四十三
僕は「では、次の事件にいきましょう」と言った。
「あなたは、二〇**年十二月十八日月曜日、午後七時四十分に会社を出ると、駅前の定食屋****で焼き肉定食を食べました。これも、売上伝票を調べれば分かることでしょう。それから、新宿から来た電車に午後八時二十分に乗りました。あなたは珍しく目の前の座席が空いていたので、そこに座りました。そして、周りを見ると、少し斜め横に川村康子さんが立っていました。やはり、継母となんとなく似ていたんでしょう。川村さんは午後八時半に椿ヶ丘駅で降りました。当然、あなたも降りて、後をつけました。川村さんは駅前のスーパー****で買物をすると、十五分ほど歩いて公園に入って行きました。川村さんも携帯に目を向けていて、あなたがつけてくることには気付きませんでした。川村さんは公園を抜けると、住宅街に入り、五分ほど歩いた所にある一戸建ての自宅に戻りました。彼女は両親とその家に住んでいました。あなたは、川村さんの自宅を確認すると、公園に戻り、襲う場所を探しました。候補地は三箇所の木陰の周りでした。そして、一番通りから近い奥の木陰を犯行場所に決めました」
芦田は僕の言葉に耳を傾けていた。それはそうだろう。僕がしゃべるとおりに映像が頭に再生されていくのだから。どこかに違っているところがないか探して、指摘するつもりだったのだ。しかし、芦田の見ている映像と僕の見ている映像は同じだったから、齟齬しているはずはなかったのだ。
「あなたは、ご自分の犯行が水曜日になっていることをご存じでしたか」と僕は訊いた。
「知っているさ」と芦田は答えた。
「それは何故ですか。たまたま、そうなったからですか。それとも水曜日に拘ったからですか」と訊いた。
芦田は「水曜日に拘った訳じゃない。獲物を見付けたのが、たまたま月曜日だったからに過ぎない。もし、その獲物を次の日も見付ければ、その次の日に殺そうと思っていたからに過ぎない」と芦田は答えた。
「獲物とは被害者のことですね」と僕は確認した。
「そうに決まっているだろう」と芦田は言った。
僕は続けた。
「それで、あなたは二〇**年十二月十九日火曜日、午後八時に会社を出て、椿ヶ丘駅に行き、新宿から来た電車をわざわざ一台見送り、次に来た午後八時二十分の電車に乗ったのです。それも昨日と同じ位置に止まった車両にでした。電車に乗ると、川村さんを捜しましたね。そして、見付けた。川村さんは、乗降口の近くに立っていました。あなたは、あなたの言葉を借りれば、獲物を今日も見付けたと思ったことでしょう。さぞや、興奮したことでしょうね」
「ああ、明日はやってやると思ったよ」と芦田は言った。心の壁が崩れた芦田の口調は滑らかだった。
僕は、「あなたは二〇**年十二月二十日水曜日、退社時間が来ると、すぐに北府中駅に向かい椿ヶ丘駅で降りました。部屋に入ると、着替えを始めました。いつものようにパンツを脱いで紙おむつに穿き替えましたね。ここではこれ以上詳しくは言いませんが、これはあなたの性癖のためでした。上は長袖シャツに紺色のセーターに黒い皮のジャケットを着て、下は紙おむつの上にジーパンを穿きました。箪笥の引出しから小さなショルダーバッグを取り出し、目出し帽と新しい紺色のハンカチとロープを入れ、手には皮手袋をしました。玄関では洗って乾かしておいた運動靴を履き、小さなショルダーバッグは袈裟懸けにしました。そして、部屋を出ると、駐輪場に行き、自転車に乗り、椿ヶ丘駅に行きました。椿ヶ丘駅には、午後八時二十分に着きました。十分前に着いたのです。そこで、川村さんを待ちました。午後八時三十分になり、新宿からの電車が到着して、駅からは沢山の人が出て来ました。あなたは、携帯を見ながら駅を出て来る川村さんを見付けました。それから、あなたは、自転車で、川村さんの後をつけました。あなたは、川村さんの行く方向に先回りして、川村さんが来るのが分かると、また先回りをしました。