小説「僕が、剣道ですか? 7」

十一

 ベビーベッドにはききょうがいた。枠に掴まって立っていた。京一郎も起きていた。きくは京一郎に哺乳瓶からミルクを与えていた。

 今は午後九時だった。

 ネットで黒金金融の電話番号を調べた。電話したが、当然誰も出ない。

 だったら、行くしかなかった。

 誰かいるだろうと思った。

 僕は千両箱から二百二十両を取り出して、巾着に詰めた。

 それから革ジャンを着て、リバーシブルのオーバーコートを着た。ひょうたんは腰に吊るした。そして、定国が入っている簡易ゴルフバッグも持った。

「どこへ行くんですか」ときくが訊いた。

「この金を両替してくる」と答えた。

 タクシーを捕まえて、黒金金融の前で止めてもらった。料金を払ってタクシーから降りた。五階建てのビルの中に黒金金融は入っていた。

 表のシャッターは降りていた。

 横のビルの出入口の押しボタンを押した。二階から若い者が降りてきた。

 ドアを開けた。

「何の用ですか」と訊いた。

「若頭に会いたい」と言った。

「ここは黒金金融ですよ。若頭なんていませんよ」とそいつは言った。

「だったら、呼んで欲しい」と僕が言った。

「わからないお人ですな。ここは」とそいつが言いかけて、「黒金金融だろう。若頭が仕切っている」と僕が言った。

 そいつの口調が変わった。

「お前、何もんじゃ」と言った。

「もし、若頭を知っていたら、取り次いだ方がいいぞ。後悔する」と僕は言った。

「なめた口をきいてんじゃないぞ。若造が」とそいつが言った。

「余計なことを言ってないで、若頭に鏡京介が来ている、と伝えてくれ」と言った。

 そいつは携帯を取り出して、どこかにかけた。そして、携帯が切れると、そいつの口調が変わった。

「五階の若頭の部屋にお連れしろ、と言われました」と言った。

 僕がドアから中に入ると、もう一人が「ボディチェックをしろ」と言った。

「しない方がいいよ」と僕が言った。

「何だと」とドアの中にいた奴が言った。携帯をかけていた男がそいつの耳元で何か囁いた。

「そうか。わかった」とドアの中にいた男が言った。

「こちらへ」と携帯をかけていた男が階段を上がっていった。五階まで上がらなくてはならない。そう思うと年寄りだったら、気が遠くなりそうだったろう。もちろん、僕は平気だった。

