小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十四

 僕が歩いて西新宿署から自宅に帰ったのは、午後七時頃だった。

 きくとききょうと京一郎が玄関で出迎えてくれた。

 僕はホッとした。この一日の嫌な思いが消える気がした。

 すぐに風呂に入ることにした。京一郎が一緒に風呂についてきた。

 京一郎が自分で躰を洗うのを見てから、僕も躰と頭を洗うと、髭を剃った。そして、風呂の湯で流すと、浴槽に浸かった。京一郎は、百まで数えて、シャワーを浴びて、浴室から出て行った。

 京一郎が出て行くと、僕はゆっくりと湯に浸かった。

 第四の犯行が頭に浮かんできた。

 北府中市の南椿ヶ丘公園で、八月二日水曜日に起きた絞殺事件だった。被害者は、渋谷恵子、三十二歳、OLだった。やはり、帰宅途中での犯行だった。

 芦田は、七月三十一日月曜日、北府中駅から椿ヶ丘駅に向かう途中で、渋谷に会った。北府中市に来て、最初に起こした絞殺から三ヶ月ほどが経っていた。初めて、渋谷恵子に会ったのは、午後七時まで会社で働き、駅近くの居酒屋で同僚と軽く飲んだ帰りだった。

 北府中駅に着いたのは、午後八時四十五分だった。そして新宿から八時五十分に来た電車に乗り、その電車が椿ヶ丘駅に着いたのは、午後九時だった。その同じ電車に渋谷恵子は乗っていたのだ。

 見た瞬間から、継母と重なった。そして、絞殺したいという思いが込み上げてきた。

 渋谷も椿ヶ丘駅で降りた。その渋谷の後をつけた。渋谷も携帯を見ていた。今は、誰しもが携帯を見ている。渋谷は、通りを歩きながら、椿ヶ丘駅から歩いて十五分ほどの所にある南椿ヶ丘公園に入って行った。その公園は少し大きかった。十分ほど歩いて、住宅街に出た。そこからさらに五、六分ほど歩いた所が、渋谷が住むアパートだった。渋谷は外階段で二階に上がっていった。二〇二号室が渋谷の部屋だった。

 表札には、渋谷恵子と書かれていた。一人暮らしだった。

 芦田は水沢のときと同じように、明日も会うようだったら、水曜日に犯行を決行しようと思った。すでにペニスは立っていた。次の獲物が見つかったのだ。

 翌日、退社後、あえて時間を潰して、北府中駅から八時五十分に来た電車に乗った。昨日と同じ位置に止まった車両に乗り込んだ。果たして、渋谷恵子はいた。スラックスの中でペニスが勃起するのが分かった。携帯に夢中になっている渋谷の横顔を見ながら、この場でオナニーをしたくなった。しかし、当然そんなことはできなかった。

 渋谷が午後九時に椿ヶ丘駅に降りた。そして携帯を見ながら、南椿ヶ丘公園に向かって歩いて行った。アパートに帰り着くのを見届けてから、南椿ヶ丘公園で犯行場所を決めた。南椿ヶ丘公園で通路に木立が近い所は二箇所あった。そのどちらがいいのか迷った。結局、自転車を止めやすい方を選んだ。その方が犯行が楽だったからだ。

 明日、やってやると心に誓った。もう、ほとんど、女を犯すのと同じ感覚だった。ただ、違うのは絞殺することだけだった。二度と女は生き返らない。これほど完全な女の手に入れ方があるだろうか。芦田は得意になった。

 明日、あの女も手に入れてやる。

 そして、水曜日が来た。

 出社したときから退社後が待ち遠しかった。何度も渋谷恵子の顔を思い浮かべた。その白い首も。その首にロープを巻き付けるのだ。その瞬間が堪らなかった。考えているだけでゾクゾクしてくる。

 ようやく退社時間になった。今日は早く帰って準備をしなければならなかった。

 退社後、すぐに北府中駅で電車に乗って、椿ヶ丘駅で降りた。渋谷恵子を殺す用意をするためだった。

 部屋に入ると、ズボンとパンツを脱ぎ、紙おむつを穿いた。射精に備えてだった。その上にスラックスを穿いた。長袖のシャツを着て、小さなショルダーバッグを取り出し、目出し帽とハンカチとロープを入れ、肩から袈裟懸けにかけた。手には皮手袋をし、前回の犯行後、洗って乾かした運動靴も履いた。準備は整った。もう一度、忘れたものはないか点検した。なかった。

 部屋を出ると、駐輪場に下りて行った。自転車を出して、椿ヶ丘駅に向かった。椿ヶ丘駅には、午後八時五十分に着いた。十分前に来るのが、芦田の癖になった。余裕を持ちたかったのと、同時に、その待つ時間を楽しみたかった。後十分で、渋谷に会える。そう思うと、躰がゾクゾクとした。ペニスは立っていて、先走りが滲み出していた。

 午後九時になった。電車が到着して、駅から人が出て来た。芦田は渋谷恵子を捜した。そして、渋谷を見付けた。獲物が目の前にいる。躰を稲妻が走った。

 自転車に乗って渋谷をつけた。渋谷は携帯に気を取られていた。

 水沢のときと同じように、別の通りを通って、先回りをし、渋谷が来るのを確認してから、先の通りに進んだ。そうして、渋谷が公園に向かうのを確かめると、別の道に向かった。先に公園に行って、待ち伏せするためだった。

