小説「僕が、警察官ですか? 4」

 家に帰って、すぐに風呂に入った。僕は長風呂だった。つい考え事をしてしまうからだった。京一郎とも一緒に入らなくなっていた。

 今回のリストアップされていた人についても考えていた。

 事件後、NPC田端食品株式会社は株式の上場が認められなくなって、規模を縮小せざるを得なくなった。三つあった工場の内、品川工場は閉鎖された。問題のあった工場だったからだ。

 そこの従業員も随分と解雇されたり、やめていったと聞く。特にリストアップされている人たちは、別の工場で働いているとは書かれていなかった。

 この人たちにどう会うかが問題だった。

 

  リストの一番目の青木歌子、五十歳は、一人息子が引きこもりがちで苦労していた。一人息子が引きこもりがちになったのは、中学に上がってからだそうだ。学校に行かなくなり、学校からは何度も呼び出しを受けたという。

 それまで、普通に暮らしていたのだが、二人の娘が独立すると、夫とは何かと意見が合わなくなり、別居するに至っている。生活はやや不安定と書かれているが、覚醒剤を自分が作っている商品に混入するほどの勇気も動機も見当たらなかった。僕はリストから外した。

 二番目の石原知子、三十三歳は、夫が配達員で不規則な生活を送っている。石原知子自身も働いているが、病気の母を療養所に入れているため、その費用に家計が圧迫されていた。今は、母親の貯金を取り崩して、遣り繰りしているようだった。事情聴取を行った者の意見として、彼女には疲労感というか気怠いものが漂っていた、と書かれていた。それ故に、僕はリストから外さなかった。

 三番目の石塚賢治、三十五歳は、二児の父親だが、家庭はあまり顧みず、月給は家庭にはほとんど入れていない状態のようだった。仕事の後は、すぐに麻雀に行って、かなり負け越して、借金もありそうだった。生活は妻の実家からの援助を受けて、何とか成り立っていた。こうした男は覚醒剤を混入するように依頼する方も依頼しづらい。リスクが大きいからだ。僕はリストから外した。

 四番目の石森祐子、二十七歳、独身は、生活は派手で、品川の駅近くのマンションに一人暮らしをしていた。リストには生活は不透明と書かれていたが、おそらくパトロンがいるのだろう。このタイプは覚醒剤混入を持ちかけられても、絶対とは言えないが、おそらくはやらない。もっと、生活に困窮している人が狙われた可能性が高いと思っているので、僕はリストから外した。

 五番目の大石庫男、二十九歳、独身で、賭け事にのめり込むタイプと書かれていた。かなりの借金をしているのであれば、覚醒剤混入を持ちかけられたら乗るかも知れなかった。要注意人物の一人だった。

 六番目の凉城恵子、三十四歳、主婦、二人の子持ちだった。お金に困っているようなことはないかと訊かれて、ないと答えている。だが、彼女の母が認知症になって、施設に預けている。毎月、馬鹿にならない金額の看護費用を払っている。それはどうしていると訊かれていた。仕事の給料から払っていると答えたが、それでも足りない分はどうしているという問いに、貯金を取り崩していると答えていた。生活費は会社員である夫の給料でまかなっているという。僕はリストに残した。

 七番目の副田宗男、三十四歳、一児の父親。母親が教育熱心で、子どもの教育費に困っていた。だが、それ以外に生活には不安要素がないので、どうにもならなくなれば、子どもの教育費を削れば済むことだった。覚醒剤を混入をするほど追い詰められているとは思えなかった。僕はリストから外した。

 八番目の時沢靖史、三十五歳、独身。去年、結婚詐欺に引っ掛かって、貯めていた貯金を全部取られていた。今もそのトラウマを引きずっていて、自暴自棄のような状態だとすると、覚醒剤を混入する可能性はあり得る。

 九番目の中橋知子、三十歳、未婚。この手の女性が株に手を出して、大損をしているというのは、大きく張っているからだった。それだけの度胸があると言ってもいい。結婚資金を失ったぐらいではへこたれないだろうが、覚醒剤を混入すれば大金が手に入るとすれば、やりかねない気質は持っているとみていい。

 十番目の新潟静夫、四十二歳、一児の父親。酒癖が悪く、かっとなると何をやるかわからなくなる性分と書かれている。この手の者には覚醒剤を混入させる方もリスクがある。ある程度、理性的である必要があるので、僕はリストから外した。

 十一番目の灰原貴子、二十六歳、独身。休日はブランド品を身につけて街を歩くのが趣味で、男性に良く声をかけられ、お金持ちが好きという女性は、生活は不安定でも、自分の手は汚さない。よって、リストから外した。

 

 こうして僕のリストに残ったのは、石原知子、大石庫男、凉城恵子、時沢靖史、中橋知子の五名だった。

 

「あなた」ときくが声をかけてきた。僕があまりに長風呂だったからだ。

「今、上がるよ」と応えた。

 

 風呂から上がって、ダイニングテーブルについて、ビールを飲んだ。明日、五名については携帯に電話してみることにした。

 きくが「今度、保護者会があるんです」と言った。

「いつなんだ」と訊くと「明日です」と答えた。

「そうか」

「そうか、じゃないですよ。わたし、PTAの役員に推薦されているんですって」と言った。

「ききょうの方か、京一郎の方か」と訊くと、「どちらもです」と言った。

「二人、通っているからな。普通は、どちらかでは何かをやらなくてはならないかも知れないけれど、そのお腹ではな」と僕は言った。

「そうですよ。子どもを身籠もっていて、PTAの役員なんてやれますか」と言った。

「確かに、それだけお腹が大きくなっていれば、みんな、PTAの役員は無理だと思ってくれるさ」と僕は言った。

「そうですか。それなら安心しました」ときくが言った。

 

 夕食になった。カレーライスだった。子どもたちは喜んだ。

 僕も子どもの頃は、何となくカレーライスは嬉しかった記憶がある。

 子どもたちはお代わりをした。

 僕もしようと思ったが、最近、お腹に脂肪がついてきたのでやめた。