小説「真理の微笑 真理子編」

六十一

 九月も終わろうとしていたその日、真理子は朝食にパンケーキを焼いていた。

 赤ちゃんは高瀬の車椅子の隣で、ゆりかごの中で眠っていた。

 高瀬は新聞紙を熱心に読んでいた。

 パンケーキが焼けると、真理子は微笑みながら、「あなたぁ、焼けたわよ」と高瀬に言った。しかし、高瀬の目はどこか虚ろだった。

 バターを添えたパンケーキの皿とメープルシロップの瓶を高瀬の前に置きながら、新聞紙を片付けた真理子は、高瀬とパンケーキを食べた。

「おいしい」と訊いても、普段は答える高瀬なのに、今日の高瀬はどこか上の空だった。

 赤ちゃんができてから、高瀬を会社に送り迎えできなくなった真理子は、介護タクシーを呼んで、高瀬を見送った。

 家に入った真理子は二階に上がっていき、新聞紙をダイニングテーブルに広げた。そして、一面から見ていった。高瀬はこの新聞の何かの記事を読んで気にかけたのだ。真理子はその記事を探した。すると後ろの方の面に、六月に甲信越で続いた長雨のために山崩れが起き、蓼科のあたりをハイキング中の男性が、山道から外れた所で、半ば白骨化した死体を発見したという記事が、小さく載っていた。蓼科という地名に、これだ、と真理子は思った。そして、半ば白骨化した死体が発見されたという内容に、高瀬は震撼したのだ、と思った。

 真理子は考えた。高瀬が富岡でないことはわかっている。としたら、富岡は何処にいるのか。それは考えなくてもわかることだった。死んでいる。おそらく、壊された別荘で殺されたのだろう。その後、富岡の車で死体を運び、蓼科のどこかに埋めたのに違いない。それが、六月の豪雨で流され、昨日、ハイキング中の男性に発見されたのだろう。半ば白骨化した死体が富岡であるとわかれば、高瀬に嫌疑がかかることは火を見るより明らかだった。真理子もこの記事を読んで落ち込んだ。

 しかし、夕刊を読んで真理子は安心した。死体の身元がわかったのだ。所持品から六十三歳の****という人であることが書かれていた。

 高瀬が帰ってきたら、早く夕刊を渡そうと真理子は思った。