小説「僕が、剣道ですか? 2」

 屋敷の道場に戻り、皆を集めた。明日、道場内での稽古試合をする。それに勝った者、四名に特別な稽古を付けると言った。四名という数字は、堤道場で聞いた師範代の候補の数が影響していたのかも知れなかった。

 道場内はざわついた。

 皆を練習に戻し、相川と佐々木を残した。彼らには、また六曜ごとに堤道場に稽古に行ってもらうように告げた。今度こそ、本格的にこの道場を任せられるように、お前たちを鍛えるつもりだとも言った。

 僕は道着に着替えて、相川と佐々木に木刀を持たせて、打ち込みを三十分ほどした。彼らは、たゆまなく打ち込み続けなければならなかったので、三十分ほどでも息が上がった。

「これが今の倍ぐらいの時間でも、続けられるようにならないといけない」と言うと、「そんなの無理ですよ」と相川が言った。

「無理でもするんだ」と僕は答え、彼らの見ている前で、腕立て伏せを百回して見せた。

「これができるか」と訊くと、二人とも「やってみます」と始めたが、三十回を超えたあたりで手が震え出した。

「これと同じだ。これが百回できて、私と小一時間、打ち込み練習ができる。それがお前たちの当面の目標だ。言っておくが、これを腕立て伏せと言うが、これを百回できるのは、基本中の基本だからね。できるようになれば、これを何回もやる」

 相川も佐々木も渋い顔をした。

「ところで今は門弟たちは何時に帰している」と訊いた。

「申(さる)の下刻です」と答えた。午後四時ごろということかと思った。

「最近は、門弟たちは襲われないのか」と訊くと「当道場の者を襲う者は、もういません」と答えた。

「そうか」

 門弟たちが帰っていった後、少し早めだったが風呂に入った。

 風呂ではきくに堤道場のことを訊かれた。

 向こうでは追々、師範代を決めるようだと答えた。

「師範代ともなれば、おたえさんのお婿さんになりますね」ときくは無邪気に言った。それを僕が決めなければならないんだから、大変なんじゃないかと思った。もちろん、たえに僕の子ができていることは、きくには言わなかった。

 

 夕餉の席では、家老から「殿の病状が良くない」という話が出た。口には出さなかったが、次の藩主になる綱秀のことで頭がいっぱいなのだろう。

 座敷に行くと、きくが待っていた。

「おたえさんはどうしていましたか」

 やっぱり、たえのことを気にしていたのだ。

「元気にしていた」と答えた。

「そうですか」

 僕はきくの膝枕で寝転がった。

「赤ちゃんは元気ですよ」ときくは言った。

「ほら、また蹴った」

 僕は笑って、きくのお腹をさすった。

 

 次の日、僕は道場にいた。

 門弟の稽古試合を見ていた。九十八人が二人一組になって戦い、四十九人が残った。その中に、落合敬二郎がいたので、彼を外して、残りの四十八人で二十四組の戦いを午後に行った。二十四人が残ったので、明日、続きをやると告げた。

 次の日、十二組の戦いが終わり、十二人が残った。そして十二人が六組になって戦い、六人が残った。最後に六人で三組の戦いが終わり、勝者は長崎三郎、島村時四郎、沢田熊太郎の三名だった。

 相川と佐々木、落合に、その三名を加えた六名に木刀を持たせて、僕に打ち掛かってこいと言った。

 六人は円陣を組み、それぞれ打ち込んで来た。僕はそれらの木刀を払いのけ続けた。鍔迫り合いが続いた。

 六人が疲れ、座り込むまでそれが続いた。

「まだまだ」と僕が言うと「もう、手が出ません」と相川が言った。他の者は肩で息をしていた。

「先生は疲れないんですか」

「まだ、肩慣らし程度だな」と言ったら「そんな」と皆が驚いた。

 僕は門弟たちに言った。

「剣術は技を磨くことも大事だが、まず体力を付けることだ。疲れない躰を作るんだ。その後は、速さだ。体力を付ければ、速さも自ずと付く。基本に忠実になることだ」

「はい」

 僕は型を教えるのは嫌いだったが、それでも演舞をして見せた。

「これらの型の中には、戦い方の基本が詰まっている。覚えておいて損はない」と言った。

 言っていることと矛盾していたが、型稽古は、実践的でないのは分かっていた。しかし、目的もなく、練習する味気なさも分かっていたので、つい簡単な方に走ってしまった。

 型を見せたことで、早速その真似をあちらこちらで始めた。

 

 週末に藩主が亡くなった。次の藩主として綱秀が擁立された。三日間、殺傷や遊行が禁止された。

 家老屋敷や堤の道場も三日間は休みとした。

 その三日が過ぎた頃、突然、辻斬りが続いて起こった。それも侍だけを狙ったものだった。

 その辻斬りは背が高く、僕が家老屋敷にいなければ、真っ先に疑われていたところだった。

 久しぶりに町に出た。藩主が変わり、町にも活気があった。通りを歩いていると、後ろを付けてくる者がいた。町人風でも侍風でもなかった。侍風でもないというのは、表現としては正確ではなかった。姿は侍風だったが、歩き方などが侍風ではなかったのだ。通りを歩いているうちにすうっと後ろから近付いてくる。人が多くなった所で、さらに近付いてきた。通り越していくのかと思っていたが、そうではなかった。懐に忍ばせていた針を突き立てようとしていたのだ。針が着物に触れた瞬間に僕は前に進み距離を取った。針は肌に触れずにその者の懐にしまわれた。その男は気付かなかったかも知れないが、僕は距離を取りながら、振り返ってその男の顔を見た。そして服装も見た。

 男は離れていった。僕は背が高いから、付けるのは不便だが、遠くも見渡せる。その男が角を曲がった時、素早く角まで行き、その男を見つけ出した。その男は付けられていることに絶対、気付かないだろう。これほど距離を取って、付けてくるとは思わないだろうから。やがて、武家屋敷の方に向かい、大きな屋敷の中に入っていった。

 近くにいた侍に「ここは誰の屋敷ですか」と訊くと、「お側用人、斉藤頼母様のお屋敷です」と答えてくれた。

 側用人、斉藤頼母か、と思った。すると、さっきの者は斉藤頼母の手の者ということになる。明らかに、僕を鏡京介と分かって狙ってきた。隙のない歩き方と、あの針の刺し方は慣れた者の技だった。相手は侍ではない。あの技は忍びの者だろう。また、仕掛けてくるに違いなかった。そして、一人とも思われなかった。

 僕は斉藤頼母の屋敷を離れた。

 

 家老の屋敷に戻り、道場に寄ると「また型を見せてください」と言われたので、道着に着替えて型を見せた。その型が何を意味するのかを理解させるために、型の流れに従うように、木刀を門弟に持たせて、正眼に構えさせた。

「しっかりと持っているんだぞ」と言った。

 そして、僕は型をしながら、門弟の持つ木刀を、型の流れに沿って叩いていった。しっかり持っていろと言ったのに、皆、木刀を取り落としていた。