小説「僕が、警察官ですか? 4」

 交通事故の現場は、凉城恵子の意識から分かっていたので、事故現場に向かった。

 凉城恵子の家の近くだった。そこには縦の掲示板が立っていた。

『二〇**年**月**日午前七時十五分頃、ここで轢き逃げ事件が起きました。青い車を見た人は、****までご連絡ください』と書かれていた。

 僕はズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「ここで起きた、二年半から三年前の交通事故のことが読み取れるか」とあやめに訊いた。

「わかりませんが、霊気は感じるので読み取ってみます」と言った。

「やってくれ」

 しばらくして「読み取れました」と言った。

「送ってくれ」と言った。目眩とともに映像が送られてきた。

 高橋丈治、二十六歳が運転する青のミニバンが、凉城恵子が来るのを待って、動き出した。そして、アクセルを全開にすると、青で横断歩道を渡っている凉城恵子に追突し、そのまま逃げ去った。凉城恵子は携帯を見ていて、青いバンに気付かなかったのだ。ほかの者は避けていた。

 高橋丈治は、そのまま直進し、左折した。その先に監視カメラがあるからだった。監視カメラの位置やNシステムについては、島村勇二から何度も聞かされていた。今回の轢き逃げも島村勇二の指示だった。

 凉城恵子が口を割りそうだったからだ。

 島村勇二は、凉城恵子が一度目の事情聴取には堪えられても、二度目は無理だと判断したのだ。

 高橋丈治は堺物産の下請けの青木運送業の社員だった。もちろん、関友会の構成員だったので、島村勇二の命令は絶対だった。

 僕は近くの公衆電話から、掲示板に書かれていた連絡先に電話した。

 オペレーターが出た。

「どうしました」と言った。

「****に立てられている掲示板を見て電話をしました。私は黒金署の安全防犯対策課の鏡京介といいます。直接、事故は見ていないんですが、青の車は、****のミニバンで、堺物産の下請けの青木運送業の高橋丈治が運転していたものです。調べてみてください」と言って、電話を切った。

 

 署の安全防犯対策課に戻ると、電話がかかってきた。

「先程、電話をくださった方でしょうか」と女性の捜査員が訊いた。

「そうです。鏡京介です」と答えた。

「もう少し詳しく話していただけませんか」と彼女は言った。

「あなたのお名前は」と僕は訊いた。

「岸田信子です。先程、聞いたことですが、どういうことか、もう少し話していただけませんか」と言った。

「電話したことですべてです」と僕は言った。

「その情報はどこから入手されましたか」と岸田は訊いた。

「そんなことを言う必要がありますか。聞いた人からは、自分の名前は出さないようにと言われました。だから、電話したことがすべてです」と答えた。

「そうですか」と岸田は少しがっかりした声をした。

「ちゃんと、調べてくださいよ。確かな情報ですから」と僕は念を押した。

「わかりました。失礼します」と岸田は言って、電話は切れた。

 僕を拳銃で狙った高島研三は懲役七年の実刑が確定し、刑務所に入っているが、それを指示した島村勇二は、最後まで否定し続け、高島研三も自分一人の意志でやったと言い張ったことから、島村勇二は携帯電話の通話記録だけが問題となった。発砲の一時間前と、直後に会話をしていることから、この発砲に島村勇二が関わっていたことは濃厚だったので、殺人教唆が問われ、実刑二年の刑が言い渡された。その刑が確定し、島村勇二は服役し、今は社会に出て来ている。実刑二年というのは、刑期としては短いが、通話記録だけが証拠だったので、島村勇二が主導したとは言い切れなかったからだ。しかし、執行猶予がつかなかったのは、警察官に対する発砲という事件の重大性からだった。だが、逆にそれがその世界では、島村勇二にハクをつけることになった。

 今回の轢き逃げでは、万が一、高橋丈治が捕まったとしても、島村勇二には辿り着けないだろう。癪だが、それが現実だった。

 

 僕には分からないことがあった。そもそも、二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件は何のために起きたのか。グリコ・森永事件のような食品会社を標的とした企業脅迫事件なら分かるが、NPC田端食品株式会社の場合には、そのような脅迫は全く無かった。犯人の目的が分からなかった。

 西森は「ただの愉快犯じゃないですか」と言っていたが、果たしてそうだったのか。それにしては手が込み過ぎている。

 

 家に帰った。きくが出迎えてくれたが、晴れ晴れとした顔をしていた。

「どうしたんだ」と訊いた。

「PTAの役員にならずに済みました」と答えた。

「良かったな」と僕は言った。

「このお腹を見て、みんなが子どもができることを知ったので、それじゃあ無理ね、と言われました。良かったです」とお腹をさすった。

 

 風呂に入った。

 NPC田端食品株式会社のことが頭から離れなかった。これほどの事件がただの愉快犯として引き起こされたものではないことは、覚醒剤を混入した凉城恵子が、高橋丈治に轢き逃げされて殺されたことでも明らかだった。その背後には、島村勇二がいる。

 何のために、「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤を混入したのだ、そこが僕には分からなかった。

 明日、安全防犯対策課の者に訊いてみようか、と思った。彼らの中に分かる者がいるとは思えなかったが、分かりそうな者を知っているということはあるかも知れなかった。どうせ、僕自身では分からないことなんだから、訊いてみるのも一つの手ではあった。

 

 風呂から出てビールを飲んだ。

 つまみはたこの薄切りだった。僕はそれをつまんだ。美味かった。そして、ビールで流し込んだ。

 

