか知りたかったが、交番勤務では知りようもなかった。

 

 石井は監禁されてから四日間ほどは、ただ眠らされているか、起きたら、何を知っているのかをしつこく訊かれた。石井は滝沢興業株式会社との取引は架空取引になっていることをしゃべった。そして、それを常務に言ったが、常務が取り合ってくれなかったこともしゃべった。石井が知っていることはそれだけだった。

 何故、高木工業株式会社が滝沢興業株式会社との間で架空取引を行っていたのかは知らなかった。

 睡眠薬入りの水だけを与えられていて衰弱してきた石井は、さすがに五日目になると、「もう帰れないんですね」と言い出した。見張りの者は何も言わなかった。

 石井は見張りの者に気付かれないように、ベッドの枠や側面、裏側などを触った。たとえ、部屋を綺麗に掃除されても、自分の指紋などの痕跡を残しておくためだった。だから、掃除されにくいところに、見張りの目を盗んで、髪の毛を抜いて置いたり、指紋や掌紋を残していった。

 これでこの部屋に鑑識が入れば、必ずそれらの証拠は捜し出されるだろう。

 もどかしいのは、これだけ分かっているのに、僕自身ではどうすることもできないことだった。捜査一課の捜査陣が見付けるしかなかったが、どう伝えたらいいのか、見当がつかなかった。

 

「パンケーキができましたよ」と言うきくの声がダイニングルームから聞こえてきた。

 自室を出てダイニングテーブルに座った。

「どうですか」と言って出されたのは、大きな皿に二枚のパンケーキが載っていて、たっぷりのホイップクリームがかけられメープルシロップの入った瓶が添えられていて、周りにスライスしたいちごとパイナップルで飾られていた。きくも皿を持ってきたが、自分の分のパンケーキは一枚だった。

「いただきます」

 僕はそう言うと、ナイフとフォークでパンケーキを切り、ホイップクリームを載せメープルシロップをかけて食べた。美味しかった。パンケーキには、ほどよいふわふわ感があった。今度は、いちごとパイナップルを載せて、ホイップクリームで食べてみた。これも美味しかった。

「もうすぐ、ききょうと京一郎も帰ってきます。そしたら、また焼きます」と言った。

「食べる前に焼くのか」と訊くと「ええ、焼き立てでないとパンケーキは美味しくないんですよ」ときくが答えた。

「そうなのか」

 パンケーキ一つにも手を抜かないんだ。きくは偉いな、と思った。

 

「ただいまー」と言う声がした。京一郎だった。

 きくが「お姉ちゃんと一緒じゃなかったの」と京一郎に訊いたら、「走って帰ってきたから、お姉ちゃんはもうすぐ来るよ」と答えた。

「帰ってきたら、手を洗うのよ」ときくが言った。

「はーい」と京一郎が言った。

 そうしている間に「ただいまー」と言って、ききょうが帰ってきた。

「お帰りなさい」ときくが言うと、「ランドセルを置いたら手を洗うからね」とききょうが言った。

「じゃあ、パンケーキを焼くかな」ときくが言うと、「おやつはパンケーキなの」とききょうと京一郎が言った。

「そうよ」

「やったぁー」と二人ははしゃいだ。

 そういう二人の姿を見ていると僕の心も和んだ。

 

 午前零時半になった。

 午前一時から勤務の時間だった。ひょうたんも持って家を出た。あやめと話したいことがあったからだった。

 西新宿署に行き、今日の報告を受けた。制服に着替えて、交番に向かった。

 保多巡査から引き継いで、交番勤務に入った。特に変わったことはなかったそうだ。日誌を見た。道を尋ねてきた人が五人書かれていた。それから財布の落とし物があった。だが、すぐに持ち主が現れて、その場で二千円拾い主にお礼として渡したと書かれていた。拾い主と落とし主の名前、住所も書かれていた。

 

 午前二時になった。静かだった。

 ひょうたんを叩いた。

「はーい」と言うあやめの声がした。

「訊きたいことがある」と言った。

「何でしょう」

「私に見せた映像は他の人にも見せることができるのか」と訊いた。

「見せることはできますが、そうしたいんですか」と答えた。

「いや、全部を見せたいわけじゃなんだ。示唆できる程度に見せられないものかと思ってね」と言った。

「わたしにはよくわかりません」

「それではこれならどうだ。話しながら、その話から連想させるように映像は見せられるか」

「試してみないとわかりません」

「そうか」

「はい」

「その人がちらっと見たものでも、映像では鮮明に隅から隅まで見せられるんだよな」と訊いた。

「それはその人が見た部分なら、細部まで見せることができます」

「カメラアイみたいなものか」

「カメラアイの意味がわかりません」

 僕は、石井和義が拉致された時に、隣の奥さんがその場を見ていたことを頼りにしていた。その時、車を見ていれば、本人は覚えていることはできなくても、車種やメーカーはもちろんのこと、ナンバープレートも読めるはずだと思ったのだ。車のナンバーが分かれば、所有者が分かる。そこから、拉致したメンバーが割り出せるかも知れなかった。

 だが、今は聞き出せる立場にない。どうすればいいんだ。

 犯人が分かっているのに、捕まえられる立場にないことがもどかしかった。

 

 午前四時から午前七時までパトロールをした。泥酔して路上で寝ている人を三人介抱し、始発が動き始めた駅まで送っていった。

 午前八時には、玄関先路上に汚物が置かれているという苦情の電話がかかってきた。行って見ると、犬の糞だった。飼い主が取り忘れたのだろう。携帯で写真を撮り、スコップを借りてレジ袋に入れた。

「済みませんが、燃えるゴミの日に出してください」と言った後、「『犬などの糞は飼い主が始末しましょう』と書いて、玄関先に貼っておいたらいいでしょう」と忠告した。

「数日、貼っておけば効果が出ると思いますよ」と言ってから、名前と連絡先をノートに書いてもらい、帰ってきた。

 交番に戻ると汚物の一件を記入した。

 午前九時になると、北村孝夫巡査がやって来たので、引継ぎをして交代した。

 僕は西新宿署に行き、係員に報告をした。その時、係員に「石井和義さんの件はどうなったんでしょうか」と訊いた。

「詳しくは知らないですが、遺体から証拠が出て来たので、今日、家宅捜索するそうですよ」と答えてくれた。

 それ以上は訊かずに、着替えをして自宅に向かった。

 歩きながら考えた。

 遺体から出た証拠とは、興津友康がやった工作された証拠のことだろう。腕時計についていた前川の指紋と石井のズボンの裾の折り返しに入っていた前川の破れた名刺のことに違いがなかった。

 興津友康の狙い通りに事が進んでいる。しかし、僕にはどうすることもできなかった。