 五階に着くと、ドアの鍵を開けて、中に通された。そして、来客用のソファに座るように言われた。

「若頭はもうすぐ来ます」と言った。そして奥に行って、冷蔵庫を開ける音がした。

「ビールにしますか」と訊いた。

「ジュースか炭酸飲料でいい」と答えた。

 コーラが入ったコップが、前のテーブルに置かれた。僕はそれを飲んだ。

 簡易ゴルフバッグは、ソファの上に置いた。

「それに何が入っているんですか」と携帯をかけていた男が訊いた。

「見たいか」と訊き返した。

「はい」と答えた。

 僕は簡易ゴルフバッグを開けた。そして、中から定国を取り出し、鞘から抜いた。

 二人の若者が驚いていた。

 定国を鞘にしまった。

 二人はしまったという顔をしていた。僕がこんな凶器を持っていたからだった。

「大丈夫だ。これは使うことはない。ただ、このあたりは物騒だから持っているだけだ」と言った。

 三十分ほどたった。五階のドアが開いた。

 黒金組若頭、神崎茂が入ってきた。酒の匂いがした。どこかのキャバレーで飲んでいたのだろう。

 僕の前に座り、若い者に「水を」と言った。

 それから「珍しいお客さんだな」と僕に言った。

「お久しぶりです」と僕は挨拶をした。

「こちらは挨拶抜きだ。鏡京介がここに来るということは、何か頼み事かな」と訊いた。

「ええ」と言いながら、僕は巾着から二百両を取り出した。

「これを二億五千万円ほどに換金して欲しいんです」と言った。

 包み紙がされているので、中は分からなかったろうが「宝永小判だな」と言った。

「そうです」

「上物なら、一枚二百万円はするだろうが、これだけ多いと、百数十万ってとこかな」と言った。

「それを二億五千万円にして欲しいんです」と言った。

「金が必要なのか」と神崎が訊いた。

「ええ」と答えた。

「すぐにか」と訊いた。

 また「ええ」と答えた。

「少しやっかいだな」と神崎は言った。

「しかし、一枚百二十五万円以上でさばければ、利益が出るでしょう」と僕は言った。

「こんなに大量でそんなに売れるものか」と神崎が言った。

「すぐには無理でしょうが、あなたならさばけますよ」と僕は言った。

「そして」と僕は巾着からさらに二十両取り出して、「これは手数料です」と言った。

「十パーセントの手数料なら、十分でしょう」と続けた。

「いつまでに金がいる」と神崎が言った。

「一週間以内」と僕は答えた。

「そういうことなら、換金ではなく、この二百両の宝永小判を二億五千万円で俺に売りつけているんだな」と神崎は言った。

「どう捉えてもいいです。受けるかどうかです」と僕は言った。

「俺が受けると思っているから、ここに来たんだろう」と神崎が言った。

「ええ」と僕は答えた。

「抜け目がないな」と神崎が言った。

「どういう意味ですか」と僕が訊いた。

「俺が拒めないと思っているんだろう」と神崎が言った。

「いいえ、これほど美味しい話に乗らないお人ではないと思っているだけです」と僕は言った。

 神崎は笑った。

「そういうところが抜け目がないって言うんだよ」と言った。

「そうですか」と僕は言った。

「わかった。この取引は成立だ。一応、鑑定はする。それが済み次第、お金は渡す」と言った。

「振り込むとは言いませんでしたね」と僕が言うと、「振り込んでもいいんだぞ」と神崎が言った。

「いいえ。現金でもらいます」と応えた。

「そうだろうな」と神崎が言った。

「ただし、これはビジネスですからね」と僕は言った。

「ああ、そのつもりだ」と神崎も応えた。

 それから、僕の簡易ゴルフバッグに目を向けた。

「その中身を見せてくれないか」と言った。

「いいですよ」と僕は言って、簡易ゴルフバッグを開けた。そして、定国を取り出した。

「ほう」と神崎が言った。

 僕は立って、少しソファから離れた。

「これから定国を鞘から抜いて、空を切って見せます」と言った。

「わかった。やってくれ」と神崎が言った。

 僕は簡易ゴルフバッグを置いて、定国をベルトで腰のあたりにつけた。ちょうど帯に差している感じにした。

 十分な空間があることを確かめてから、定国を抜いて空を切り、すぐに鞘に収めた。

 神崎が手を叩いた。

「見事なもんだな」と言った。

「お恥ずかしいものをお見せしました」

「いや、大したものだ。その刀を俺に渡して、見せてくれないか」と言った。

 僕はソファから定国を、向かいに座っている神崎に放った。

 神崎は鞘から定国を抜いて、その刀身を見た。神崎が定国を持った時、定国は黄色く光った。神崎も恨みを持って人を殺したことがあることが分かった。

 神崎はしばらく定国を見た後で、鞘に収めて僕に返した。定国は簡易ゴルフバッグの中にしまった。

「名刀だな」と神崎は言った。

「ええ」と僕は応えた。

「いい物を見せてもらった。金はでき次第、携帯に連絡する」と神崎は言った。

「私の携帯番号は」と言いかけると、神崎は「知っている」と応えた。

「では待っています」と僕は言って、簡易ゴルフバッグを持ってソファから立ち上がった。

 若い者が先を歩いた。

 神崎は、もう一人の若い者に「いつものブランデーを」と言っていた。

 五階のドアを出る前に、僕はソファに座っている神崎に頭を下げた。神崎は頷いた。

 そして僕は階段を下りて行き、黒金金融のビルから出た。