小説「僕が、剣道ですか? 2」

「頼もう」と言う大きな声が玄関の方からしてきた。

 しばらくして、門弟の一人が桟敷にやってきて「道場破りがやってきています」と告げた。

「またか」と言って、堤が立ち上がったので、僕も「私も行きましょう」と言って立ち上がった。

 玄関には三人の大きな男がいた。

 一人は槍を持っていて、後の二人は普通の出で立ちだった。

「ここは任せてもらえますか」と僕は堤に言った。彼は頷いた。

「どのようなご用件かな」と僕は三人に言った。

「一手、ご教授を願いたい」と中の一人が言った。その男が中心人物なのだろう。

「それは構わないが、稽古料はお持ちかな」と僕は言った。

「稽古料を取るのか」

「いや、そのつもりはござらんが、こちらが負けた場合はどうなさるつもりでござるか」

「看板をもらって行く」

「ほう、看板を」

「そうだ」

「それは困る」

「なら、金子を払え」

「分かり申した。払いましょう。で、そちらが負けた場合は、どうなるのですか」

「どうなるとは」

「袋叩きにあいますか」

「袋叩きにすると言うのか」

「いや、そのつもりはありません。稽古料をお支払い頂く」

「やはり、稽古料を取るのではないか」

「こちらが負けた場合、看板を持って行くと言うからですよ。そちらが負けたら何もなく、こちらが負けたら看板を持って行かれるか、金子を払うのでは、割に合わないではないですか。対等に戦うのであれば、そちらも何らかの負担をしなければ、おかしな話だ」

「わかった。稽古料はいくらだ」

「一分と言ったところですか」

「一分だと」

「看板に比べれば、安いものでしょう」

「そんなべらぼうな」

「それでは、こちらが負けた場合も一分でよろしいですね」

「負けたら、看板に泥が塗られるんだぞ。一分でいい訳がないだろう」

「まさか、戦わずして一分金をせしめるつもりではないでしょうな」

「だれが一分だと言った。戦わなければ、二両だ。それで帰る」

「戦わずして二両もせしめるとは、業腹だな。まず一分金を持っているのかどうか、見せてもらいましょう」

「見せる必要があるか」

「持ってないんですね。では、お帰りを」

「それで帰るとでも思っているのか」

「帰らないのですか」

「看板をもらって行く」

「おかしなことを言われる。こちらはまだ戦ってもいませんよ」

「戦いたくないから、そう言っているのだろう。腕ずくでも持って行くぞ」

「それなら、腕ずくでも阻止しましょう」

「なんだと」

「戦いましょうよ」

「何」

「相手にしないとは言っていないじゃないですか」

「若造が、そんなことを言ってもいいのか。道場主を出せ」

「道場主が相手にするまでもないでしょう。私を負かせるとでも思っているのですか」

「何だと。この小僧が言いたいことを言いやがって」

「取りあえず、稽古を付けましょう。草鞋を脱いで」

 僕は道場に上がった。様子を見ていた門弟に壁際に下がるように言った。

 三人は草鞋を脱いで道場に上がった。

 僕は神棚に一礼をして、壁に掛かっている木刀を一本取った。

「わしらは木刀なんぞは使わんぞ」と真ん中の男が言った。

「どうぞ、真剣で立ち会いましょう」

「では、わしが先に行く」と右にいた男が言った。

「いやいや、それでは役不足でござる。全員でかかってこられよ」

 僕は木刀を正眼に構えて言った。

「ふざけたことを」と右の男が言った。

「本気でそんなことを言っているのか」と槍を持った男も言った。

「どうなっても知らんぞ」と真ん中の男が言った。

「そちらの槍も剣も、私にはかすりもしませんよ。そして、あなた方が床に倒れている。それだけのことです」

「まだ言うか」

「さあ、来なさい」

 三人は三方から攻める戦術に出た。真ん中の男、右に回った男、槍を持った男が左に回った。

 門弟たちは、壁際からこの戦いを見ていた。

 堤は神棚の下に立ち、たえは玄関の方から見ていた。

 三人の間合いが詰まった。最初に槍の男が突いてきた。それをかわしながら、右腕に木刀を叩き込んだ。骨の折れる音がした。

 次に右の男が襲いかかってきた。その剣は空を切った。木刀は腹をしたたかに打った。

 そして、真ん中の男が素早く剣を振り下ろしてきた。この者の剣捌きが一番早かった。しかし、剣は僕の躰を掠めただけだった。がら空きになった両手を木刀で叩いた。手首の骨が折れただろう。

 ほんの一瞬だった。三人は床に這っていた。

 僕はあっけにとられている門弟たちに言った。

「外に放り出せ」

 三人は門弟たちに引き摺られて、門の外に放り出された。草鞋も投げつけられた。

 

 たえが寄ってきた。

「お強いのはわかっていますが、心の臓にはよくありません」と言った。

 堤が「いつもながらに見事でござったな」と言った。

 門弟からは「凄い」と言う声が聞こえてきた。

「見えた」

「いや、全然」

「どうやって倒したのかも、わからなかった」

「鏡先生の戦いっぷりを間近に見られるなんて光栄だ」

「本当に」

 

 また、座敷に戻った。

「それにしても凄い。あの早業を孫が受け継いでいてくれるのなら、それに越したことはない」

 堤はそう言った。

 たえは「鏡様のお子ですもの、きっと受け継いでいます」と言った。

「道場破りはよく来るんですか」

「時々、来ますね、お父様」

「ああ、そのときは大抵門弟が追い払ってしまう」

「今日、来たのは強そうでしたね」とたえが言った。

「強かったですよ」と僕は言った。

「でも、鏡様は一瞬にしてお倒しになられたではありませんか」

「まぁ、私の速さに負けただけです。技は持っていましたよ。ただ、それを出す間がなかった、そういうことです」

「相手に力を出させない。それが鏡殿の強さなのですね」

「ところで、門弟が三百人を超えたと、おたえさんから聞きましたが師範代を置くつもりはないのですか」

「いや、置こうと思っているところなのですが、決めかねているところなのです」

「それはどういう訳で」

「心技体、その三つが揃っている者がいないのです」

「心技体ですか、それは難しいですね。でも、候補はいるんでしょう」

「四人います」

「そうですか、四人ですか」

「ええ」

「いつか、お相手しましょう」

「そうですか、鏡殿が見極めてくださいますか」

 たえの方を見た。複雑な顔をしていた。師範代を決めるということは、たえの婿を決めることに等しい。それを僕がやるのか。あなたが、わたしの夫を決めるの、とたえが言っているように思えた。

「それは、先の話です」と僕はたえを見ながら言った。

 僕は、また六曜に一度の相川と佐々木の稽古をお願いして、堤道場を後にした。