小説「僕が、剣道ですか?」

三十四
 三日目が来た。
 勝ち残った者たちが集まっていた。
 対戦相手が、相川より読み上げられていった。
 偵察隊の試合は、午前中に集中させた。
 まず、昨日、木刀を下段に構え、さらに床に木刀が着くぐらいまで下ろした者と、つばぜり合いのすぐ後に下段に構えた者との対戦を見た。最初に正眼に構えるように言ってあるので、始めはそうしていたが、すぐに両者とも下段に構えた。床に木刀が着くぐらいまで下ろした者が木刀の先を床に滑らせた時に、下段に構えた者が踏み込んできた。しかし、床に滑らせていた者は、いち早く木刀を振り上げ、下からその者の鍔を打った。僕は、床に木刀を這わせた方を「勝ち」とした。
 次の偵察隊の戦いは激しいものとなった。何度も木刀が重なり合い、ねじり合った。最後は離れる瞬間に放った小手が相手の鍔に当たった方の勝ちとなった。
 この後、偵察隊の二組の戦いも激しかったが、一組は上段に片手で構えた者が、やはりリーチの差で頭を軽く叩いて終わり、もう一組は面と胴の打ち合いで、胴が先に決まった方の勝ちにした。これは一瞬の差でしかなかったので、頭を叩いた方が抗議したが、僕ははっきりと、胴の方が早かったのが分かっていたので、その抗議を退けた。
 そして、相川と佐々木の次に強い落合敬二郎と、弓を引くように木刀の柄を肩よりも後ろに引いて構えた者との対戦になった。最初は正眼の構えをしたが、すぐに得意の弓を引くような構えになった。落合はそのまま突きを狙いに行った。相手はその突きを外して、突いてきたが、落合はその突きも外して、鍔を叩いた。落合の冷静な試合運びだった。相手は突いてくるしか、戦法がないのだから、その突きを外せば、自ずと隙ができる。考えてみれば単純なことだが、その突きの速さに惑わされるのだ。しかし、自分が引いている分、突きの距離も伸びる。そして、突きは一直線に進むしかないので、かわされればこれほど脆い形もないのだ。それを落合は見切っていた。
 この五組の試合の他は順調に進んでいった。
 堤道場の上位組と、この道場の上位組は安定して勝っていった。
 すべての対戦が終わった結果、当道場の者五十六人、堤道場の者四十人、偵察隊と思われる者四人の百人が決まった。
 堤道場で励んでいた四十人は喜んだ。また、当道場から落ちた四十四人は悔しがった。その四十四人は、また三ヶ月後に行われる選抜試験に向けて、再起を誓い合っていた。

 夕餉の席で、島田源太郎に今日の結果を報告した。
 佐竹は選抜試験に受かった者の名簿を見て、知っている者を探していた。明日、お祝いの言葉でもかけてやるつもりなのだろう。

 次の日、道場に出ると偵察隊の四人が来ていないと言う。午前中に連絡もなく、来ないようであれば失格とすると僕は言った。
 今までいた者も新しく入ってきた者も皆、引き締まった顔をしていた。道場の決まり事を説明した後、稽古を始めた。
 午後になっても偵察隊の四人は現れなかった。道場で修行するつもりは、はなからなかったのだろう。おそらく、道場生の実力を試しに来たのだろう。僕は彼らがいなくてホッとした。ずっと居続けられれば、気が抜けない。僕が相手側ならそうするが、そうしないということは、こちらをずっと観察する気はないということになる。
 そうであれば、何かをやってくる可能性は高い。それが何であるのかは分からなかったが、何であっても良かった。

 夕餉の席は佐竹が一人でしゃべっていたようなものだった。やはり選抜試験の結果が分かり、それが城中の話題になっていたようだ。このあたりは、現代の入学試験と変わらないな、と思った。受かった者は喜び、落ちた者は次を期す。それは、どの時代でも変わらないようだった。

 一の日に堤道場に行った。稽古場を見たいと思ったが、我慢した。
 たえを町に誘い、新しく当道場から行った者たちの話を聞いた。
「皆、元気に稽古に励んでいますわ。また、入門者が増えたので、日替わりの稽古組を作りましたのよ」
「日替わりの稽古ですか」
「ええ」
「堤先生、お一人では大変ですね」
「あら、ご存じありませんか」
「何ですか」
「相川さんと佐々木さんのこと」
「彼らが何かしでかしましたか」
「いえいえ、そんなことはありません。相川さんと佐々木さんが来られている日は、父の手助けをしてくれているんですよ」
「あいつらには、堤先生の技を教えてもらえと言ってあるんですがね」
「みんなの稽古が終わった後に、父が手ほどきをしているようです」
「そうですか。それなら良かった」
「相川さんと佐々木さんのことが気になりますか」
「ええ、早く一人前になってもらわなければ、困りますから」
「どうしてですの」
「私は島田家に一時的にやっかいになっているだけで、いずれおいとまをしなければなりません。その時には、あの二人に道場を任せようと思っているのです」
「どこかに行ってしまわれるのですか」
「それは分かりません。でも島田家には、一時逗留しているだけなので、そういつまでも、ごやっかいになっている訳にはいかないでしょう」
 そう僕が言うと、たえはしばらく真剣に考えた後、「では、うちに来て頂けませんか」と言った。
「たえさんのところにですか」
「はい」
 僕が考えていると、「お嫌ですか」と訊いた。
「いや、嫌ではありません」
 そう答えると、たえは顔を輝かせた。
「わたしは鏡様が来てくださると嬉しいですわ」と言い、「父に話してもいいですか」と続けた。
「そんな急な話ではありませんし、島田家を出たら、白鶴藩を出て行かなければならないでしょう」と言った。
「この藩をお出になるつもりなのですか」
「いずれ、その時が来ます」
 たえは悲しい顔をした。
「そんなこと、たえには堪えられません」
 たえの目には涙がたまっていた。
「すぐという訳ではありませんが、そう遠くもないような気がするのです」
 川に出た。
 橋が先の方に見える。
 冬の冷たい風が川面を撫でていった。
「わたしはあなた様なら、と心に決めているのです」とたえは言った。
「えっ」と思う間もなく、たえは躰を寄せて来た。
 僕は抱き留めるしかなかった。
 そしたら、たえの唇が僕の唇に触れた。僕はたえが愛おしくなった。たえをぎゅっと強く抱き締め、その唇を深く吸った。

 風呂に入る時、一と十五の日のきくは、特に強く背中を流す。たえと会っていることを知っているからだった。
 きくは僕の世話係であり、たえは武家の一人娘である。きくに分が悪いのは、きくが一番よく知っていた。それだけに、きくのあかすりは効いた。
「おたえさんとは、何にもないんでしょう」と布団の中できくは訊いた。今日、口づけをしてきたとは言えなかった僕は、「ああ」と答えた。
「だったら、わたしの方がずうっとずうっと上ですよね」ときくは言って、躰を抱きつけてきた。