十八
次の日は、晴れた。宿賃を払うと、宿を後にした。
僕は台車を押しながら歩いた。
「雨の後は、清々しいですな」と風車が言った。
「そうですね」と僕は応えたが、公儀隠密に襲われなければですがね、と続けたくなったがその言葉は飲み込んだ。
きくは宿で哺乳瓶に入れてきた白湯が冷めたので、ききょうに飲ませていた。
山間の街道に入ると、定国が唸り出した。おそらく両側の林の中に忍びの者たちがいるるのだろう。この位置に潜んでいるとすれば、手裏剣で襲ってくるつもりなのだろう。
歩き続けようとしていた風車を僕は呼び止めた。
「この先に忍びの者たちがいます」と言った。
「真ですか」
「ええ、ですから、ここできくとききょうを守っていてください」と言った。
「任せてください」と風車は言った。
僕は街道を走っていった。すると、案の定、手裏剣が襲ってきた。
僕はまず右の山に入った。
すぐに相手の居所が分かった。十五人いた。すると反対側の山にも十五人いるのだろう。
僕は木を楯に相手に近付くと、定国を突き出した。相手は木の陰にいるものだから、腹を切ることはできず、横腹を突き刺した。一人を倒すと、次の者を捜した。次の者は近くの木に隠れていた。僕は素早く近付き、やはり相手の横腹を突き刺していった。そうやって、一人一人見つけ出して、殺していった。相手が何人いようと関係なかった。
ただ、時間の問題だけだった。
こちらの十五人は瞬く間にやっつけてしまった。時間を止める必要もなかった。僕は相手より遥かに俊敏に動いていた。
僕が街道に飛び出すと、今度は反対の山から手裏剣が飛んできた。手裏剣の正確さからいって、彼らは選ばれて来た者たちなのだろう。しかし、僕には通用しなかった。手裏剣は、すべて定国が弾いた。
僕は彼らの潜む山に入ると、林の中をじっと見た。相手はやはり十五人いた。
向こうは手に手裏剣を持ち、僕を捜していた。
僕は素早くその中の一人の横に行くと、その脇腹を定国で刺した。そして、すぐに横にいた者の脇腹も同じく刺した。そうして、次の者を捜した。見つけると、相手より素早く動いて、その者の隣に行くと、僕は定国で相手の横腹を刺していた。
こちらの十五人もほどなく全員、脇腹を定国で刺し終えた。最後の一人の着物で定国を拭うと鞘に収めた。
そして僕は街道に降りて、きくとききょうのところに行った。
風車が「返り血を浴びていますな」と言った。
「沢か川を探しましょう」と続けた。
僕は頷いた。
しばらく行くと沢の音が聞こえてきたので、僕は着替えの着物とバスタオルを台車から取り出すと、沢の音のする方に向かった。
あまり大きな沢ではなかったが、水たまりができていたので、まずそこで水を飲み、ついで着物を脱いで、頭と着物を洗った。
そしてバスタオルで拭くと、新しい着物を着て帯を締めた。
街道に降りてくると、きくとききょうと風車が待っていた。
歩き出すと、風車が隣から「それにしても鏡殿はどうしてあの場所に忍びの者がいるとわかったのですか」と訊いてきた。
当然の疑問だった。
「殺気です」と僕は答えた。
「殺気ですか」
「ええ、ただならぬ殺気を感じました。それで忍びの者が隠れていると分かったのです」とでまかせを言った。本当は定国が教えてくれたのだ。
「なるほど」と風車は感心したように聞いていた。
「鏡殿ほどの剣の達人になると、遠くからでも殺気を感じ取ることができるんですね」と勝手に納得していた。
僕は違うとは言えなかった。風車の思うように思わせておく他はなかった。
街道を進んでいくと宿場に出たので、お昼をとることにした。
最初に見付けた蕎麦屋に入った。
僕と風車はざる蕎麦にした。
「大盛りで」と風車が言うので、「私も」と僕も言った。
きくは掛け蕎麦にご飯を頼んだ。匙もつけてもらった。ききょうのためだった。
ざる蕎麦が来ると、僕と風車は瞬く間に食べ終えてしまった。僕は戦いで腹が減っていた。
二人で顔を見合わせると、声を合わせたかのように「もう一枚」と言っていた。
きくは笑いながら、ききょうに汁をかけたご飯を食べさせていた。
僕は歩きながら考えた。相手が隠密を使って襲ってくるのは、公然と手配をしたのでは、僕が街道を離れて、人知れぬ道を進むことを恐れてのことだと思っていた。しかし、今日、戦ってみて、街道でも公然と襲ってくる。しかし、公にはしていない。
ということは、相手には、僕を公に手配することなど、はなから考えていなかったことになる。長崎に出島を作って、鎖国政策をしているような国なのだ。外の情報を国内になるべく知らせたくないのだろう。そんな時に、僕のような得体の知れない者を公然と手配したら、公で裁かなくてはならなくなる。それでは幕府が困るのだ。得体の知れない者は隠密裏に葬るというのが、彼らの選択した答えなのだろう。
それはそれで正しい。僕も公然と記録に残るわけにはいかなかったからだ。その点では利害が一致していた。