こうして、川村さんが公園に向かうのを確認すると、待ち伏せをするために自転車で公園に向かいました。奥の木立がある柵の所で自転車を降り、小さなショルダーバッグから目出し帽とハンカチとロープを取り出しました。柵を越えて公園に入ると、目出し帽を被り、右手にハンカチを、左手にロープを持ちました。そして、一昨日、見付けておいた場所に行くと、川村さんを待ちました。ほどなく、川村さんがやって来て、あなたの近くを通り過ぎた時、あなたは飛び出し、後ろから川村さんの口を右手に持ったハンカチで押さえました。そして左手でロープを首に巻きつけました。それから、川村さんを木陰に引きずり込み、右手のハンカチをジーパンのポケットに入れ、右手でもロープを掴みました。この時、川村さんは必死で抵抗していたことでしょう。しかし、あなたは無情にも首のロープを引っ張りました。川村さんは泣いていたでしょうね。その顔を見ながら、さらに締め上げていったのです。あなたはとても興奮しましたね」と言った。あやめは芦田に川村を絞殺する瞬間の映像を芦田に送った。
「そうだよ。最高の気分だったよ」と芦田は言った。
「性的に興奮したのですね」と僕が訊くと「ああ、そうだよ」と芦田は答えた。
「ここで、北府中市の連続絞殺事件は終わりました。それは、あなたが本社勤務になったからです。二〇**年一月**日、会社の新年会の時でした。あなたは専務から、この四月にあなたを本社勤務にすることが内定した旨を聞きました。そして、新しいプロジェクトのサブディレクターに起用されることも聞きました。あなたにとっては、大抜擢だったのですね。この内定は二月には決定され、あなたに通知された。当然、あなたは引越しをすることになった。それが新宿区中京町にあるエスコート四谷中京町六〇五号室だった。本社勤務は四月二日からでしたから、あなたは三月二十九日に引越しをして、三十日に各方面の諸届出を済ませました。これは確認をすれば分かることです」
「確認しなくても、そうだよ」と芦田は言った。
「そうですか。ありがとうございます。そして、四月二日に、エスコート四谷中京町のマンションから本社まで自転車で通いました。午前八時五十分に、本社ビルに着くと自転車を駐輪場に置き、エレベーターで五階に行った。ここで、専務に新しいプロジェクトを担当する者が第二会議室に集められ、六人のメンバーが紹介されました。プロジェクトの内容は省略しましょう。事件にとって重要なのは、プロジェクトの内容ではなくて、そのプロジェクトのメンバーだったからです。特に、女性のチーフディレクターは西村香織さんでした。あなたは彼女の指示の下で働くことになりました。この時からです、あなたの言う獲物の対象が継母に似た女性ではなく、西村香織さんに似た女性に変わったのは」
「この被害者の生前の写真を見てください」と言いながら、僕は机に九枚の写真を載せた。九枚の写真は、五枚と二枚に分けられ、その上にもう一枚ずつ写真が置かれた。継母と西村香織の写真だった。
芦田は「それがどうした」と言った。
僕は「分かりませんか。最初の五枚は、あなたの継母にどことなく似ています。そう思いませんか。だが、残りの二枚は違います。ここに西村香織さんの写真が置かれていると、二人とも西村香織さんに似ているでしょう。特に、最後の被害者の西沢奈津子さんは西村香織さんにそっくりです」と言った。
あやめが芦田に映像を送った。芦田は堪らず、「確かに似ているよ。だが、それがどうしたというのだ」と言った。