 次の日、出署して安全防犯対策課に行った。

 メンバーは全員来ていた。

「ちょっと、訊きたいことがあるんだが」と切り出した。

 メンバーは僕の方を向いた。

「千人町交番所長をやっていた時に、起きた事件なんだが、二〇**年**月にNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入されていて、それを飲んだ人が交通事故を引き起こしたという事件があったんだ。こんな事件のときには、脅迫状が届いたり、脅迫金を要求するようなことが起こるはずなんだが、そういうことが一切なかったんだ。覚醒剤を混入しておいて、何かのメリットでもあるというのだろうか。そこが分からないんだ。分かる者がいたら教えてくれ」と言った。

 岡木治彦が声を上げた。

「それなら、捜査二課の安達に訊けばいいかも知れません」

 僕は「安達?」と訊き返した。

「ええ、安達祐介です。株に関して詳しいですよ」と言った。

「岡木は株が関係していると思っているのか」と僕は訊いた。

「脅迫状が届いたり、脅迫金を要求するようなことがなかったということは、その「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤を混入することで株価が下がることが狙いだったんじゃないですかね」と答えた。

「株価か」と僕は言った。

「ええ。それしか考えられませんよ」と岡木は言った。

「どうも、ありがとう」と僕は言った。

 さっそく捜査二課に行くことにした。

小説「僕が、警察官ですか? 4」

 NPC田端食品株式会社の本社を出ると、新宿駅に向かった。

 新宿駅から北大井駅に向かった。大石庫男が言っていた建築中のビルは、電車からも見えた。

 電車を降りると、その建築中のビルに向かった。

 建築現場の歩道で警備に当たっていた人に、警察手帳を見せて、大石庫男を呼んで欲しいと頼んだ。

「ちょっと、お待ちください。責任者に訊いてきます」と言った。

 しばらくして、大石庫男が来た。

 大石は「仕事中だから、簡単にして欲しいな」と言った。

 僕は「分かっています。次の質問に答えてくれればいいだけです」と言った。

 そして、僕は時を止めた。ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「あやめ。さっきと同じようにしてくれ」と言った。

「わかりました」

 僕は時を動かした。

「二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件は覚えていますよね。その関係者にお話を伺っています。その事件では、「飲めば頭すっきり」という製品が出荷される三日前に製造した品川工場のあるロットだけだということが判明し、そこから、混入可能な者のリストが作られたのです。そのリストにあなたも載っていたのです。そこで、訊きます。あなたが覚醒剤を混入しましたか。それとも混入した人に心当たりはありますか」と僕は訊いた。

「その時も答えましたが、わたしじゃありませんよ。それに心当たりのある人も知りません」と言った。

 時を止めた。

「あやめ。彼の頭の中で考えていたことを流してくれ」と言った。

「はい」とあやめは言って、大石の意思を流してきた。

『しつこいよな。俺がそんなことをするはずがないじゃないか。誰がやったかは知らないが、そのために工場は閉鎖され、俺は解雇されたんだ。警察には、もういい加減にして欲しいな』

 僕は大石の意思を受け取ると時を動かした。

「もういいですか」と大石は言った。

「お手数をおかけして済みませんでした。ご協力、ありがとうございました」と言った。

 大石は仕事に戻っていった。

 大石も覚醒剤混入には、関係していなかった。

 

 時沢靖史が当時住んでいたのは、ここから十分ほどのマンションだった。そこに向かった。しかし、時沢靖史はそこから引越しをしていた。管理人の話によると、フィリピンに行くと言っていたそうだ。

 事件当時にマンションを引き払って、フィリピンに行くというのは、いかにも不自然だった。彼が覚醒剤混入に関係していて、逃亡したのかも知れないと思えてきた。だが、行き先がフィリピンだとなると、彼に直接会うのは無理だった。

 管理人に頼んで、管理人と一緒に彼の住んでいた部屋の前に行った。

 無駄だと思ったが、時間を止めて、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「ここに住んでいた時沢靖史の霊気が読み取れるか」と訊いた。

「駄目です」とあやめは言った。

「そうか」

 僕は時間を動かし、管理人に礼を言って、そのマンションを出た。

 

 後は、石原知子と凉城恵子だった。

 時計を見た。午後一時だった。石原知子とは午後二時に会うことになっている。

 公園を探した。マンションの先に公園らしい所があった。そこに向かった。

 小さいが公園だった。そこのベンチに座って、昼食をとることにした。鞄から愛妻弁当と水筒を取り出すと、弁当の蓋を開けた。鮭のふりかけでハートマークが作られていた。

 弁当を食べ終わり、水筒のお茶を飲むと、公園を出た。

 そして、石原知子の所に向かった。

 午後二時少し前だったが、石原知子の家のドアホンを押した。

 ドアが開けられ、玄関にガウンを着た石原知子が立っていた。

「電話してきた警察の方?」と訊いた。

「そうです」

「で、何を聞きたいの。もう終わった話でしょ」と言った。

「こうして直接聞くことが重要なんです」と僕は言った。

「そうなの。早くしてよ」と石原は言った。

 僕はズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

 時を止めて、あやめに「石原の頭の中を読み取るように」と言った。あやめは、「わかりました」と答えた。

 時を動かした。

「聞きたいのは、二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件についてです。その事件の関係者にお話を伺っています。その事件では、「飲めば頭すっきり」という製品が出荷される三日前に製造した品川工場のあるロットだけだということが判明し、そこから、混入可能な者のリストが作られたのはご承知ですか」

「知りません」と石原は言った。

「そのリストにあなたも載っているのです。そこで、伺います。あなたは覚醒剤を混入しましたか。それとも混入した人に心当たりはありますか」

 僕は石原知子の目を見た。濁っていた。

「わたしじゃあ、ないですよ。そして、心当たりのある人も知りません。前にもそう答えました」と言った。

 時を止めた。

「あやめ。彼女の頭の中で考えていたことを流してくれ」と言った。

「はい」とあやめは言って、石原の頭の中を流した。

『今さら、何よ。もう、済んだことじゃないの。わたしが覚醒剤なんか混入するはずがないじゃない。何のメリットがあるの。誰がやったのかなんて、知っているはずがないじゃない。知っていたら、とっくに話しているわよ』

