小説「僕が、剣道ですか? 1」


 しかし結局、富樫の説得に負けて、「これっきりだぞ」と言って、試合に出るはめになってしまった。
 翌日、試合があるというのに、とある剣豪の夢を見た。明日、タイムスリップするとは到底思わなかった僕は、次の試合の興奮が躰を包んでいるかのようだった。

 僕は薄ヶ原にいた。
 僕は両手で真剣を握っていた。相手は右手に本差を、左手に脇差を握っていた。まるで宮本武蔵のような奴だと思っていたら、「やあー」と言う声とともに、まず脇差が迫ってきて、次に本差が僕の胴を切り裂いていった、と思った。
 だが、僕はその直前に半歩ほど下がっていたのだった。服の布地が切られていくのを感じた。
 その時、目覚ましが鳴った。
 起きてみると、Tシャツのお腹の部分が切れていた。寝ぼけて破るにしては、鮮やかに破れていた。そのTシャツを丸めて屑籠に捨てると、箪笥から新しいTシャツを取り出して着た。

 集合場所の正門前に行くと「すっぽかされると思ってヒヤヒヤしたぞ」と富樫が言った。
 僕らは近くの駅から会場まで電車で行った。
 八時三十分に開会式があり、九時から試合が始まった。
 組み合わせは最悪だった。去年の四強の一つ、明鏡学院大学付属高校だった。
 僕はてっきり先鋒と思っていたが、勝手に大将にされていた。本来三年が大将をやるはずなのに、と思ったが、富樫が小牧監督に何やら吹き込んだようだ。
 結局、先鋒の二年徳島と三年の松井副将が勝ち、次鋒の富樫と中堅の北野が負けたので、二勝二敗の大将戦にもつれ込んでしまった。
 僕が負ければ、即、都立西日比谷高校の負けになる。
 大将戦だって……、と僕は思った。
 富樫が勝っていれば終わっていた話だろう。
 ふざけたことに、相手は三段、昨年の個人戦でも準優勝している。
 正真正銘の最強じゃないか。
 どう戦えって言うんだ。
 胴衣を着て、頭に手ぬぐいを巻いて、面を被る。
 竹刀を持ち、相手に真っ直ぐに向ける。
 始め、と言う声が聞こえてきた。
 相手の切っ先がスローモーションのように迫ってくるのが分かった。それじゃ、突けない。僕は「それじゃ、突けないよ。出逢いはスローモーション(歌手中森明菜の「スローモーション」[作詞・作曲 来生えつこ来生たかお]という曲の一節)」と囁いて、彼の小手をしっかりと叩いた。
 悪あがきをしたと思ったのだろう。後で通路ですれ違った時のことだが、彼は尋ねた。「どうしてわかった」
「突きはフェイントだったんだろう。上段にしても下段にしても、動かした瞬間に隙ができる。それだけだ」
 彼はどちらかに動くと思っていたから、そのまま小手を打たれるとは思わなかったのだろう。でも、彼の動きの全てが見えていた。
 三本勝負だから、勝つには、もう一本とる必要があった。
 切っ先を合わせた。その時、閃いた。バシッと当たった瞬間、僕は横に跳んで胴を払った。何が起きたのか、相手には分からなかったに違いない。
 白旗が三つ上がり、僕の胴が一本となった。
 それよりも僕はビックリした。どうしてあんなに素早く横に跳べたのだろう。分からなかった。
 とにかく僕らは二回戦に勝ち進んだ。
 次の試合は、僕が面二本で二分足らずで勝ったが、二勝三敗で敗退した。富樫の言っていたベスト八は夢のまた夢に終わった。
 顧問の先生に、個人戦にも出れば、と訊かれたが、僕は断った。
 塾に行ってはいなかったが、それを理由にした。

 その帰り、百円ショップに寄った。
 買ったものは、財布に付けるチェーン、大型のカッターナイフ、同じく粘着テープ四本。後はビニール袋だったかな。
 そして、ペットボトルを一つ買った。
で、会計を済ませて外に出た。
その時、すごい稲妻が僕を直撃した。