小説「僕が、剣道ですか?」

三十
 僕は、慣れない筆と紙で、状況を整理してみた。
 今の藩主は病弱だが、側女に二歳になったばかりの男子がいる。しかし、二歳の男子では藩政は司れないから、それをやるのは、後ろ盾になっている側用人大目付に四人の目付だ。それに対して、藩主の次男、綱秀を藩主の養子に取り、次期藩主に据えたいのが、今の六家老のうち、筆頭家老の島田源之助と、その他の四家老、一人の家老は様子見をしている状態だ。
 僕は門弟たちを送っていった相川を呼んで、役職名だけで名前の分からないところを教えてもらった。
 それを一覧にすると、次のようになった。
○側女長男派
 側女 お梅
 その子 勇
 側用人 斉藤頼母
 大目付 滝村十兵衛 その嫡男 滝村郡兵衛
 目付 右上座 柿沢虎之助
 目付 左上座 梨村兵衛門
 目付 右下座 柳原幸之助
 目付 左下座 堀田朔太郎
○藩主の弟 綱秀派
 筆頭家老 島田源之助
 家老 中村伊右衛門
 家老 斉藤幸司郎
 家老 滝田十兵衛
 家老 村瀬康太郎
 そして、もう一人の家老、杉田源九郞は様子見である。

 これが時代劇なら、側用人一派を全部斬り捨ててしまえば、解決つくのだが、そうは行かない。そんなことをすれば藩政は大混乱に陥る。

 次の日、相川と佐々木を堤道場に送り出して、僕は門弟たちの稽古に臨んだ。
 門弟たちがどの程度、力をつけてきているのか見たくて、七人がかりで掛かってくるように言った。実戦と思って掛かってきて良い、と言ったら、皆喜んだ。
 七人に周りを取り囲まれる。皆、正眼の構えをしている。そして、間合いを詰めてきた。一斉に木刀が襲ってきた。今までに比べると格段に速かった。前に一歩出て突いてくる木刀を木刀の横で払い、上段から打ち下ろして、取り落とさせた。すぐに左右の木刀も払い、打ち落とした。そして振り向きざま、後ろから向かってくる二人の鍔を叩いて取り落とさせ、左右の者には上段から打ち下ろして木刀を落とさせた。
 木刀を落とされた者は、皆一様に手にしびれを感じて蹲った。
 こうして、最後の一組が終わるまで、組み試合を続けた。終わると皆が床に座っていた。
「先生は強すぎます」
「先生は手加減を知らなすぎます」
「これでも手加減したつもりだし、いつもよりゆっくり動いていたぞ」と言ったら、「そんな」と言う声が上がった。
「だが、みんなも上達している。私には油断している暇がなかった。隙も作らせてはくれなかった。これからも精進するように」と言った。
 午後は打ち込みの練習をさせた。
 そして午後三時になったので、帰らせた。
 しばらくすると、相川と佐々木が堤道場から帰ってきた。
「どうだった」と訊くと、「凄かったです」と今日の稽古の話をした。
「そうか、良かったな。ここでは学べないことを学んできたようだな」
「はい」
「そのために行ってもらったのだから、これからも励むように」
「何故、私たちだけなのですか」
「全員では行けまい」
「そうですが」
「そのうちに、相川と佐々木にこの道場を任せようと思う」
「ええ」と二人は驚いた。
「まだ、先の話だ。しかし、時が来ればそうなる。その時はお前たち二人で、しっかり道場を盛り立てていって欲しい」
「私たちは全然、未熟ですよ」
「分かっている。だから、早く力をつけて欲しい」
 二人から、よし、と気合いを入れている感じが伝わってきた。

 注文をしていた鍔を取りに行く日が来た。
 きくを呼んで「出かけるぞ」と言うと、嬉しそうに着替えをしてやってきた。
 今日は木刀は持って行かなかった。
 町は碁盤の目のようになっていた。大通りが十字に交差していて、後は、大通りに沿って通りが並行に延びていた。
 大通りは大店が開いていて、その一つ後ろの通りに食べ物屋が並んでいた。
 道具屋は大通りに面していた。暖簾を分けて入っていくと、店の者が待っていましたとばかりに、上がり口に座布団を二つ用意してくれた。それにきくと並んで座った。
 店の者は後ろから、大きな袋包みを取り出した。
 中を開けて見ると、沢山の鍔が入っている。
「数えなくてもよろしいんですか」と訊くので、「信用しているさ」と答えた。
 代金を払うと、その包みを持った。結構な重さがあった。
 きくが「持ちます」と言うので、「いいよ、私が持つ」と言って店を出た。
 店を出ると、「スリだぁー」と言う声が聞こえ、目の前を若い男が走り抜けていこうとしていたので、僕は足を出して引っかけて、転ばせた。そして、転んだ男の腕を後ろにねじって伏せさせた。後から追ってきた番頭が「助かりました。両替を出た所で財布をすられまして」と言った。
 その番頭と一緒に、若い男の手をねじったまま、番所に連れて行った。
 中に入ると、同心の一人が「あっ、鏡様ですか」と言った。
「私を知っているのか」
「いや、会ったことはないですけれど、長身の着流しの若侍で凄腕と言えば、ここらで知らぬ者はいませんよ」と言った。
「じゃあ、後は任せたよ」と僕は言った。
 番頭は何度も御礼を言った。
 番所を出て、きくに「何か食べようか」と訊くと、嬉しそうに「何でも」と答えた。
 一つ通りを入ったところの甘味処で、ぼた餅を食べることにした。
 ほとんどが女性客だったので、僕ときくは目立った。奥の座敷に上がり障子を閉めたが、声に戸は立てられなかった。何やらと詮索する話し声が聞こえてきたが、きくはむしろそれを楽しんでいるかのようだった。
 ぼた餅を食べ終わり、お茶も飲むと、座敷を出た。そして店の者に代金を支払う時も、きくは僕にピタリと寄り添っていた。少し離れていればいいのにと思うくらいに、躰を寄せていた。障子越しに聞こえてきた噂話がきくには嬉しかったのだろう。何か新婚の夫婦のように見られたからだった。
 店を出ても、ピタリと寄り添うのを止めなかった。
「晩秋というのにあついことで」とすれ違った町人たちが言った。
 うふふ、ときくは笑った。

 道場に戻ると、早速、鍔を配った。今まで鍔なしで稽古をしていた者にも全員鍔が渡った。
 鍔を付けた木刀で練習をさせた。
 鍔を付けた練習はこれまでよりも、気合いが入っていった。しかし、午後三時はすぐやってきた。練習を切り上げると、帰らせた。

 風呂では、きくは機嫌良く背中を流してくれた。
 夕餉の席でも、特に城中は変わったことがなかったようだ。
 夜のきくは特に甘えてきた。なかなか、眠らせてはくれなかった。