 僕は石原の考えを再生させると時を動かした。

 石原知子ではないことがはっきりした。

「どうもありがとうございました」と言った。

「もう、来ないでね」と言うと、石原知子は玄関のドアを閉めた。

 僕は家から出ると、最後の凉城恵子の所に行くことにした。

 凉城恵子は品川区****に住んでいた。ここからは、歩いて行ける所だった。

 品川区****は住宅街だった。凉城恵子の家はすぐに分かった。ドアホンを押しても誰も出て来なかった。

 隣の家を訪ねた。年老いた女性が出て来た。

「お隣の凉城恵子さんにお会いしたいんですが、今はいないようなのですが、どこかで働かれているのでしょうか」と訊いた。

「ご存じありませんの」と逆に訊かれた。

「ええ」

「お亡くなりになりましたよ」と年老いた女性が言った。

「えっ、亡くなられた」と僕は驚いた。

「ええ、二年半前か、三年前だったか、交通事故で」とその女性は言った。

「交通事故ですか。それはどういう事故でしたか」と訊くと「轢き逃げでしたよ」と答えた。

「で、轢き逃げした人は捕まりましたか」と訊くと、「それがまだ捕まっていないんですよ」と答えた。

「ありがとうございました」と言って、その家を出た。

 凉城恵子の家にもう一度行った。ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、あやめに「霊気を感じるか」と訊いた。

「ええ」と返ってきた。

「読み取ってくれ」と言った。

 しばらくして「読み取りました」とあやめが言った。

「読み取ったものを送ってくれ」と言った。

「わかりました」

 意識の映像は、自分の意識と衝突する。だから、目眩のようなものが起こる。分かってはいたものの、こればかりは慣れることはなかった。

 凉城恵子は貯金が底をついてきた。これから、子どもの受験もある。お金の工面に困っていた。そこにつけ込んできたのは、島村勇二だった。関友会の関連会社、堺物産の部長だった(「僕が、警察官ですか? 1」参照)。

 覚醒剤を「飲めば頭すっきり」に混入することで、五千万円の現金を渡すと言ったのだ。

 もちろん、凉城恵子は最初は断った。しかし、島村勇二の誘いはしつこかった。そして、凉城恵子もお金の工面に疲れたのだ。島村勇二の誘いに乗ってしまった。

 そして、「飲めば頭すっきり」への覚醒剤混入が実行されたのだ。

 だが、いざ実行してしまうと、凉城恵子は自分の犯した罪に苛まれることになった。そこに、島村勇二から、「しゃべるとお子さんの命の保証はしないぞ」と言う脅迫が追い打ちをかけた。

 警察の事情聴取は何とか持ちこたえたが、彼女がしゃべる危険を常にはらんでいたのだ。

 だから、島村勇二は誰かに凉城恵子を轢き逃げに見せて、殺させたのだ。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

 次の日、出署して安全防犯対策課に行った。

 デスクに着くと、早速携帯を取り出した。

 まず、石原知子に電話した。

「はい、石原です」と気怠そうな声が聞こえてきた。

「私、黒金署の安全防犯対策課の鏡京介と言います」と言った。

「警察の方?」

「はい、そうです」

「何の用なの」

「二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件について、関係者にお話を伺っているんですけれど」と僕は言った。

「ああ、あの件ね。あの件は、当時わたし何度も事情聴取を受けたわよ。それは知っているんでしょうね」

「ええ、分かっています」

「だったら、何で今さら電話をしてくるの」と石原は言った。当然の主張だった。

「あの事件を調べ直しているんです」と僕は言った。

「わたしは何も知らないわよ」

「それは分かっています。お会いするだけでもいいんですが、会っていただけますか」

「今さら、会ってどうするの」

「ただ、お話を聞ければいいんです」

「夕方から仕事なんだけれど、昼二時過ぎ頃なら、会ってもいいわ。わたし、あの会社止めてからホステスをしているの。今は眠いから、もういい」と石原は言った。

「住所は変わっていませんよね」と僕は訊いた。

「前のままよ。じゃあ、切るわよ」と言って、電話は切られた。

 石原知子は、北大井駅から歩いて十分ほどの所にあるアパートに住んでいた。携帯の電話で聞いている分には、彼女は白に思えた。もし、お金を貰っていたら、同じ所には住んではいないだろうし、ホステスなんかしていないだろうと思った。だが、会って、確認はした方がいいのには違いなかった。

 次に、大石庫男に電話した。

「もしもし、大石です」と言った。

 石原知子の時と同じように「私、黒金署の安全防犯対策課の鏡京介と言います」と言った。

「警察?」

「はい、そうです」

「警察が、何の用?」

「二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件について、関係者にお話を伺っているんですけれど」とこれも石原知子にしたのと同じだった。

「何で、今さらそんな事件について、聞くことがあるわけ。もう済んだ話じゃないわけ」と言った。

「あの事件を調べ直しているんです」と僕は言った。

「俺に聞いてもしょうがないよ。関係ないんだから」

「そうでしょうが、会うだけでもお会いできませんか」と言った。

「会ったって話すことなんかないよ」と大石は言った。

「会うだけでいいんです」

「なら、仕事場に来てくれ」

「どこですか」

「北大井駅前のビルの建築現場で作業員をしている」

「なんていうビルですか」

「まだ建築中だから、言ってもわからない。来ればわかるよ。忙しいんだ。これで切るよ」と言って、電話は切られた。

 次は凉城恵子だった。だが、携帯は繋がらなかった。彼女の所には、直接行くしかなさそうだった。

 次に、時沢靖史に電話した。彼の携帯にも繋がらなかった。彼の所にも行くしかないようだった。

 最後に、中橋知子に電話した。

「はい、中橋です」と言った。

 ホッとした。

「私、黒金署の安全防犯対策課の鏡京介と言います」と言った。

「警察? 何の用なんですか」と訊いた。

「二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件について、関係者にお話を伺っているんですけれど」と僕は答えた。

