小説「僕が、剣道ですか? 1」

三十三

 二日目は、残りの百組の選抜試験が行われた。

 四組目までは順調に選抜試験は進んでいた。五組目に現れた浪人風情の者がくせ者だった。相手はまだ十五歳ほどの少年と言っていい若さだった。その浪人者は、「始め」の後、正眼に構えるところを下段に構え、さらに床に木刀が着くぐらいまで下ろした。十五歳の若者は途惑っていた。相手の木刀は床を這っている。鍔が丸見えだった。

 そこに打ち込みたくなる。それがわざと作った隙だということは若者にもわかっていた。だから、なかなか、剣が出せない。若者は間合いを詰めた。正眼の構えから鍔まで、ほんの僅かな距離になった。

「えぃ」と気合いを入れて、若者は鍔を狙った。だが、宙に舞ったのは、若者の木刀だった。浪人は下から凄まじい勢いで木刀を振り上げたのだ。その速さが若者に遥かに勝っていた。若者の木刀の鍔を正確に打ったのを、僕はしっかりと見た。

 浪人者の「勝ち」と言わざるを得なかった。

 相手も馬鹿じゃない。この選抜試験に何人かの偵察隊を送り込んでいるのだろう。昨日の組にもいたかも知れなかったが、今の浪人者ほど分かりやすい者はいなかった。

 試合が進んでいくうちに、またおかしな構えをする者がいた。

「始め」の後、上中下段のいずれの構えでもなく、弓を引くように木刀の柄を肩よりも後ろに引いて構えたのだった。今度は、鍔を狙いにくくはなったが、胴や頭、そして突きがしやすくなっていた。

 切っ先を合わせた瞬間に胴に行こうとしたところを突かれた。しかし、突きが軽く当てるという規則に反していたので、負けとしたが、喉を突かれた者は苦しがっていた。

 その頃になると選抜試験にざわつきが起こり始めた。

 僕は木刀を床に叩き付けて、「今のような試合の仕方をする者は、即、負けとする」と宣言した。

 こうして選抜試験は再開した。

 たえからもらった堤道場からの出場者は二百五十人、この道場の者は相川と佐々木を除いて九十八人。四百人の応募があったのだから、五十二人がその他になる。その中の何人が相手の偵察隊なのか。僕は選抜試験を注視した。堤道場の者は、構えや打ち込み方で分かる。この道場の者は顔で分かる。それ以外の者の試合ぶりを観れば良かった。

 明らかに偵察隊ではないと分かる者もいた。自己流に鍛錬してきたのだろう。だが、自己流で鍛錬してきた者には、全体的な強さがない。何かが欠けている。一番多い欠点は、足捌きである。腰から上は強いのだが、足捌きが連動していない。そのため、せっかくの上半身の強さが活かされていない。野球で言えば、手打ちになっている。踏み込んで、腰を使った打ち方になっていない。だから、道場で足捌きを練習してきた者に遅れを取る。そうした者は偵察隊にはいないはずだと、僕は思った。

 午前中に五十組の試合が終わった。

 偵察隊は二人いたが、一人は負けとなり、勝ち残っているのは一人だった。午後の部の名簿の中にも、その他の者が十四人いる。

 休憩中に相川と佐々木を呼んで、偵察隊の話をした。彼らも分かっていたようで、偵察隊が勝ち残れば、偵察隊同士を組み合わせることにした。それでも、勝ち残りは出るから、この道場に偵察隊は必ず残ることになる。しかし、広く門戸を開けておく主義から言えば、偵察隊といえどもこれを排除する訳にはいかなかった。

 昼餉をとり、座敷に行き、きくに話すと「そんな人たち、反則負けにすればいいのよ」と言ったが、そんなに気軽に反則負けにはできない。しかし、きくに話したのは、他に話が漏れることはないし、そののんきさに救われたかったのかも知れない。

 午後の試合を開始した。

 十四人の試合ぶりを注視した。このうち十人は、明らかに我流で、いずれも堤道場の者と当たったが、すぐに小手を取られて負けた。残りの四人は、最初は正眼に構えていたが、本来は違う構えなのが分かった。最初のつばぜり合いの後、木刀を引く構えの者、片手で上段に構える者、下段に構える者、同じ正眼に構えていても、左目に寄るように構える者とがいた。

 木刀を引く構えの者は小手で勝った。片手で上段に構える者はそのまま、打ち下ろし、頭を軽く叩いた。これは明らかにリーチの差が出ていた。下段に構える者はそのまま胴を軽く払った。左目に寄るように構える者は、打ち込んで来た者の木刀を避け、頭を軽く叩いた。

 四人とも実力がある者だった。

 午後の全試合が終わったのは、午後四時頃だった。

「明日の組み合わせは、当日発表する。勝ち残った者は集まれ。遅れたり、来なかった者は失格とする。解散」

 それぞれ試合を終わった者は帰っていった。

 相川と佐々木とで、明日の対戦の組み合わせを考えた。偵察隊だと思われる者が、昨日は四人残り、今日は五人残った。偵察隊同士を戦わせると必ず一方が残ることになる。それを嫌うなら、この道場の上位者と当たらせることだが、偵察隊の力を見ると、三人ほどは勝てそうだったが、その他は負けそうだった。やはり、偵察隊同士を戦わせ、組み合わせられない一人を、この道場でも上位者の者に当たらせることにした。

 これで少なくとも四人は偵察隊が道場に残ることになった。

 

 風呂に入りながら、九人の偵察隊らしき者たちが残った話をきくにすると、「これから道場はやりにくくなりはしませんか」と言った。

「そうかも知れないが、誰でも受け入れるという方針をとっている以上、仕方のないことだ」と答えた。

 夕餉の席では、まず選抜試験の話をした。偵察隊らしき者がいることは伏せた。

 佐竹は、昨日の選抜試験で勝ち残った子弟のいる者が喜んでいたことを話した。僕は気になっていた綱秀のことを尋ねると、すっかり元気になったと言っていた。

 相手の思惑が外れたことになる。そうなれば、次に何を仕掛けてくるかは分からない。家老のことが、心配になったので、それとなく佐竹に家老の様子を訊いてみたが、変わりはなさそうだった。

「注意は怠っておりません」と佐竹は言い切った。

 

 布団に入ると、きくが「明日はどうするんですか」と訊くので、僕は「さぁ」と答えた後、「今日はどうするんだろうね」と言った。

「こうするに決まっているじゃありませんか」ときくは抱きついてきた。