小説「僕が、警察官ですか? 1」

 家に帰った。

 きくとききょうと京一郎が出迎えてくれた。子どもたちは土曜日で休みだったのだ。

 僕はきくに手伝ってもらって着替えると、風呂に入った。ひょうたんはきくに気付かれないように机の引出しにしまった。

 係員が今日家宅捜索があると言っていたことが気になった。家宅捜索されるのは、前川がやっている前川興産株式会社と前川の自宅だろう。

 前川も黒金組の傘下の近藤組の構成員だったから、前川が家宅捜索されることに異議はなかった。警察は前川を本ボシと思っているだろうが、前川が犯人じゃないことは僕が知っていた。それだけにこの家宅捜索が虚しく思えた。

 

 風呂から出た。

 汗が引かないので、バスローブのまま、朝食を食べることにした。子どもたちはとっくに食べていた。

 焼き鮭がメインだった。厚切りの卵焼きに、カボチャの煮物が添えられていた。ほうれん草のおひたしもあった。

 食べ終えると、パジャマに着替えてお昼まで寝た。

 

 お昼になり、テレビをつけると、前川興産と前川の自宅の家宅捜索の映像が流れた。と同時に前川隆三が重要参考人として任意同行されたことを伝えた。

 ナレーションでは、石井和義の遺体から前川の指紋等が発見されたので、前川隆三を重要参考人として任意同行するとともに家宅捜索に至ったと解説していた。興津友康の筋書き通りに事が進んでいる。ということは、高木工業株式会社の常務中林昭之に対する脅しも効果があったのだろう。

 

 昼食はチャーハンと餃子だった。ちゃんと中華スープも添えられていた。

 餃子は手作りだった。子どもたちは喜んだ。

「美味しい」と二人は言った。

「大変だったろう」と言うと「そうでもありませんよ」と言い、フードプロセッサーを示した。この間、量販店で買ってきたものだった。実演していたので、きくは使い方をあれこれ訊いていた。

「沢山作ったので、残った分は冷凍しておきました」と言った。

「夕食は何なの」と訊くと「ヒレステーキを焼きます。子どもたちはハンバーグです」と言った。

 なるほど、餃子とハンバーグを一緒に作ったのか、考えたものだな、と感心した。

 

 昼のニュースに続いて、ニュースショーを見ていると、あたかも、前川が指示して石井を拉致し、監禁した後に殺害したように思える報道の仕方をしていた。これを警察関係者が容認しているとすれば、完全に間違った方向に捜査が進んでいる。

 いずれこれが間違いだったことは、分かるだろうが、それまでは前川に容疑は向く。今は捜査陣は過熱状態だろうから、前川が白だと分かるまで待つほかはない。そのあたりで、もう一度、付近の聞込みに行くように仕向けて、向かいの婦人の証言を引き出すのだ。

 むしゃくしゃするので、竹刀ケースを持って、屋上に出た。袋に入れてある定国を取り出して、鞘から抜いた。

 定国が曇り空に、鈍い光沢を放った。それを頭上に振り上げ、腰のあたりまで振り下ろした。真剣が空間を切り裂いていった。気持ちよかった。

 僕は雑念が消えるまで、素振りを繰り返した。

 屋上から戻ると、子どもたちはおやつを食べていた。シュークリームだった。

「あなたも食べますか」ときくが訊くので、「ああ。コーヒーも頼む」と答えた。

 子どもたちはあっという間に食べて、歯を磨きに行った。

 明日は夜勤明けの非番だった。

「明日はどこかに行くか」ときくに訊くと、「あなたが疲れているでしょうからわたしはいいです」と答えた。

「そうか」と僕は言った。

 

 夜勤明けの非番の日はすることがなかった。

 昼のニュースを見ていたら、前川興業からは、拳銃三丁と刀剣が五振り、それに覚醒剤十三.八キログラム、前川の自宅からは刀剣が二振り出て来たので、前川は覚醒剤取締法違反と銃砲刀剣類所持等取締法違反で逮捕された。そして、組員数名も逮捕された。また、関連会社も家宅捜索された。そういうニュースが流れた。