「ああ、あの事件ね。いろいろ訊かれたけれど、知っていることはみんな話したわよ」

「それは分かっていますが、調べ直しているんです」

「今、仕事中なので、終わってからにしてもらえますか」

「いいですけれど、どこでお働きになっているんですか」

NPC田端食品株式会社の本社です」と言った。

「そこなら近いんで、今から行きます。五分でいいんです。会うだけ会ってください」と言った。

「仕事の後では駄目ですか」

「そこをなんとかお願いします」

「じゃあ、少しだけですよ」

「分かりました。また後で」と言って、電話を切った。

  NPC田端食品株式会社の本社は新宿区南新宿三丁目にあった。ここから、歩いて三十分ほどの所だった。

 まず彼女に会うことにした。

 緑川に「出かけて来る」と言って、鞄を持って、安全防犯対策課を出た。

 

 僕は、真っ直ぐに NPC田端食品株式会社の本社に向かった。

 受付で、中橋知子を呼んでもらった。

「あのう、どちら様ですか」と訊くので、警察手帳を見せて、「黒金署の安全防犯対策課の鏡京介です」と言った。

「ご用件は」と訊くので、「本人に話します」と答えた。

 受付の女性は、社内電話を取り上げて「受付ですが、経理の中橋知子さんですか。警察官が受付にいるので、来てください」と言った。

 そして、僕に「少々、お待ちください」と言った。

 中橋知子は経理に行っていたのか、と思った。

 しばらくして、中橋知子はやって来た。

「中橋です。あちらの席にどうぞ」と言った。

 ロビーのテーブルに案内された。

 ソファを勧められて座ると、「あの事件のことなら、もう何もかも話しましたよ」と言った。

「電話でも話しましたが、もう一度、調べているんです」と僕は言った。そして、時を止めた。ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「あやめ、これから彼女の頭の中を読み取ってくれ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 時を動かした。

「二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件について、関係者にお話を伺っています。その事件で、「飲めば頭すっきり」という製品が出荷される三日前に製造した品川工場のあるロットだけだということが判明し、そこから、混入可能な者のリストが作られました。あなたもそのリストに載っていました。ずばり訊きます。覚醒剤を混入しましたか。それとも混入した人に心当たりはありますか」と僕は言った。

「当時も言いましたが、わたしは混入していませんし、混入した人も知りません。この話はこれだけですか」と言った。

 僕は時を止めた。

「あやめ、彼女の頭の中を読み取れたか」と訊いた。

「読み取れました」と答えた。

「流してくれ」と言った。

 頭には今の会話の間の彼女の頭の中に浮かんだことが流れてきた。

『失礼しちゃうわね。わたしは関係ないわよ。誰がやったか知らないけれど、そのために工場が閉鎖されたのよ。警察には、もういい加減にして欲しいわ。せっかく、本社勤務になれたんだから、ここまで来て欲しくはないわ』

 僕は時を動かした。

 中橋は「もう、いいですか」と言った。

 僕は「お手数をおかけしました。これで結構です。ありがとうございました」と言った。

 中橋は「もうこれだけにしてくださいね」と言った。

 僕は「分かりました」と言って、頭を下げた。

 中橋知子が関係ないことははっきりした。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

 家に帰って、すぐに風呂に入った。僕は長風呂だった。つい考え事をしてしまうからだった。京一郎とも一緒に入らなくなっていた。

 今回のリストアップされていた人についても考えていた。

 事件後、NPC田端食品株式会社は株式の上場が認められなくなって、規模を縮小せざるを得なくなった。三つあった工場の内、品川工場は閉鎖された。問題のあった工場だったからだ。

 そこの従業員も随分と解雇されたり、やめていったと聞く。特にリストアップされている人たちは、別の工場で働いているとは書かれていなかった。

 この人たちにどう会うかが問題だった。

 

  リストの一番目の青木歌子、五十歳は、一人息子が引きこもりがちで苦労していた。一人息子が引きこもりがちになったのは、中学に上がってからだそうだ。学校に行かなくなり、学校からは何度も呼び出しを受けたという。

 それまで、普通に暮らしていたのだが、二人の娘が独立すると、夫とは何かと意見が合わなくなり、別居するに至っている。生活はやや不安定と書かれているが、覚醒剤を自分が作っている商品に混入するほどの勇気も動機も見当たらなかった。僕はリストから外した。

 二番目の石原知子、三十三歳は、夫が配達員で不規則な生活を送っている。石原知子自身も働いているが、病気の母を療養所に入れているため、その費用に家計が圧迫されていた。今は、母親の貯金を取り崩して、遣り繰りしているようだった。事情聴取を行った者の意見として、彼女には疲労感というか気怠いものが漂っていた、と書かれていた。それ故に、僕はリストから外さなかった。

 三番目の石塚賢治、三十五歳は、二児の父親だが、家庭はあまり顧みず、月給は家庭にはほとんど入れていない状態のようだった。仕事の後は、すぐに麻雀に行って、かなり負け越して、借金もありそうだった。生活は妻の実家からの援助を受けて、何とか成り立っていた。こうした男は覚醒剤を混入するように依頼する方も依頼しづらい。リスクが大きいからだ。僕はリストから外した。

