小説「僕が、警察官ですか? 1」

   僕が、警察官ですか?  1

                         麻土 翔

 

 僕は、西日比谷高校を卒業した後、国立東都大学に進学した。そして法学部に進級し、三年生の時に司法試験予備試験に合格し、司法試験も合格した。

 一方、大学四年の時に受けた国家公務員採用総合職試験にも合格し、卒業後は警察庁に採用された。

 警察大学校で四ヶ月の研修を受けた後、僕は新宿区千人町交番所に配属され、そこの所長となった。その時の階級は警部補だった。

 なお、司法試験にも国家公務員採用総合職試験にも合格したのには、僕には時間を止めるという能力があり、それを駆使したからだ(「僕が、剣道ですか?」参照)。通常なら、どちらの試験にも、僕が受かるはずはなかったのだ。

 この交番は所長も含めて四人制だが、基本的に交番には常に一人でいることになる。ただ、時々、パトロールをするから、『パトロール中です』という掲示板を出しておくことも多い。

 四人のうち、一人ずつ四交代で入れ替わっている。不規則なシフトだが大雑把にいえば、午前九時から午後五時と午後五時から午前一時、午前一時から午前九時、そして非番の四部制だ。交番勤務の四人とは、僕の他に若い順に、赤木圭一巡査二十八歳、保多康夫巡査三十三歳、北村孝夫巡査四十歳だった。

 僕は今日は午前九時から午後五時の勤務時間だった。交番勤務前には、所轄の署に向かい、指示・連絡等があり、そこから交番に向かう。また。交番勤務が終わったら、署に戻り、報告をして解散となる。

 月曜日は勤務明けに西新宿署で剣道の稽古を行うことになった。勤務シフトの関係からそうなった。

 来週の月曜日に、全国警察剣道選手権大会がある。出たいとは思わなかったのだが、ほとんど業務命令のように出場させられることになった。僕が全日本学生剣道選手権大会で四連覇をしたからだった。

 西新宿署の剣道場は地下一階にあった。奥が柔道場になっていた。剣道のコートは二面あって、一面が試合形式で使われていて、別の一面は稽古用だった。

 西新宿署には監督とかコーチがいなくて、古手か一番強いものが指導をしていた。

 更衣室の奥にシャワー室があり、汗が流せるようになっていた。事件で西新宿署に泊まり込む人も使っていた。

 練習時間は一時間だった。

 僕は竹刀ケースの中に布袋に包んだ定国を入れてきており、稽古前に竹刀ケースを開けて、袋の上から定国を掴んだ。すると、定国の力が手に移ってくるのだ。そして、それが手にした竹刀に乗り移る。僕は定国を持って、相手と戦っていたのだ。この方法で僕は全日本学生剣道選手権大会で四連覇をしたのだ。

 剣道場に入ると、鬼頭秀一という人が僕の相手をした。中川勇太三段が主審をした。

 コートの外で互いに向き合い、竹刀を脇に刺し、二歩ほどコート内に入ると礼をした。それから開始線まで進んで蹲踞の姿勢を取り、脇の竹刀を互いに向け合った。そして、主審の「始め」と言う声とともに立ち上がり、竹刀を交わす。だが、その瞬間、鬼頭の竹刀は弾かれた。僕は悠々と小手を打って、一本を取った。

 鬼頭は弾かれた竹刀を見て「これが無反動っていうやつか」と言った。

 鬼頭は「もう一度」と言った。

 僕はコートの外に出て、先程と同じように、コート内に入り礼をして、開始線まで進んだ。蹲踞の姿勢を取り、竹刀を向け合った。

「始め」の声とともに竹刀を叩き付けるように、振ってきた。しかし、それもいともあっさりと弾かれて、体勢を崩した躰に胴で一本を取った。

 鬼頭は一昨年の準優勝者で昨年は三位だった人だ。その彼を赤子の手をひねるように倒してしまった。

 さすがに二度目に一本を取られた時は、「ちょっと竹刀を見せてくれ」と言った。僕が竹刀を渡すと、「普通の竹刀だな」と呟いた。

「悪かった。あまりに竹刀が刀か何かのように感じたものだから」と言った。

「別にいいですよ。大抵の人はそう思うらしいですから」と僕は言った。鬼頭が言っていることは、当たらずとも遠からずのことだったのだから。何しろ定国の力が竹刀に加わっているのだ。刀を相手にしているようなものだろう。