 別の入口で自転車を降り、小さなショルダーバッグから目出し帽とハンカチとロープを取り出し、小さなショルダーバッグは自転車の前籠に入れた。

 公園の中に入った。手にしていた目出し帽を被った。そして、ハンカチを右手にロープを左手に持った。

 木の陰で渋谷が来るのを待った。しばらくすると、向こうから女性が歩いてきた。街路灯の明かりで、それが渋谷だと分かった。

 芦田の横を渋谷が通り過ぎようとした時、芦田は飛び出し、渋谷の口をハンカチで押さえた。躰が興奮で震えた。もがく渋谷が手の中にいた。それから、左手でロープを首に巻いた。やった、と思った。それから締め上げる時が、快感の絶頂期だった。右手のハンカチをスラックスのポケットに入れ、両手でロープを掴んだ。渋谷は足をバタバタとさせた。そして、涙目を向けてきた。芦田は興奮した。渋谷を締め上げながら、射精をした。長い射精だった。それでもペニスは衰えなかった。

 芦田は目出し帽越しに渋谷の髪の匂いを嗅いだ。いい香りがした。渋谷をさらに木陰に引きずり込むと、息の根を止めるべく首を締め上げた。渋谷が芦田を見た。そして、目から力が無くなっていった。この時、また射精をした。また一人、永遠に女を手に入れた。その思いが躰を駆け巡った。もう一度、締め上げ、同時に射精をした。

 渋谷が死んだことを確認してから、ロープを外した。

 遺体を置き去りにすると、芦田はその場を離れた。公園の入口近くまで来て、目出し帽をしていることに気付き脱いだ。目出し帽とスラックスに入れていたハンカチとロープを自転車の前籠の小さなショルダーバッグの中に入れた。

 それから、芦田は自転車に乗った。夜風が気持ちよかった。芦田の心は満足感でいっぱいだった。

 

 きくの「あなた」と言う声がした。

「ああ、済まない。少しうとうとしてしまった」と僕は嘘を言った。

「あまりの長風呂だったので、心配しましたよ」

「悪かった。今度からは気をつけるよ」と言った。

 風呂から出ると、夕食だった。今日はミートスパゲティだった。子どもたちの大好物だった。

「いただきます」と言った後、子どもたちはフォークを皿に入れた。

 僕は、きくにビールをコップに注いでもらった。

 その時には、もう次の被害者のことが頭に浮かんできていた。

 次の被害者は、川村康子、二十六歳。パートタイマーだった。二年前の十二月二十日水曜日に事件は起きた。犯行現場は、椿ヶ丘駅から歩いて十五分ほどの所にある東椿ヶ丘公園だった。今までと同じように、犯行現場はやはり公園だったのだ。

 芦田は二年前の十二月十八日月曜日、午後七時四十分に会社を出た。それから、駅前の定食屋で焼き肉定食を食べた。そして、新宿から来た電車に乗った。それが午後八時二十分頃だった。座っていると、少し斜め横に立っている女がいた。それが川村康子だった。良い女だというのが芦田の第一印象だった。やはり、継母とどこか似ていた。

 前回の犯行から半年近く経っている。この間にも、狙いをつけた女は二人いた。しかし、つけて行って、自宅を突き止めておきながら、次に会うことがなかったり、襲う機会が無かったりした。あくまでも、公園で襲うのが確実だった。

 川村は午後八時半に椿ヶ丘駅で降りた。それから、駅前のスーパーで簡単な買物をして、人通りの多い通りを歩いた。十分も歩いて行くと、人の数が急に少なくなった。角のコンビニの先は公園まで一本道だった。

 川村も携帯に気を取られていた。芦田がつけて来ることに気付かなかった。そして、公園に入っていた。人気は無かった。しかし、川村は慣れているようで、不安がる様子は見られなかった。相変わらず携帯を見ていた。

 通路に近い木陰は三箇所にあった。柵を乗り越えられるか、別の入口があるのかは後で確認すれば良かった。今は川村康子の追跡が大切だった。

 川村は公園を抜けると、住宅街に入り、五分ほど歩いた所の一軒家に入った。家族と住んでいるようだった。

 それが分かると、公園に戻った。三箇所の木陰の周りを探った。一番、通りから近いのは奥の木陰だった。その通りは人通りがなかった。跨いで越えられる柵があるだけだった。ここに自転車を止めて、被害者を待つ。何かあれば、すぐに自転車で逃げられた。他の二箇所は通りから遠かった。そこでも、できるだけ木陰に引きずり込めば、人目につかないと言えば言えたが、何かあった場合に、逃げるのは難しそうだった。芦田はそれほど足は速くはなかった。一番、通りから近い奥の木陰を犯行場所に、芦田は決めた。

 

「あなた」ときくが言った。

 僕はビールを飲み干し、空のコップを口につけていた。

「すまん、すまん」と言った。

「事件のことが気になるのね」と言いつつ、空になったコップにきくはビールを注いでくれた。