 四番目の石森祐子、二十七歳、独身は、生活は派手で、品川の駅近くのマンションに一人暮らしをしていた。リストには生活は不透明と書かれていたが、おそらくパトロンがいるのだろう。このタイプは覚醒剤混入を持ちかけられても、絶対とは言えないが、おそらくはやらない。もっと、生活に困窮している人が狙われた可能性が高いと思っているので、僕はリストから外した。

 五番目の大石庫男、二十九歳、独身で、賭け事にのめり込むタイプと書かれていた。かなりの借金をしているのであれば、覚醒剤混入を持ちかけられたら乗るかも知れなかった。要注意人物の一人だった。

 六番目の凉城恵子、三十四歳、主婦、二人の子持ちだった。お金に困っているようなことはないかと訊かれて、ないと答えている。だが、彼女の母が認知症になって、施設に預けている。毎月、馬鹿にならない金額の看護費用を払っている。それはどうしていると訊かれていた。仕事の給料から払っていると答えたが、それでも足りない分はどうしているという問いに、貯金を取り崩していると答えていた。生活費は会社員である夫の給料でまかなっているという。僕はリストに残した。

 七番目の副田宗男、三十四歳、一児の父親。母親が教育熱心で、子どもの教育費に困っていた。だが、それ以外に生活には不安要素がないので、どうにもならなくなれば、子どもの教育費を削れば済むことだった。覚醒剤を混入をするほど追い詰められているとは思えなかった。僕はリストから外した。

 八番目の時沢靖史、三十五歳、独身。去年、結婚詐欺に引っ掛かって、貯めていた貯金を全部取られていた。今もそのトラウマを引きずっていて、自暴自棄のような状態だとすると、覚醒剤を混入する可能性はあり得る。

 九番目の中橋知子、三十歳、未婚。この手の女性が株に手を出して、大損をしているというのは、大きく張っているからだった。それだけの度胸があると言ってもいい。結婚資金を失ったぐらいではへこたれないだろうが、覚醒剤を混入すれば大金が手に入るとすれば、やりかねない気質は持っているとみていい。

 十番目の新潟静夫、四十二歳、一児の父親。酒癖が悪く、かっとなると何をやるかわからなくなる性分と書かれている。この手の者には覚醒剤を混入させる方もリスクがある。ある程度、理性的である必要があるので、僕はリストから外した。

 十一番目の灰原貴子、二十六歳、独身。休日はブランド品を身につけて街を歩くのが趣味で、男性に良く声をかけられ、お金持ちが好きという女性は、生活は不安定でも、自分の手は汚さない。よって、リストから外した。

 

 こうして僕のリストに残ったのは、石原知子、大石庫男、凉城恵子、時沢靖史、中橋知子の五名だった。

 

「あなた」ときくが声をかけてきた。僕があまりに長風呂だったからだ。

「今、上がるよ」と応えた。

 

 風呂から上がって、ダイニングテーブルについて、ビールを飲んだ。明日、五名については携帯に電話してみることにした。

 きくが「今度、保護者会があるんです」と言った。

「いつなんだ」と訊くと「明日です」と答えた。

「そうか」

「そうか、じゃないですよ。わたし、PTAの役員に推薦されているんですって」と言った。

「ききょうの方か、京一郎の方か」と訊くと、「どちらもです」と言った。

「二人、通っているからな。普通は、どちらかでは何かをやらなくてはならないかも知れないけれど、そのお腹ではな」と僕は言った。

「そうですよ。子どもを身籠もっていて、PTAの役員なんてやれますか」と言った。

「確かに、それだけお腹が大きくなっていれば、みんな、PTAの役員は無理だと思ってくれるさ」と僕は言った。

「そうですか。それなら安心しました」ときくが言った。

 

 夕食になった。カレーライスだった。子どもたちは喜んだ。

 僕も子どもの頃は、何となくカレーライスは嬉しかった記憶がある。

 子どもたちはお代わりをした。

 僕もしようと思ったが、最近、お腹に脂肪がついてきたのでやめた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

 三十六名に絞られた者の事情聴取ファイルは、箱の奥にあった。ファイルの背表紙が見えるように入れてあればいいのに、横向きになっていたので、見付けにくかった。

 捜査記録のファイルも一応、写真に撮った。二百ページにもなっていた。

 写真類も写真に撮った。

 いよいよ、三十六名に絞られた者の事情聴取ファイルを開いた。

 最初のページに事情聴取された者の一覧が載っていた。ここからはすべて写真に撮っていった。女性が二十四名、男性が十二名。ちょうど二対一の割合だった。

 そのファイルを開いた。一人につき、約五ページ。全部で百八十ページのファイルだった。読んでいると時間がかかるので、携帯でページごとに写真を撮っていった。

 事件の概要を扱った主ファイルも写真に撮った。それだけで、午前中一杯、かかった。

 

 お昼になったので、横井に資料箱を戻しておいて欲しいと頼んでから、未解決事件捜査課の課長にお礼を言って、黒金署に戻った。

 安全防犯対策課に戻ると、すぐに鞄から愛妻弁当と水筒を取り出して、屋上に行き、隅のベンチに座って食べた。

 

 午後は撮ってきたファイルを読んでみることにした。

 最初は、三十六名に絞られた者の事情聴取ファイルを撮った写真を見た。拡大して読んでいった。

 それらを要約すれば、次のようになる。

 一番目は、哀川辰雄 四十五歳、独身。趣味は釣りで、週末ごとに川や海に仲間と出かけている。酒好きで豪放磊落な性格。生活は普通。

 二番目は、藍染節子 四十四歳、主婦。三人の子持ちで、共働きなのは三人の学費稼ぎのため。生活は普通。

 三番目は、青木歌子 五十歳。三児の母親で、上の女の子二人は独立している。一人息子が引きこもりがちで苦労している。夫とはそりが合わずに、ただいま別居中。生活はやや不安定。