 その後は、打ち合いの稽古をしたが、鬼頭は竹刀を弾かれる度に首を捻っていた。

 二〇**年九月**日に、西新宿署から行方不明者届が出ていることが伝えられた。千人町交番所に配属されて、初めての西新宿署からの連絡だった。行方不明者は千人町三丁目の住人だった。午後三時頃だった。僕は事情を聞きに行った。この交番からだと、自転車で三分ほどの所だった。

 僕はマンションの一室のドアベルを押した。

 ドアチェーン越しに中から五十歳ほどの、窶れた婦人が顔を見せた。僕は警察手帳を見せた。ドアチェーンが外され、僕は玄関に入った。すぐに手帳を出して用件を聞いた。

「夫は昨日から会社に行っていないんです」と言った。

「済みません。ご主人の会社の役職とお名前と年齢を教えてください」と言った。

「高木工業株式会社の経理課の係長をしている石井和義五十三歳です」と婦人は言った。

「詳しく話してくれますか」

「昨日の午前八時に家を出たきり、会社に行っていないということで、昨日も今日も会社から電話があり、それで西新宿署に行方不明者届を出しに行きました」と婦人は言った。

「行方不明者届を出すにしては早くはありませんか。どこかに旅でもしているということはありませんか」と僕が言うと、婦人は「そんなことはありません。普通に会社に向かうために家を出て行ったのです」と言った。

「そうだとすると行方不明者届はもう少し待った方がいいんじゃあありませんか」と僕が言うと、婦人は「最近、夫が働く高木工業株式会社では一億四千万円もの使途不明金が見つかっていて、そのことで夫は連日悩んでいました。昨日も今日も会社に行っていないというのはおかしいし、第一、家にも帰ってきていないんです」と泣きながら言った。「ご主人の携帯にはかけてみましたか」と僕が訊くと、「かけましたが、電源が切られていました」と答えた。

「知っている人には訊いてみましたか」と訊くと、「親戚や知人に訊いてみましたが、最近は夫を見ていないと言われました」と答えた。

 そして「あの人は思い詰めるたちなのです。今回の使途不明金については、相当悩んでいました」と言った。そして「あの人が何処にいるのか早く知りたいんです。無事な顔を見たいんです。すぐに捜してください。お願いします」と言った。

「分かりました。この件は、警察が全力で捜しますから、ご心配なさらないように」と言って、玄関を出た。それがただの慰めにしか過ぎないことは、僕が一番よく知っていた。

 交番に戻ると、その後、道を尋ねる人が来て、今日が終わった。

 交代の北村孝夫巡査が来たので、僕は交番から署に戻り報告をした後、私服に着替えて家に向かった。

 家に戻ると、きくとききょうと京一郎が出迎えてくれた。

 きくとは、僕が二十歳になった時に結婚した。きくの喜びようといったらなかった。きくの戸籍がやっと取れたからだった。

 僕が十八歳になった時に、区役所に申請したが、認めてもらえず、やむなく、家庭裁判所に戸籍申請の訴えを起こした。それが結審するのに、二年かかった。江戸時代から来たきくの身元を証明するものが全く無かったからだ。それでも、ここに存在するきくに戸籍を与えないことは裁判所もできなかったのだ。

 ききょうと京一郎にも戸籍ができた。

 ききょうと京一郎は、今、小学校に通っている。ききょうは二年生で、京一郎は一年生になった。

 ききょうと京一郎には、僕が会社員だと言っていた。実際のところ、会社員と何ら変わるところはなかったのだ。交番勤務から警察署に行くようになったら、警察官だと言うことにしていた。

 京一郎はもうそろそろ学校にも慣れてきただろう。それはきくも同じことだったろう。きくは、ききょうのときには大変だったが、京一郎は二度目だから、少しは慣れてきたはずだ。