小説「僕が、剣道ですか? 1」

十八

 朝餉の後に道場に行くと、もう人が集まっていた。

 僕が道場に入ると「選抜試験はまだですか」と質問された。

「今しばらく、待て」

 一番年長の者を呼び、「何人ぐらい集まっている」と訊いた。

「二百人ぐらい集まっています」

「昨日の倍じゃないか」

「選抜試験のことを聞きつけて集まったようです」

「そんなに試験が受けたいのか」

「今時、こんな試験をさせてもらえるところはありませんからね。暇を持て余している藩士の子弟なら、道場に入りたいと思うでしょう」

「そういうものなのか」

「そういうものなのです」

「そういえば、そちの名前を訊いていなかったな」

 そう訊くと年長の者は嬉しそうに「相川小次郎と言います」と言った。

 一番年長の者の、次に年長の者が自分も名前を訊かれるものと思って、待っているのが分かった。そうなると、訊かないのも気の毒と思い、「おぬしは」と訊くと、すぐに「佐々木大五郎であります」と言った。

 まだ名乗りたい者は大勢いたが、「済まん。一度には覚えきれない。後にしてくれ」と言った。

「それより、選抜試験を始めよう。相川と佐々木は、試合をする者の組み合わせを決めて、順番に並ばせてくれ。他の者は相川と佐々木を手伝うように」

 おぅ、と言う声がして、それぞれ自分の役目を果たそうとした。

 最初の一組が戦おうとした時、僕は「済まん、戦う作法を教えるのを忘れていた」と言って、いったん中止させた。

「戦う者は少し離れて立ち、一礼する。それから三歩前に出て、構えながら一度腰を落とす。剣先を交え、始めの合図で、立ち上がって戦いを始める。決まり手は」と言いつつ、相川を呼び「そこに木刀を持って立て」と言った。

 相川は言われたように立った。僕は木刀でその手首のあたりを軽く叩いた。

「これが小手だ」

「次に」と言って、今度は少し踏み込んで、喉元を突いた。

「これが突き。木刀だから、本当に突くんじゃないぞ。そんなことをしたら喉が潰れて声が出せなくなる。喉元に木刀が来たら、その者は木刀を降ろすんだ。それで負けを認めよ」

「そして」と言って、さらに踏み込んで、腹を切る真似をした。

「これが胴だ」

「最後は頭。ここを叩くのを面と言う。決まり手はこの四つだ。実戦では足払いも有効だが、選抜試験では、腰から上だけを狙うように。言っておくが、本当に思いきり、叩いたり、突いてはならない。もし、そうしたら、その者は即負けにする。本来は寸止めと言って、叩いたり、突いたりする寸前で木刀を止めるんだが、お前たちにはそれはできまい。だから、軽く当たるのはしょうがない。怪我をさせない程度に戦うんだ。いいか、分かったな」

「はい」と大きな声が返ってきた。

「それでは始めぃ」

 一組が戦うのに五分かかるとして、一時間で十二組しか戦えない。三時間かけても三十六組である。実際には三十組ほどが戦って、午前中は終わった。午後は未(ひつじ)の初刻、今でいう午後一時から開始することとした。

 戦いは一度きりではない。四十人を選抜するまで続けると言ってしまったので、勝ち残った者が四十人になるまで試合は続くことになる。相川に何組できたのかを数えさせると百十七組と言う。とにかく、一度戦わせるのには、今日中には終わらず、明日までかかる。しかし、半数が残るとなると、また六十組ほどの試合をしなければならなくなる。それが終わるのは明後日頃ということか。

 昼餉をとったら、休む間もなく、午後の選抜試験が始まった。

 こうして多くの者たちの戦いぶりを見ていると、溜息が出るほど剣に慣れてないことが分かる。まず、刀の持ち方一つを取ってみても、言いたくなる者が沢山いた。次に構え方だ。これじゃあ、戦えないだろうと思う者が半数はいた。当然、その者たちは負けた。

 江戸時代の侍の子弟なのだから、もう少し剣術に長けていると思っていたが、大間違いだった。誰かに教わらなければ、剣術が上手くなる道理がない。勝ち残った者はここで剣術を磨けるが、負けた者はどうするのだろうか。予備校なんてないしな……と思っていたら、町道場があるんじゃないのか、と思いついた。普通は、町道場で稽古をするよな、と思った。明後日が月替わりで一の日だから、道場は休みになる。その時でも城下町を見物しがてら、町道場に寄ってみようと思った。

 午後も三十組の取組が終わったところで今日の選抜試験を止めにした。これで六十人が勝ち残ったことになる。だが、まだ残り五十七組の選抜試験があり、その勝ち残りの五十七人と今日勝った六十人が戦う。これが四十人になるまで続くのである。先が長い話だと思った。

 

 夕餉に島田源太郎から「選抜試合をさせておるそうじゃな」と訊かれた。選抜試験です、と言い直そうとしたが止めた。試験も試合も同じことではないか。

「はい」と答えた。

「結構なことだ。曾祖父も喜んでおるというものだ」

「そうですか。屋敷の方には迷惑はかけていませんか」

 そう言うと島田源太郎は笑った。

「確かに門番の者は大変な思いをしておるようだが、このような迷惑なら、かけてもらって結構なことだ」

「恐縮しますが、ありがたく、今しばらくご迷惑をかけさせていただきます。数日で、この騒ぎは収まりますから」

「まぁ、気にしないでくれ。ところで門弟は何人にするつもりなんだ」

「百人にしようかと思います」

「結構な数じゃないか」

「はい」

「では看板がいるな」

「えっ、看板ですか」

「そうだ。道場に看板がなくては様にならないだろう」

「そういうものなのですか」

 島田源太郎は笑って、「そういうものだ」と言った。

 そして「貴殿の名字を取って、『鏡道場』というのはどうだ」と言った。

「それはご勘弁ください。当家の名を取って『島田道場』にしてください。お願い申し上げます」

 島田源太郎は笑って、「本当に欲のない奴だな。わかった、わかった。『島田道場』にしよう」と言った。僕はホッとした。まかり間違っても、後世に『鏡道場』なんて名が残ることは避けたかった。

 

 風呂で背中を流しながら、きくが「今日も大変でしたね」と言った。

「今日もじゃなく、明日も大変なんだよ」と僕は言った。