小説「僕が、剣道ですか? 3」


 二階のダイニングに上がると、母と父は怒っていた。
「病院から電話がかかってきたわよ」
 母が険しい声で言った。
「すぐ戻るように、って」
「分かっている。それより、ききょうはどうしている」
「今は眠っているわ」
「あの子はどうしたんだ」と父が訊いた。
「信じられないかも知れないけれど、僕の子だ」
「そんな馬鹿な」
「間違いなくわたしと京介様の子です」ときくが言った。きくは、椅子に座り慣れていないので、椅子の上で正座をしていた。
「そんなはずがないだろう」
「信じられないと思うけれど、最初に意識を失った時に、過去に行ったんだ。江戸時代の何とか藩に行ったんだよ」
「白鶴藩です」ときくが言った。
 そこで、家老の奥方を助けた縁で、家老屋敷に住むことになり、きくと出会ったことを話した。
「言っとくがな、そんな話は誰も信じないぞ」と父は言った。
「分かってるよ」
「お前の話を仮に信じたとしても、その時、お前は病院にいたのだぞ。意識不明の重体だったんだ。そして意識を取り戻した。お前の話は、その意識のなかった時の夢物語に過ぎない。そうだろう」
 父はそう言った。常識的に考えればそうだ。僕自身、何度もこれは夢だからと思ったくらいだったんだから。
「その子はどこから連れてきたんだ」
「だから、白鶴藩の家老屋敷からだ、って」
「そんな話が通るとでも思っているのか」
「そうなんだからしょうがないじゃないか」
 父はきくを見た。
「この少女は一体何歳なんだ」
「十六歳です」ときくは言った。
 僕が最初に会った時は、数え年で十五歳だったが、次に会った時は一歳増えていたのだ。
「十六歳だって。だったら、お前と同じ歳じゃないか」
 下手に数え年を持ち出すとややこしくなるので、「そういうことになるのかな」と僕は言った。
「お前好みの美少女だな」
「変な言い方、止めてくれない」
「京介様、こちらの方は京介様のお父上とお母上でございますか」
「そうだけど」
「知らぬ事とは申せ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたしはきくといい、家老島田様の屋敷で働く女中です。縁あって、京介様のお世話係をしています。さきほど、お父上がおっしゃった、お前好みの美少女とは、わたしが京介様の好みに合っているという意味でしょうか」
「そう。そういう意味です」と父が言った。
「へんな言い方は止めてくれ。この子が誤解するだろう」
「そうだったら、とても嬉しゅうございます」
「ほらぁ」
「それにしても妙な言葉遣いをする子だなぁ」
「だから、江戸時代から来た子なんだってば」
「そんな話は通用しない。この子の親元さんに返さなくちゃならない」
「どうするんだよ」
「警察に連絡するしかないだろう」
「警察はやめてくれ。それじゃあ、この子と赤ん坊が帰れなくなる」
「他にどうするんだ」
「とにかく、警察に連絡するのは止めてくれ。そして、この子の話を聞いてやってくれ。もし、警察にこの子が保護されるようだったら、僕はお父さんとお母さんと縁を切って、この子とその赤ん坊を警察から取り戻す。そして、一緒に暮らす。その時は、この世界にはもう戻っては来ない」
 僕の真剣な目を父は見た。
「わかった。警察には連絡しない。約束する。そして、この子の話を聞く。それでいいだろう」
「ああ」

 僕は財布と携帯と携帯の充電器を持って、病院に戻った。
 女医からも看護師からも、こっぴどく叱られた。
「もう一度、こんなことをしたら当病院には置いておけませんからね」
 僕は、病院着に着替えて、ベッドに入った。
 気になって、一時間ごとに電話していた。
「今、ききょうのおむつとか哺乳瓶とか粉ミルクを買っているところ。ベビー籠は届けてもらうことにしたわ」
 また、電話をするとききょうは寝ていると伝えてきた。
 きくの話は全く理解できないと父も母も言っていたが、きくが自分が来た時に持ってきた巾着を開けて、中から、三〇両と二千七百四十銭のお金が出てきた時には、さすがに驚いたようだった。

 土曜日の夜は長かった。
 午前一時ぐらいまでは電話に出てくれたが、午前二時になった時には、さすがに「寝なさい」と母から言われた。

 日曜日は午前七時に起きた。検温と血圧を計りに看護師が来た。
 午前八時に朝食が出た。
 思えば、昨日から何も食べていなかった。騒動の渦中で何も食べる機会がなかったのだ。
 久しぶりに食べる朝食はうまかった。
 おかわりができるならしたいくらいだった。
 午前十時に点滴がなくなると、針が抜かれた。
 午前十一時頃に携帯が鳴った。
「よぉ、元気か」
 富樫だった。
「昨日、意識を取り戻したんだってな、お袋さんに聞いたぜ。後で会いに行くからな。じゃあな」

 昼食もうまかった。江戸時代の食事と比べると何でも美味しかった。
 昼食後に富樫が来た。
「元気そうじゃねえか」
「元気に決まっているだろう」
「でも、凄かったよな。乳母車を抱いたまま、トラックに衝突したんだものな。死んだと思ったぜ。全く悪運の強い奴だな」
 その時、乳母車を引いていた女性が赤ちゃんを抱いて面会に来た。富樫は部屋の隅に立っていた。
「その節はありがとうございました。昨日、意識が戻られたと病院から連絡がありましたので、来てみましたらいらっしゃらなくて、今日、ご挨拶に伺いました。これ、つまらないものですけれど、お受け取りください」と言って、洋菓子らしい包みのものを僕に渡した。
 僕は赤ちゃんを見て、「無事で良かったですね」と言った。
「あなたのおかげです。本当にありがとうございました」
「いや、それはもう」
  乳母車を引いていた女性が帰って行くとホッとした。こういうのは、僕は苦手なのだ。
「富樫」
「…………」
「いつまで、固まっているフリをしてるんだよ」
 富樫もこういうのは苦手なのだろう。
「あっ、苦手だってのはわかった」
「分かるに決まっているだろう」
 すると富樫は、勝手に洋菓子の包みを開いた。
「クッキーだ。俺、大好き」
「そうか、食べてもいいぞ」
 そういう前に口に入れていた。
「食べてまーす」
「全く調子のいい奴だな」