七
緑川に「捜査二課に行ってくる」と言って、安全防犯対策課を出た。
捜査二課は三階にあった。
二課のドアを開け、近くにいた女性に警察手帳を見せて、「安全防犯対策課の鏡京介ですが、安達祐介さんをお願いします」と言った。
女性警察官は「ちょっと、お待ちになってください」と言って、安達を呼びに行った。
「何ですか」と安達がやって来た。四十歳ぐらいの無精髭の男だった。
「初めまして。安全防犯対策課の鏡京介です」と言った。
「安全防犯対策課が何の用ですか」と安達は言った。
「安全防犯対策課の用ではなく、私個人の疑問を訊きに来ました」と言った。
「そうですか。何が訊きたいんですか」と言った。
「二〇**年**月にNPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入し、そのために何件かの事故が起きた事件があったのは、ご存じでしょうか」と訊いた。
「知りません」
「普通、その手の事件では、脅迫状が届いたり、脅迫金を要求するようなことが起きたりするんですが、そういったことが一切なかったんですよ。犯人は何のために、NPC田端食品が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤を混入したのか、分からないんですよ。そこで、うちの課の者に訊いてみたら、岡木治彦が株が関係しているんじゃないかと言って、あなたに訊けば分かるかも知れないと教えてくれたんですよ」と言った。
「なるほど。少し調べてみますか」と言って、自分のデスクに向かった。僕も一緒について行った。
「何て言いましたっけ、その株式会社の名前」と安達は訊いた。
「NPC田端食品です」と答えた。
「NPC田端食品ね」と安達は言いながら、パソコンを操作していた。
「二〇**年**月だって言ってましたよね」と安達が訊いた。
「そうです」
「これか」と安達は言って、「画面を見てください」と続けた。
折れ線グラフの画面が見えた。ちょうど、山のように見えた。
「二〇**年初頭の株価は八百円程度だったのが、二ヶ月あまりで五千円にも急騰している。それが**月の初めから下落し出して、その三ヶ月後には五百円にまで下がっている。こうした状態なら、普通はこうしたことは相場操縦的行為として疑われる可能があるんですが、その株式会社の有力商品に覚醒剤が混入していた事実があったとしたら、株価の下落は不思議ではありませんね。しかし、株価がつり上がっているのが、気になる。仮に百万株を八百円で購入して、五千円で売り抜けたとしたら、四十二億の利益が生まれることになる。まぁ、その半分だとしても二十一億です。大変な金額だ。足がつくような脅迫状を出したり、脅迫金を要求するようなことをしなくても、確実に大金を手にできる。しかも、相場操縦的行為として疑われる可能性もなくすことができる。一石二鳥の方法ですね」と安達は言った。
「株を購入したり、売った者は分かりますか」と僕は訊いてみた。
「そりゃ無理ですよ。よほど大口でないと誰にもわかりません。そして、大口だとすると、東証にマークされます。相手はそれほど馬鹿じゃないと思いますよ」と安達は言った。
「あなたはこれを行ったのはどういう人物だと思いますか」と僕は訊いた。
「人物。人物と言うより、暴力団が絡んでいるんじゃないですかね。覚醒剤を混入したんでしょ。暴力団の資金源の一つですよ。そして、暴力団だとすれば、配下の者に分散して、株式を一斉に買わせることができるし、売ることもできる。そうだとすると、相手を特定することはまず不可能です」と答えた。
「そうですか。それじゃあ、完全犯罪だ」と僕は言った。
「そうなりますね」と安達は言った。
「どうも、お手間を取らせました」と言って、僕は安達のデスクを離れ、捜査二課の部屋から出た。
安全防犯対策課に戻って頭を整理した。
安達の言った「暴力団が絡んでいるんじゃないですかね」と言う言葉から、すぐに関友会が浮かび、島村勇二が浮かんだ。島村勇二は、覚醒剤を混入した凉城恵子を高橋丈治に轢き逃げに見せて殺させている。そして、その裏には株で儲けた莫大な金があった。
高橋丈治を見つけて、吐かせることが大切だった。品川署の交通課が高橋丈治を見つけられるかどうかにかかっていた。
そうしていると、電話がかかってきた。
受話器を取ると「品川署の交通課の岸田信子です。安全防犯対策課の鏡課長ですか」と訊いた。
「はい、私です」
「昨日、お電話をいただいた件ですが、青木運送業に電話したら、高橋丈治という人はうちの従業員ではないと言われました。そして、うちでは、青のミニバンは使っていないとも言われました」と言った。
「青木運送業の住所と電話番号を教えてもらえませんか。それと誰と話をされたのですか」と訊いた。
「社長の青木雄蔵さんです。住所は墨田区****で、電話番号は****です」と言った。
「お手数をおかけしました」と言うと、「こちらで調べた結果は確かにお伝えしましたからね」と言って、電話は切れた。
これで、墨田区まで行って、青木運送業の社長、青木雄蔵に会わなければならなくなった。
高橋丈治は従業員名簿から消されて、どこかに匿われている可能性が高い。それを見つけ出せばいい。
お昼になったので、鞄から愛妻弁当と水筒を取り出して、屋上に上がった。
今日は鶏そぼろでハートマークを作っていた。
出産まであと二ヶ月とちょっとだった。
昼食を終えると、緑川に「ちょっと出かけてくる」と言って、安全防犯対策課を出た。
新宿駅まで歩き、両国まで電車に乗った。
青木運送は両国から二十分ほど歩いた所にあった。