「私は動機について話をしているのです。あなたが何故、絞殺事件を起こしたのかということです。あなたは****年**月**日秋田県西秋田市で生まれ、そこで育ちました。あなたが八歳の時に両親が離婚して、あなたは父親に引き取られました。そして、あなたの父親はまもなく二十八歳の美しい女性と再婚しました。彼女は子持ちでした。四歳の男の子がいたのです。再婚してからは、継母はその四歳の子どもだけを可愛がりました。それから、父親もその連れ子の方を可愛がり、父親のあなたに対する虐待が始まりました。そんな環境下で、あなたの継母に対する、愛して欲しいという気持ちと憎しみが育っていったのです。そして、父親のあなたに対する虐待は激しさを加えていきました。あなたは、体格は良かったのですが、それまでは優しかったのです。父親から虐待を受けても反抗しませんでした。父親に対する怖さもあったのでしょう。中学に入ったあなたは柔道部に入部しました。父の虐待から身を守るためでした。そして、一年が過ぎた頃、正確には、****年**月**日、酒を飲んだ父親がガラスの灰皿をあなたに振り上げました。それがきっかけになりました。あなたは自分を守るために、父親の胸元を掴んで、足払いをしてあっけなく畳に転がしました。そこで止めれば良かったのですが、火がついたあなたは暴走した。父親から取り上げた灰皿で、父親の顔を殴りつけたのです。頬の骨にひびが入るくらい強く殴りつけました。その時です。継母が叫びを上げたのです。その叫び声を止めようとして、あなたは夢中で、継母の首を絞めました。義弟が止めに入らなければ、絞め殺していたところでしたでしょう。その時に、あなたには二度と消えない記憶が残りました。それは、継母を絞めた時の感触でした。もがき苦しみ、涙を流してあなたを見る継母の顔や目が忘れられなくなったのです。その時、あなたは性的に興奮していましたね。それから、継母を絞殺する夢を何度も見たのではないのですか。そして、必ず性的に興奮したのです。あなたは、継母を絞殺することを夢に見たのです。それが、絞殺事件の動機です」
あやめが芦田に映像を送った。芦田は「ああ、最初の五人はそうだったよ。継母に似ていた。だから、絞め殺したんだ」と言った。
「今のは、自白ととっていいですね」と僕は念を押した。
「どうとでもとればいいさ」と芦田は言った。
「残りの二人は、西村香織さんに似ていたからですね」と僕は言った。
芦田は「そうさ。あの女は、俺の手柄まで横取りして、さも自分が考えたようなことを言いふらしていたんだ。殺してやりたかったよ」と言った。
「でも、本人を殺すことはできません。だから、西村香織さんに似ている秋野恵子さんや西沢奈津子さんを絞め殺したのですね」と僕は言った。
芦田は「そうだよ。本当は西村香織を絞め殺したかった。どうせ捕まるぐらいなら、西村香織を絞め殺しておけば良かった」と言った。
僕は時計を見た。午後三時になろうとしていた。
僕はマイクに「取調を中断します」と言って、「休憩です」と芦田に言って、椅子から立ち上がった。そして、僕は取調室から出て行った。
ミラー室から捜査一課長が出てきて、「よくやった」と言った。
僕は「ありがとうございます」と言った。捜査一課長は「お疲れさま」と言った。僕は礼をして、八階の捜査本部に行った。
そこに置いてきた鞄のお茶が無性に飲みたかったのだ。捜査本部はてんやわんやだった。僕の言ったことの裏を取るためだった。あちこちに電話をかけていた。
僕は椅子に座ると、鞄を取った。そこから水筒を取り出した。そして、コップにお茶を注ぎ飲んだ。
捜査本部の慌ただしを見ながら、椅子に座って休んだ。僕のすべきことは終わった。ある種の満足感に満たされていた。しばらくして、腕時計を見た。午後三時半を過ぎていた。
僕は水筒を鞄に入れて、立ち上がった。そして、エレベーターホールに向かった。そこに西森刑事が走ってきた。
「鏡警部待ってください」と言った。
僕は「何でしょうか」と言った。
「取調室に来てください」と言った。
「どうしてですか」と訊いた。
「芦田がさっきの取調官でなければ話さないと言っているんですよ」と言った。
「そんな馬鹿な。芦田は私を恐れていましたよ」と言った。
「でも、これは捜査一課長の命令なんです。とにかく鏡警部を呼んでくるようにと言われたんです」と西森は言った。
僕は「少し待っていてください」と言って、鞄を捜査本部の奥の席に置いてきた。
「では、行きましょう」と西森に言った。