小説「僕が、剣道ですか? 5」

二十四

 寝るまでに三局した。さすがに、三局とも僕が負けた。しかし、数目の差だった。寄せで差を逆転されたのだった。

 寄せにも強くならなければならなかった。何事でもそうだが、最後まで気を抜いてはいけないのだ。 

 少しずつ、碁のことが分かってきた。

 

 朝になった。朝餉をとると、きくは白湯を貰いに行った。

 宿賃を払って外に出ると明るかった。今日も良い日だった。

 台車を押して、街道を歩いた。畑や水田が続いていた。

 そこを通り抜けると、稲荷神社が見えてきた。

 すると、定国が唸り出した。神社に公儀隠密が待ち伏せているのだろう。

「風車殿。ここできくとききょうを守っていて貰えませんか」と僕は言った。

 風車は「この先の神社に敵がいるのですね」と言った。

 僕は「ええ」と応えた。

「わかりました。ここにいましょう」

「お願いします」

 そう僕は言うと、境内に向かって階段を駆け上がって行った。

 境内には、五十人ほどの侍たちがいた。

 覆面をしていたから、公儀隠密の者たちに違いなかった。

 ぐるりと見渡した。手練れの者を集めたのだろう。

 静かだが、強い殺気が漂ってくる。

 先頭にいるのが頭だろう。彼らが動き出す前に片づけてしまうのが、得策だった。卑怯だとは思ったが、時を止めた。彼らが刀を抜く前に、定国を抜いて、端から腹を裂いていった。十人ずつ列になっていた。彼らの腹を切り裂くのに、数分とかからなかった。

 最後に頭の腹を刺して、元の位置に戻った。そして、時を動かした。

「おぬしを待って……」いたぞ、と言い終わらぬうちに、頭は膝を落とした。そして、後ろの者たちも腹を抱えて苦しみ出した。

「何ということだ」と頭は言った。

「戦う前から決着はついていたのだよ」と僕は言った。

「こ、これほどまでとは」と言って、頭は息を引き取った。

 他の者たちはまだ苦しがっていた。

 

 その時、定国が唸り出した。境内の下の方からだった。

 僕は境内を駆け下りていった。

 風車やきくとききょうが十人ほどの忍びの者に囲まれていた。

 まだ、斬り合いは始まっていなかった。僕は時を止めた。

 そして、刀を振りかざしている忍びの者たちの腹を定国で切り裂いていき、最後の者の着物で定国の刀を拭った。そして、鞘に収めた。

 時を動かした。刀を振りかざしていた忍びの者たちは、皆崩れ落ちていった。

「これは一体、どうしたことなのだろう」と風車は言った。風車の目の前で、時を止めて僕が敵を斬るのは初めてだったからだ。何が起こったのか、風車には分からなかったのだ。

 きくは僕の方を見た。わたしはわかってますよ、と言うような顔をしていた。

 僕は「さあ、追手が来る前に先を急ぎましょう」と台車を押した。

「ええ、でも不思議だなあ」と風車は言っている。当然だった。だが、説明するわけにはいかなかった。

 

 道すがら、風車はさっきの出来事をどう考えて良いのか、しきりに口にしていた。最後は、「あー、鏡殿が拙者には見えないほどの速さで斬っていったとか」と言った。半分当たっていたが、当人がすぐに「そんなわけないですよね。鏡殿は返り血を浴びていなかったものな」と否定した。時間を止めて、斬っていたので、返り血を浴びずに済んだのだった。それが幸いした。

「あーあ、わからん」

「世の中には、不思議な事ぐらいいくらでもありますよ」と僕は言った。

「そりゃ、そうですが、目の前で起こった事ですよ。それがわからないとなると、何を信じたらいいのか……」と言った。

「確かに、それはそうですね。でも、きっと理由はあるのです」と僕は応えた。

 

 次の宿場が見えてきたので、「あそこに着いたら、昼餉にしましょう」と言った。

 僕は時間を止めて戦っていたので、一刻でも早く休みたかったのだ。

 結局、一番先に目に付いた食事処に入って行った。

 卓に座ると、風車が女将に「何か変わったものでもあるかね」と訊いた。

「太うどんなんかはどうでしょう」と言った。

「太うどん。聞いたことないな」

「そうでしょう。うどんの太いやつです」と女将は応えた。

「だったら、それをもらおう」

 僕はこってりとしたものが食べたかったので、「鰻定食を」と頼んだ。きくは「掛け蕎麦にご飯をお願いします」と言った。

 食事が運ばれてくるまで、まだ風車は神社のことを不思議がっていた。

 僕は、境内にいた者たちのことを思った。

 咄嗟の判断で時間を止めたが、そうでなければ、大変な死闘になっていただろう。あそこにいた者はいずれもかなりの手練れの者たちだったからだ。

 相手も必死なのだ。しかし、これだけ手練れの者を失っていけば、相手の傷もより深くなっていく。江戸に近付けばもっと激しい戦いが待っているだろう。僕はそれを最小限の力ではねのけていくだけだ。

 掛け蕎麦が最初に来た。きくは僕らの食事が運ばれてくるのを待っていたが、僕が「冷めないうちに食べるがいい。ねぇ、風車殿」と言うと「そうですよ」と同意したので、きくは「お先にいただきます」と言って箸を付けた。そして、すぐに匙でご飯に汁をかけたものをききょうに食べさせていた。

 次に鰻定食が来た。僕はお腹が空いていたので、「お先に」と風車に言うと、鰻に箸を付けた。

 最後は、太うどんだった。うどんの器の中に太いうどんが入っているだけだった。

 漬物と味噌汁はついて来たが、それだけだった。

 風車は女将に「これはどうやって食うのだ」と訊いた。

「醤油をかけて食べるんですよ」と女将は言った。

「醤油をかけるだけですか」と風車が訊くので「ええ、そうですよ。それが通の食べ方なんです」と女将は答えた。

 風車はうどんに醤油をかけて、食べ始めた。太いだけあって、噛み切るのが大変そうだった。しかし、すぐに「美味い」と言った。

「これはこれでいける」と言った。

 凄い量が入っているように見えたが、太いうどんが一本ぐるりと回して入っているだけで、風車はすぐに食べ終えてしまった。

「何か物足りないな」と言った次の瞬間、女将を呼んで、僕と同じ鰻定食を頼んだ。

 食事をしている間に、僕の疲労感も薄らいでいった。

 しかし、この先、戦いが続けば今日のように、風車の目の前で時を止めた戦いもしなければならない機会も増えてくるだろう。

 今は怪しんでいるだけの風車もそのうちに気付くことだろう。共に旅をするのは良いが、そういうこともあることを頭の中に入れておかねばならなかった。

 これからは、できる限り、風車の目の前で時を止めるのは止めた方が良いだろう。

 戦いをそのように導かなければならないのが、難しそうに思えた。

 とにかく、しょうがないとき以外は、風車の前で時を止めないこと、そう心に決めた。

 

 そこできくは哺乳瓶に白湯をもらうと、代金を払って出た。

「次の宿場で今日は泊まりましょう」と僕は言った。

「ええ、そうしましょう」と風車も同意した。

 お腹の大きくなってきたきくは、健気にもききょうをおぶって歩いているのだ。あまり負担をかけたくはなかったのだ。