 四番目は、秋本優子 四十二歳。夫は町工場で働いている。二児の母親。家計を助けるためと自分を活かすために仕事をしている。生活は順調。

 五番目は、赤坂妙子 三十二歳、主婦。昨年結婚したばかりの新婚さん。夫の実家が資産家。生活は順調。

 六番目は.赤島良子 二十八歳、独身。これといった趣味もなく、一人暮らしを楽しんでいる様子。生活は普通。

 七番目は、石原知子 三十三歳、主婦。一児の母親。夫は配達員。病気の母を療養所に入れている。家計は苦しそう。生活は不安定。

 八番目は、石塚賢治 三十五歳、二児の父親。仕事の後は、麻雀に良く行く。かなり負け越しているよう。生活は不安定。

 九番目は、石森祐子 二十七歳、独身。生活は派手で、品川の駅近くのマンションに一人暮らしをしている。生活は不透明。

 十番目は、宇喜多康夫 四十二歳、二児の父親。子煩悩。いい父親をしている。よく家族旅行に行く。生活は普通。

 十一番目は、宇和島忠夫 三十二歳、独身。株をやっている。貯蓄もそこそこしていて、堅実派。生活は普通。

 十二番目は、越前美奈子 二十八歳、一児の母親。最近離婚し、実家に戻り、子どもは母親が面倒を見ている。生活は普通。

 十三番目は、追川杉夫 三十三歳、独身。飲むことが好きで、良く飲み歩く。生活は普通。

 十四番目は、大石庫男 二十九歳、独身。賭け事にのめり込むタイプ。かなりの借金をしている様子。生活は不安定。

 十五番目は、海藤竜子 二十四歳、独身。ただいま結婚相手を募集中。その手の会にも入っている。生活は普通。

 十六番目は、桑田篤子 四十歳、一児の母親。夫は会社員。子どもの教育熱心な、普通の母親。教育資金稼ぎのために、仕事をしている。生活は普通。

 十七番目は、小池留美子 二十五歳、独身。独身貴族という名の通り、独身を満喫している。当分、結婚の予定はない。生活は普通。

 十八番目は、坂本亮子 三十歳、独身。去年、結婚寸前までいっていた相手と破局。今は、傷心した躰を休めている状態。生活は普通。

 十九番目は、凉城恵子 三十四歳、主婦、二人の子持ち。夫は会社員。認知症の母親を施設に預けている。生活は不安定。

 二十番目は、関口時雄 四十歳、独身。結婚する気はあまりなさそうで、趣味はゲームと言っている。生活は普通。

 二十一番目は、副田宗男 三十四歳、一児の父親。妻が教育熱心で、子どもの教育費に困っている。生活は不安定。

 二十二番目は、高城明子 二十六歳。来年の春に結婚予定。有名なホテルで披露宴をする。相手は資産家の長男。マンションを借りて暮らす予定。結婚資金は、二人で貯めたお金。生活は普通。

 二十三番目は、塚本英二 二十五歳、独身。株で大損したらしい。町金融に手を出している様子。生活は不安定。

 二十四番目は、手塚美菜子 二十三歳、独身。特に結婚に拘っている気配はない。独身貴族を満喫している。生活は普通。

 二十五番目は、時沢靖史 三十五歳、独身。去年、結婚詐欺に引っ掛かって、貯めていた貯金を全部取られている。今もそのトラウマを引きずっている。生活は不安定。

 二十六番目は、中橋知子 三十歳、未婚。株に手を出して、大損をしている。結婚資金を失ったと噂されている。生活は不安定。

 二十七番目は、新垣朝子 四十一歳、二児の母親。自分の実家で夫と暮らしている。子どもは自分の両親が面倒を見ている。生活は普通。

 二十八番目は、新潟静夫 四十二歳、一児の父親。酒癖が悪く、かっとなると何をやるかわからなくなる性分。生活は不安定。

 二十九番目は、沼田敬子 二十八歳、一児の母親。三年前に離婚し、今は実家で母に子どもを預けて、仕事をしている。付き合っている男性がいる。生活は普通。

 三十番目は、根本麻子 二十六歳、独身。何人かのボーイフレンドがいるが、これといった恋人はいない。結婚願望も薄い。生活は普通。

 三十一番目は、野上涼子 三十三歳、一児の母親。夫の両親と同居。子どもは姑が面倒を見ている。生活は普通。

 三十二番目は、野島忠夫 二十九歳、一児の父親。仕事熱心な若者。これといった趣味はなく、仕事が終わればすぐ帰宅する。生活は普通。

 三十三番目は、拝島梨紗子 二十五歳、結婚一年目。新婚生活を楽しんでいる。旅行に行くのが趣味。生活は順調。

 三十四番目は、灰原貴子 二十六歳、独身。休日はブランド品を身につけて街を歩くのが趣味。男性に良く声をかけられる。但し、お金持ちが好き。生活は不安定。

 三十五番目は、氷室明美 二十四歳、独身。実家で両親と一緒に暮らしている。生活は普通。

 三十六番目は、向井康子 三十六歳、二児の母親。夫の両親と暮らしている。生活は堅実で、夫の両親とも上手くやっているよう。生活は普通。

 

 この中で怪しそうだとしてリストアップされているのが、三番目の青木歌子、七番目の石原知子、八番目の石塚賢治、九番目の石森祐子、十四番目の大石庫男、十九番目の凉城恵子、二十一番目の副田宗男、二十五番目の時沢靖史、二十六番目の中橋知子、二十八番目の新潟静夫、三十四番目の灰原貴子の十一名だった。

 怪しそうだとしてリストアップされているということは、事情聴取している時に、刑事にそう思わせる何かがあったからだろう。そればかりは、ファイルをいくら読んでいても分からないことだった。

