四十一
午後一時になった。取調室に芦田が刑事に付き添われて入ってきた。腰縄と手錠が外されて、机を挟んで僕の前に座った。
僕はマイクに向かって「二〇**年**月**日、午後一時二分。芦田勇に対する取調を再開します」と言った。
そして、僕は「最初の犯行について、こちらが分かっていることを話しましょう」と言った。
「あなたは四年前の二〇**年五月十日午前十一時三十五分に、隣町の****という百円ショップに行き、犯行時に使った鈴蘭テープと紺色のハンカチを買いましたね」
「否認します」
「いいでしょう。****という百円ショップは青色申告をしているでしょう。帳簿や領収書の保存期間は七年間ですから、これは、****という百円ショップの二〇**年五月十日午前十一時三十五分のレシートを確認すれば分かることです。そこには、あなたが購入した鈴蘭テープと紺色のハンカチが売上として記録されているはずです」
「否認します」
「結構です。次に、犯行時に使った皮手袋です。これも二〇**年五月十日午後〇時十三分に、やはり隣町の****という雑貨店で購入しています。これもその雑貨店の売上伝票を確認すれば分かることでしょう。しかし、時間までは書かれていないでしょう。だが、あなたは気付かなかったかも知れませんが、雑貨店の店の人なら覚えているかも知れないことが起こっていたのです。近所の飲食店で殴り合いの喧嘩騒ぎがあり、近くの交番の巡査が呼ばれています。これは、交番の記録から確認できることでしょう。この交番の記録を見れば、この喧嘩騒ぎがあったのが二〇**年五月十日午後〇時十分頃だということが分かるでしょう」
ここで時間を止めた。ズボンのひょうたんを叩き、あやめに「この時の記憶を芦田に映像として送れ。そして、その時の芦田の反応について、私に送ってこい」と言った。あやめは「はーい」と言った。
そして、時間を動かした。
芦田は「否認します」と言おうとした。しかし、その時の記憶が突然頭に蘇ってきたのだ。確かに、****という雑貨店で皮手袋を購入しようとしていた時に、すぐ後ろの飲食店で喧嘩騒ぎが起こっていて、すぐに交番巡査が来たのを見た。芦田は、皮手袋を買うと、お釣りを店主からもらい、騒ぎを避けて別の道から自転車で帰ったのだった。だが、何故、こんな細かいことまで、この取調官は知っているのだと思った。しかし、ここは否認するしかなかった。
「否認します」と芦田は言った。
「あなたが、最初に犯行を起こそうとしたのは、四年前の五月十一日月曜日でしたね。中島明子さんは午後七時四十五分に南秋田駅を出ました。あなたは、ポロシャツにスラックスという格好に、以前から購入していた、運動靴を履いていた。あなたは南秋田駅を出た中島明子さんを自転車で追いました。彼女は携帯でゲームをしていた。中島さんがコンビニを通った所で、あなたは自転車を走らせて、先回りをしました。そして、公園の脇に自転車を止めて、公園に入って林の側で中島さんを待ちましたね。そのうちに中島さんがやって来ました。彼女は携帯ゲームに夢中になっていました。絞殺するチャンスが来ました。しかし、その時、逆方向から、カップルがやって来たんでしょう。それで絞殺することをあきらめた。そして、次の日も中島明子さんを狙った。だが、午後七時四十五分に中島さんはいなかった。それは、一台前の電車で中島さんが帰ったからです。あなたは怒りに震えた。次の日こそ、絞め殺そうと思ったんじゃありませんか」と僕は言った。
「否認します」と芦田は言った。しかし、あやめが伝えてきたのは、芦田がかなり動揺しているということだった。特に、月曜日にカップルがやって来たので、絞殺できなかったことを、何故、取調官が知っているのか、不審に思っていた。
「どうして、月曜日に絞殺できなかったことを私が知っているか、不思議でしょう。それはあなたの考えていることが分かるからですよ」と僕は言った。
「そんな馬鹿な」と芦田は言った。
「それでは、その時、そのカップルからあなたが聞いた言葉を教えましょうか。『なにぃ』と訛りの混じった女の声でしょう」と言うと、僕は時間を止めて、あやめに「この時の映像を芦田に送れ。そして、その時の奴の反応を伝えてくれ」と言った。
あやめは「わかっています。これからは主様が心の中で思うだけで、わたしには伝わりますからそうしてください」と言った。
「そうか。分かった。では、やってくれ」と言って、時間を動かした。
芦田の頭には、まず、携帯ゲームに夢中になっている中島が見えた。芦田は中島が早く、こっちに来るように思っていた。そうしたら、首を絞めるつもりだった。チャンスだった。しかし、その時、逆方向から、カップルが来た。そして、「なにぃ」と訛りの混じった女の声を聞いた。それに対して男が何か言った。女は男を突っついていた。丁度、その脇を中島明子は通り過ぎていった。行き違うようにカップルは去って行ったが、中島明子ももう向こうを歩いていた。その時の悔しさが込み上げてきたが、同時に恐怖した。この取調官はどうしてこんなことまで知っているんだろうかと、思った。このことは自分しか知らないはずだった。あり得なかった。
「否認します」と言うしかなかった。
