小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十九

 取調官が机の向こう側にいた。マイクに向かって、「二〇**年**月**日、午前十時五分。これから取調を開始します」と言った。

 芦田勇は椅子に足を組んで座っていた。

 取調官はまず被疑者の氏名、生年月日などの人定質問を行い、今、取調を行っている対象者が芦田勇と特定した。その後で逮捕容疑を読み上げた。

「これに間違いはないか」と訊いた。芦田勇は即座に「否認します」と答えた。

「全部か」と訊くと、「全部です」と答えた。

 芦田勇は逮捕される直前に、内藤弁護士と携帯で話をした。その時、「わたしと接見できるまでは、名前や生年月日等の人定質問には、答えてもいいですが、それ以外は否認するか、黙秘してください。あなたの場合、逮捕容疑がそのまま通れば死刑しかあり得ない事案ですから、心してください」と言われていた。

 それは弁護士に言われなくても分かっていた。芦田勇は事件については、否認するか、黙秘することにしていた。

「この写真を見てもらいたい」と言って、取調官は机の上に、芦田に見えるように十六枚の写真を載せた。

 それらの写真は、芦田の運動靴とその足跡、それから事件現場に残されていた足跡と、それから象った足跡の模型と、それを芦田の運動靴に重ね合わせている写真だった。

「この写真の運動靴は誰のものだ」と訊いた。

「わかりません」

「お前のものだ」と取調官は言った。

「否認します」と芦田は言った。

「否認しても、無駄だ。これはお前の自宅の家宅捜索で押収したものだ」と言った。

「否認します」

「そうか。しかし、この運動靴の足跡と事件現場に残された五件の足跡は一致したぞ」と取調官が言った。

「それはねつ造した証拠じゃありませんか。わたしは事件とは無関係です」と言った。

「これは事件発覚直後に事件現場で採取した足跡だ。ねつ造したものではない」と取調官は言った。

「仮にそうだったとしても、同じ運動靴はいくらでもありますよね。わたしの運動靴の靴跡と同じだからと言って、同一の靴とは限らないじゃあないですか」と芦田は言った。

「そう言うと思ったよ。確かに同じ運動靴は、沢山生産され、そこら中で売られている。しかし、履き慣れた運動靴の靴跡は同じじゃないんだよ」と取調官は言った。

「どういうことです」と芦田は言った。

「人によって靴底の減り方が違うんだよ」と取調官が言った。

 この時、芦田は自分が犯したミスに気がついた。運動靴の公園の土が付着していることだけを芦田は気にしていたが、足跡にも違いがあることまでは頭が回らなかった。そうであれば、ロープを一回ごとに捨てたように、運動靴も捨てれば良かったのだ。ミスだとは思ったが、決定的な証拠だとは思わなかった。

「仮にわたしの運動靴の足跡だとしても、それは警察が後から作った証拠じゃないんですか。わたしの部屋から押収した運動靴を使って、後から足跡をつけたんじゃないですか」と芦田は言った。

「写真を見るんだ」と取調官が言った。

「そこには写真を撮影した日付と時間が表示されているだろう。後から作った証拠じゃないことは、それでわかるだろう」と続けた。

 芦田は笑った。

「わたしを誰だと思っているんですか。システム・エンジニアですよ。カメラの日付や時間などいくらでも変えて撮影できますよ。今、ここにカメラを用意してくれたら、この日付、この時間で撮影して見せますよ」と芦田は言った。

「この写真に細工はされていない。それは専門家が証言してくれる」と取調官は言った。

 そして、机の上の写真を集めて、後ろで記録を取っている者に渡した。

 それから、その係官から別の写真を受け取ると、机に並べた。今度は十五枚の写真だった。

 その写真は、被害者の首に残されたロープの跡と、それを拡大したものだった。それぞれ被害者一人につき二枚の写真があり、残りの一枚は芦田の部屋から押収したロープの写真だった。

「最初の一人だけロープ痕が一致しないが、残り六人のロープ痕は、お前の部屋から押収したロープの跡と一致したんだよ」と取調官は言った。

「そんなロープはどこにでもあるでしょう」と芦田は言った。

 ロープについては、自信があった。絞殺に使ったロープはゴミ捨ての日にビニール袋に何重にも包んで捨てていたからだ。

「そうでもないんだな。結構、珍しいロープだということだぞ」と取調官は言った。

「そうですか。わたしにはよく見かけるロープに見えますが……」と芦田は言った。

「このロープはどこで購入した」と取調官が訊くと、芦田は「忘れました」と答えた。

 もちろん、はっきり覚えていた。しかし、言う必要はなかった。

「一体、何のために購入したんだ」と取調官が言った。

「物を捨てるときに縛るためにですよ」と芦田は答えた。

「首を絞めるためだったのではないのか」と取調官が言うと、「違いますよ」と即座に否定した。

「ロープで首を絞めると、ロープに被害者の髪の毛が絡まったりしないか」

「知りませんよ」

「ロープで首を絞めるときには、被害者の髪の毛やうなじの毛が絡むんだよ」と取調官が言った。

「それがどうしたんですか。わたしには関係のない話ですよ」と芦田は言った。芦田は取調官が何を訊き出そうとしているのかが、わからなかった。ロープはその都度、捨てている。仮にロープに被害者の髪の毛が絡まっていたとしても、問題はないはずだ。

「そうかな」

「そうですよ」

「こんなロープを持ち歩いていれば、不審がられるよな」と取調官が言った。

 芦田は、取調官の言わんとしていることがわからなかった。しかし、次の言葉を聞いてドキッとした。

「このロープは何かに入れて持ち歩いたのではないのか」

「…………」

「例えば、このくらいのショルダーバッグとか」と言って、一枚の写真を机に出した。

 それは犯行時に持ち歩いていた、小さなショルダーバッグだった。

「否認します」と芦田は言った。

「そうか、それは残念だな。だが、これはお前の部屋から押収した物だ」と取調官が言った。

「…………」

「ここからが大事なところだから、よく聞いてくれ。このショルダーバッグからは数人の髪の毛が見つかっている。今、DNA鑑定をしているところだ。もし、被害者の髪の毛が見つかったら、決定的な証拠になるからな」と取調官が言った。

「もし、被害者の髪の毛が見つかったとしても、それは警察がねつ造したものです」と芦田は言った。もう、そう答えるより仕方がなかった。

 そして「この写真を見てくれ」と取調官は、また一枚の写真を机の上に出した。それは芦田の皮手袋だった。

「この皮手袋はお前の物だな」と取調官が訊くと、芦田は「否認します」と答えた。

「この皮手袋もお前の部屋から押収した物だ。この皮手袋がお前の物かどうかは、DNA鑑定をすればわかることだ」と取調官が言った。

「…………」

「この皮手袋は少し変わっていてね。左手の皮手袋に匂いがついているんだ。何の匂いかわかるか」と取調官が訊いた。

「わかるわけないでしょう」と芦田は言った。

「本当はわかっているんだろう。被害者の体液だよ」と取調官が言った。

 取調官は尿とは言わず、体液と表現した。芦田から言質をとるためでもあったが、被害者に配慮したのだ。

「…………」

「どうせ、これも鑑定結果が出ればわかることだ」と取調官が言った。

「…………」

「どうだ。これだけ、証拠が残っているんだ。自白したらどうだ」

 それからは、芦田は何も言わなくなった。

 取調官の自白の強要と芦田の黙秘が続いた。

 そこで映像が終わった。