 前川は興津友康の思惑通りに潰された。石井和義の死体一つでここまでしたのだから、大した成果だと言えた。だが、本ボシは興津友康だったから、僕は忌々しかった。

 

 日曜日は父や母と過ごす日だった。

 僕らの家は地下一階地上五階建ての家だった。一階から三階までに、それぞれ二つずつ賃貸用の部屋があり、人に貸していた。

 父と母は四階に住んでいて、僕らは五階に住んでいた。四階と五階にはそれぞれの玄関があり、四階と五階を繋ぐ内階段もあった。ただ、お互いの生活にあまり干渉しないように、日曜日だけ、父と母の日として、食事を一緒にとることにしていた。朝食は別々になることも多かった。朝起きる時間が、父と母と僕らでは違うからだった。

 昼食を四階のダイニングルームで父や母と一緒に食べると、洗い物は母に任せて、僕はきくの買物につき合った。子どもたちは、父と一緒に公園に遊びに行った。

「今日は大勢だからポークカレーにしますね」と言った。

 近くのスーパーマーケットで、豚肉の塊一キログラムとタマネギ、にんじん、ジャガイモ、福神漬けとカレーのルーとカレー粉を買った。ルーとは別にカレー粉を買ったのは「カレーの辛さを調整するためです」ときくは言っていた。

 会計はカードでしていた。きくもいろいろと覚えているんだな、と思った。

 それから、帰り道のケーキ屋でショートケーキを四つに父と母には和風の抹茶入りケーキ二つを買った。

 家に戻ると、僕は自室の机に向かった。きくは四階に残った。

 前川興業から覚醒剤が見つかったのは、大きかった。それも十三.八キログラムだから、半端な量じゃない。純粋なものなら末端価格にすれば、少なくとも数億円になるだろう。捜査陣は、取りあえず、大きな成果を上げたのだから、意気が上がっていることだろう。

 これで、石井和義殺害の件もいけると思っているのに違いない。しかし、石井和義の件は必ず暗礁に乗り上げる。それまでは待つしかなかった。

 

 三時になったので、きくに呼ばれて、四階のダイニングルームに行った。ダイニングルームは五階よりも四階の方が広かった。それはリビングルームと繋がっているからだった。四階は一LDKになっていて、五階は三DK+S+WICだった。お風呂と脱衣所を兼ねた洗濯室は四階にあった。五階にはトイレの横にミストサウナ付きのシャワー室があるだけだった。

 僕が下りて行くと、「待っていたぞ」と父が言った。子どもたちは、早く食べたくてしょうがないようだった。

 僕が席に着くとコーヒーを頼んだ。コーヒーが出て来ると、「いただきます」と言って、ケーキにフォークを入れた。

 ショートケーキを食べながら考えた。興津友康は予想以上の知恵者だなと思った。普通なら死体をあそこまで利用しない。やはり、自殺に見せかけたくなるだろう。それを逆手に取っている。前川は近藤組の構成員だから、前川を排除したくても表向きにはできない。しかし、石井和義の遺体を使って、それをやったのだ。見事としか言いようがない。

 一つの誤算は、石井和義を拉致した時に車を隣の主婦に見られていたことだ。ナンバーなんて覚えていないと思っているだろうが、あやめを使えば、ナンバープレートを主婦に、はっきりと見させることができる。そうすればナンバーが分かり、所有者も分かる。そして、拉致した者が分かるのだ。

 問題は、主婦に訊きに行くタイミングだった。今行って、ナンバーを訊き出しても、前川を取り調べている最中だから、それがどうしたということになってしまう。つまり、石井和義の件が行き詰まるまで待つ他はなかった。

 その後は、興津友康との戦いになる。戦うのは、捜査陣だ。僕じゃない。それがもどかしかった。