 

 読み終わると、目がチカチカしてきた。

 取りあえず、この十一名から、自分なりにリストを絞り込んで一人一人当たっていくことにした。

 その日は、携帯に撮ったファイルを読んでいるだけで、退署時間が来た。

 僕はさっさと帰る主義なので、一番先に安全防犯対策課を出た。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

   僕が、警察官ですか? 4

                                                   麻土 翔

 

 十月になった。

 安全防犯対策課は暇だった。僕は毎日、あやめの入っているひょうたんを持ち歩くようになった。あやめの能力が便利だったからだ。

 月曜日の剣道の稽古の後に、西新宿署捜査一課一係の刑事である西森幸司郎から、西新宿署に未解決事件捜査課が設けられたことを知った。二〇一〇年の殺人など凶悪犯罪の公訴時効の廃止を受けてのものだが、その当時は捜査一課に未解決事件捜査係を作って、そこが担当していた。そこから昇格したそうで、大規模警察署では遅かったくらいだった。

 未解決事件捜査課は、殺人など凶悪犯罪事件だけを扱っているのではなく、文字通り未解決事件全般を扱っている。

 実は僕にも西新宿署の未解決事件捜査課の課長にならないかという打診があった。でも、断った。その話はそれっきりで、西新宿署の未解決事件捜査課がどうなったかは、西森に聞くまで知らなかった。

 西森から、西新宿署に未解決事件捜査課が設けられたことを聞いた時、僕には気にしていた事件があった。それは千人町交番所長をやっていた時に、解決できなかった事件だった。

 その事件というのは、NPC田端食品が販売している「飲めば頭すっきり」というドリンクに誰がどういう手段で、覚醒剤を混入したかは結局分からずじまいになったものだった。ただ、ある程度までは分かっていたのだ。

 同製品に覚醒剤の混入が分かっているのは、その製品が出荷される三日前に製造した品川工場のあるロットだけだということが判明した。そこから、混入可能な者のリストが作られたのだ。生産ラインには、五百数十名がついていたが、実際に混入可能だったと思われた者は、最終的に三十六名にまで絞られていた。しかし、その中の誰が混入したのかは、結局、突き止めることができなかった。

 その三十六名は、当然全員事情聴取を受けたが、その現場に僕がいて、あやめにその人たちの頭の中を読み取らせれば、誰が犯人なのかは分かったはずなのだ。だが、当時、品川工場を調べていたのは品川署で、そこには僕の知り合いはいなかった。

 ところが、混入可能者のリストが西新宿署にあることを最近知ったのだった。そして、その事件が西新宿署の未解決事件捜査課に眠っていることを知ったのも、同じ時だった。その事件が、品川署ではなく西新宿署の未解決事件捜査課で扱うことになったのは、NPC田端食品株式会社の本社が新宿区にあったからだ。

 これらの情報は、西森から聞いたものだった。

 

「それで、どうするつもりなんですか」と西森が言った。

「さぁ、まだ考えていません。当たって砕けろです」と僕は言った。

 

 次の日、午前九時に出署して安全防犯対策課に行くと、緑川に「ちょっと、西新宿署まで行ってくる」と言って出かけた。

 西新宿署の未解決事件捜査課は地下一階にあった。道場があるのと同じフロアだった。どうして、未解決事件捜査課がそこにあるのかというと、事件ファイルが地下に貯蔵されているためだった。膨大にあるファイルを収めた棚の奥に、その一室はあった。

 僕がドアをノックすると、「どうぞ」と言う声が聞こえてきた。年季の入った男性の声だった。

 僕は部屋の中に入り、「あのう、課長さんにお目にかかりたいんですが」と言った。

 すると、どうぞと言った人が「わたしが課長の高梨真一です」と言った。

 他の者は、デスクに座って、資料を読んでいた。課長だけが、ゆっくりとお茶を飲んでいた。机の上にはファイルらしきものはなかった。

「それで、どんな用事ですか」と高梨は訊いた。僕は「二〇**年**月に起きたNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件を調べに来たんです。ここに資料があると聞いたものですから」と言った。

「そうですか。凶悪事件ではないんですね」と高梨は少しがっかりしたように言った。

「ええ、殺人などのような事件ではありません」と僕は言った。

 高梨は「横井、この人が知りたい事件の資料を探してやってくれ」と言った。

「で、あなたはどこの課の人ですか」と高梨が訊いた。

「あの、私、この署の者ではないんです。黒金署の安全防犯対策課の鏡と言います」と言って、警察手帳を見せた。

「ほう、黒金署の安全防犯対策課の人が何故ここに」と高梨は訊いた。

「前に関わっていた事件の資料がここにあると聞いたものですから、見せていただきたいと思いまして来ました」と答えた。

「まあ、資料を見るだけならどうぞ。持出しは駄目ですよ」と高梨は言った。

 横井という三〇代ぐらいの男性は、気怠そうにやって来て、「何年何月ですか」と訊いた。

「二〇**年**月です」と答えた。

 資料箱が並んでいる棚を巡って、「この辺だな」と横井が言った。

「事件名は」と訊いた。

「事件名は分かりませんが、NPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入していた事件です」と答えた。

NPC田端食品、「飲めば頭すっきり」、覚醒剤……」と言いながら、その年月の事件の資料箱を横井は見ていった。

「あっ、これだ」と言って、脚立を持ってきて、一つの箱を上の方の棚から下ろした。

 箱には、「NPC田端食品株式会社「飲めば頭すっきり」ドリンク覚醒剤混入事件」と書かれていた。

 僕はそれを受け取り、「これをどうすればいいんですか」と横井に訊いた。

「隅のデスクで読んでください。終わったら、声をかけてください。元のところに戻しておきますから」と言った。

 何とも覇気のない課だった。

 僕は言われた隅にあるデスクに、その資料箱を持って行き、椅子に座った。箱を開けると、幾つものファイルが入っていた。

 まず、関係者リストというファイルを取り出して中を見た。関係者と思われる名前がずらりと並んでいた。一ページに二十名の名前と年齢と住所が記載されていて、それが三十ページほどあった。取りあえず、全部のページを携帯で写真に撮った。