「では、犯行日のことを話しましょう。あなたは、午後七時に退社すると、自宅に向かいました。その途中で、午後七時七分に****というコンビニでパンと牛乳を買って帰りましたね。これもレシートを確認すれば、時刻と買ったものは分かるはずです。あなたは家に帰り、それらを食べると、皮手袋をはめて、ポロシャツに、前のポケットに鈴蘭テープとハンカチを入れたスラックスを穿き、お尻のポケットには目出し帽を入れましたね。その支度が調ったのが、午後七時二十分でした。あなたは自転車に乗って、駅に向かいました。駅には七時半に着き、午後七時四十五分まで待ちました。そして駅から出て来る中島明子さんを見付けました。彼女は携帯を見ていたので、あなたが後をつけて来るのに気付きませんでした。公園までにある最後のコンビニを中島さんが通り過ぎるのを確認したあなたは別の通りを自転車で先回りしました。そして、公園に来ると、中島さんが通る道の林が側にある所で、目出し帽を被り待ち伏せをしました。中島明子がやって来るのを見ると、左手にハンカチを持ち、中島さんの口を塞ぎました。そして、右手に握っていた鈴蘭テープを中島さんの首に巻き付けましたね。ここで、最初の犯行の特徴が出るんですが、首に巻いたテープが滑って、首になかなか巻き付かなかったのではないのですか。あなたは、焦りましたね。中島さんを通路から林の近くまで引きずり込み、鈴蘭テープを完全に巻きつけようとしましたが、気は焦るばかりで上手くいきませんでした。仕方なく、首をぐっと押さえて、口を押さえていた左手を外し、鈴蘭テープを左手でも掴もうとしましたが、口から手がどけられた中島さんは、渾身の力を込めて、悲鳴を上げました。この悲鳴は、離れた所にいた寺島徹さんにも聞こえたそうです。寺島徹さんは、付近を探しましたが、中島さんを見付けることができずに、公園を出て、自分の家に向かい、その途中にある交番に行き、話をしています。交番巡査が公園に自転車で向かいましたが、夜間の公園のことでしたから、中島さんを見付けることができませんでした。これは交番の日誌に書かれているので、調べれば日時と状況は確認できるはずです」と僕は言った。
芦田は悲鳴を聞かれていたこと、そして、交番巡査が来たことを初めて知って震えた。
危なかったのだ。
「あなたは、素早く鈴蘭テープを引き絞り、悲鳴を止めました。しかし、鈴蘭テープを使ったことで、鈴蘭テープが首に巻き付けるのに相応しくないと思い知ったのです。そして、鈴蘭テープとハンカチはゴミ出しの日にゴミとして出しました。そして、運動靴は洗って干しました」と続けた。
芦田は震える声で「否認します」と言った。
「二〇**年六月三日金曜日、南秋田駅で午後八時十分に反対方向の電車から降りてくる子鹿幸子さんを見たのです。彼女はそんなに継母によく似ていましたか。あなたは、継母に愛憎を持っていましたね。最初の被害者の中島さんもどことなく継母に似ていたのですね」と僕が言い、心で映像を送るようにあやめに命じた。
映像を見た芦田は驚いた。椅子から立ち上がった。係官に「座るように」と促されて椅子に座ると、「そんなことはない」と芦田は言った。
「そうですか。その時、子鹿幸子さんを絞殺したくなったんですね。そして、二〇**年六月五日日曜日、午後一時十五分、隣町の****商店で、この写真のロープ、断面の直径が八ミリメートルのものを買ったのです、その時、裁ち鋏と小さなショルダーバッグも買っていますね。これも確認すれば分かることです。そして、同じ町の****という百円ショップで、同日午後一時三十分に紺色のハンカチも買いました。これもレシートを照合すれば分かることです。そして、同年の六月二十二日水曜日になりました。あなたは退社時刻になると、会社をすぐに出て家に帰り、ロープの束から一メートル二十センチ、ロープを引き出して、隣町の****商店で買った裁ち鋏で切り取りましたね。それを隣町の雑貨店で買った小さなショルダーバッグに目出し帽と一緒に入れると、ポロシャツを着て袈裟懸けに肩からかけました。皮手袋を手に嵌めて、百円ショップで買った紺色のハンカチはスラックスのポケットに入れました。午後七時四十分になったので、運動靴を履いて家を出ました。自転車で南秋田駅に行き、午後八時十分まで待ったあなたは、電車が来て、駅から出て来る人の中に、子鹿幸子さんを見付けたのですね。そして、子鹿幸子さんをつけた。それから、三つ森公園に向かっている彼女を確認すると、自転車で先回りをして、公園で待ち伏せていました。目出し帽を被り、右手に紺色のハンカチを持ち、左手に一メートル二十センチのロープを握って、待っている時のあなたは非常に興奮していましたね」と言った。
僕は心で映像を送るようにあやめに命じながら続けた。
「子鹿幸子は携帯を見ながら、一人で公園内に入ってきました。木の陰にあなたが隠れていると目の前を子鹿幸子さんが通り過ぎました。あなたは、通路に飛び出すと背後から右手に持ったハンカチで彼女の口を塞ぎ、左手でロープを首に巻いたのです。今度は前回とは違い、ロープを首に一回りさせると、ロープ同士がぐっと引き締まり、左手だけで締め上げることができたのですね。そこで、右手を離して、両手でロープを持って、木陰に引きずり込みました。その時に運動靴を汚したのです。日曜日に降った雨のせいだったんでしょう」
芦田は圧倒的な映像に、ガタガタと震えた。
「嘘だ。でたらめだ」と言った。最初のような冷静に「否認します」という言葉ではなくなっていた。
僕はそのまま続けた。
「絞殺後、自宅に戻ると、余りにも運動靴が汚れているのでビニール袋を持ってきてその中にハンカチとロープと一緒に入れましたね。それは他のゴミと一緒にゴミ出しの日に出すつもりだったのです。そして、着替えを持って風呂場に行きましたね」
ここまで言うと、「そんなことわかるわけないだろう。誘導尋問だ」と叫んだ。そして、また椅子から立ち上がると、頭を抱えて、「あー」と叫んだ。係官に椅子に座るように促された。