 でも、一番見たかったのは、三十六名に絞られた者の事情聴取のことが書かれたファイルだった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 3」

二十八

 九月になった。

 全国警察剣道選手権大会がやって来た。

 剣道具の竹刀ケースの中には、定国を袋に詰めて入れてきた。

 九月**日火曜日に日本武道館で、午前九時から開催された。

 開始前のセレモニーの後、八会場に分かれて、百七十人近くの全国の警察の猛者が試合をした。

 決勝までは七試合しなければならなかった。試合前に竹刀ケースの中の定国に触れて、力をもらった。

 最初に当たったのは、熊本県警の堂本隆史だった。初めて対戦する相手だった。僕の無反動は噂では聞いていただろうが、実際に受けるのは初めてだった。

「始め」の声とともに立ち上がった時、竹刀を交わすと面白いように弾いた。僕は無防備になった面を打った。旗が三本上がり、僕の一本勝ちになった。開始早々、数秒後のことだった。

 次の山形県警の高梨幸司も初対戦だった。僕がこの大会で三連覇をしていることを知っているだけに警戒していた。なかなか、踏み込んで来なかった。仕方なく、こちらから仕掛けていった。竹刀がぶつかると弾いて、胴を打った。これも一本勝ちだった。

 三回戦は、警視庁の真柴純一だった。一昨年、決勝で当たった。去年は怪我で出場していなかった。真柴は下段からの押し上げが得意だった。

「始め」の声とともに一歩下がると、下段に構えた。下段に構えられると竹刀を当てにくくなる。こちらが一歩進むと一歩下がった。

 僕は隙を見せることにした。竹刀を上段に構えて、一歩進むとそのまま打ち下ろした。真柴も竹刀を突き上げてきた。速さの勝負だった。僕の方が一瞬速く、真柴の竹刀を叩いた。真柴は手が痺れていたことだろう。体勢を崩した真柴から面を取って勝った。

 

 これで午前の試合が終わった。

 一時間の休憩時間があり、その間に僕は愛妻弁当を休憩室で食べた。お茶を飲んでから、竹刀ケースの中の定国に触れた。

「午後も頼むぞ」と心の中で言った。

 

 四回戦は千葉県警の滝本雄一だった。滝本とは昨年、二回戦で当たっていた。滝本も無反動の威力は知っていた。本来は、突っ込んでくる方なのだろうが、僕との対戦ではそうしなかった。だから、僕の方から仕掛けていった。竹刀がぶつかった時が勝負だった。竹刀を弾かれた滝本は為す術がなかった。僕は小手を取った。

 五回戦は準々決勝だった。ここからは強豪が出てくる。

 相手は滋賀県警の結城智則だった。昨年も準々決勝で戦った相手だった。

 コートの中に入って、一礼すると、開始線に進み蹲踞の姿勢を取った。竹刀を脇から外して、互いに交わし合うと「始め」の声がかかった。

 結城は無反動の竹刀に、反動をつけて立ち向かってきた初めての相手だった。反動をつけてきた分だけ弾かれる強さも倍になった。仰け反るような体勢のところを、胴を打ち、勝った。

 準決勝も去年、準決勝で当たった大阪府警の矢部基弘だった。本来はオールラウンダーなのだろうが、僕との対戦では無反動に対抗しなければならなかった。竹刀の先を合わせるだけで、無反動は炸裂した。そこを飛び込んでいき、面を打った。これも瞬殺だった。

 決勝は、西新宿署でいつも相手をしている西森だった。もちろん、警視庁同士だった。西森は僕の太刀筋を知っているだけに、急いで打ち込んで来ることはしなかったが、次第にコートの隅に追い詰められて、打って来ざるを得なくなった。そこで、無反動で切り返し、胴を払った。僕の一本勝ちだった。

「今年もあなたに負けましたね」と西森が言った。去年も西森が決勝の相手だったのだ。

「練習試合でも負け続けているのに、どうやったらあなたに勝てるんでしょうかね」と続けた。

 僕は何も言わなかった。

 

 表彰式では、トロフィーと楯と表彰状が授与された。これが史上初の四連覇だった。

 家に帰ると、きくもききょうも京一郎も、そして父、母も喜んだ。夕食は特上寿司をとることになった。

 

 水曜日に、表彰状とトロフィーと楯を持って、署長に報告に行った。

「そうか、四連覇したか。おめでとう」と言った。

 僕は礼を言った。

「ところで、いつか持ってきた連続放火事件の報告書はプリントアウトできるんだろう。持ってきてくれないかな」と言った。

「分かりました」と言うと、僕は安全防犯対策課に行き、報告書のデータをパソコンに読み込んで、プリントアウトした。

 そして、すぐに署長室に向かった。

 署長はデスクに座って、その報告書を読んだ。

 しばらくしてから、「そういうことか」と言った。

 それから「中上は検察に送検されることになった。事由は、五月二十二日の放火罪と詐欺罪とコンピューターに関する諸々の罪だ。二月二十六日と三月二十八日と四月二十九日の放火については、嫌疑不十分で送検事由には含まれていない」と言った。

 そして、僕の打ち出してきた報告書は、ゴミ箱に捨てた。

「これは読まなかったことにする」と署長は言った。

 僕は、署長の判断が正しいんだと思った。

                               了