小説「僕が、剣道ですか? 1」

十九-2

 その時だった。
「待ってください」と言うたえの声が玄関から聞こえて来た。しかし、その声は「ああ」と言う押し倒されたような声に変わった。
 間もなく、玄関を上る音がして、襖が開かれた。
「客人が来ている。控えてもらおう」
 堤はそう言った。
「そうはいくか。今日は、金を耳を揃えて払ってもらうからな」とその者は言った。
 僕は振り向いた。
 厳つい顔の男が、見えるだけで用心棒を二人付けてやってきていた。外にまだいるかも知れなかった。
「もう少し待ってもらえぬか」
「先月もそう言っていたよな。もう待てねぇ。返せないとなれば娘を連れて行く」
「必ず返す。今は待ってくれ」
「だから、もう待てないと言っているだろう。娘は連れて行く」
「力ずくでも渡さん」
「この前は、二人で来て失敗したが、今度はそうはいかん。前の者たちよりも腕の立つ者を五人集めたからな。いくら先生が強くても五人相手では歯が立たないだろうぜ」
 厳つい顔をした者は、薄ら笑った。
 僕は聞いているうちに腹が立ってきた。
「待て」
「なんだ、若造が」
「五人相手で歯が立たないかどうか、やってみようか」
「なんだと。小僧だと思っていれば、洒落た口を叩きやがって」
「まあ、軽く運動をする前に借りた金子を聞いておこうか」
「五両だ」
「そんな馬鹿な。借りたのは二両だ」
 堤がそう怒鳴った。
「金には利息というものが付くのはご存知でしょう。それにこうして取り立てに来れば、それなりにこれらの者にも支払わなければならない。いわば取立て代も含んでるんですよ」
 僕は「分かった。この者たちにも取立て代は払われるんだな。それなら働いてもらわないと困るよな」と言った。
 僕は右に置いた刀を左の帯に差した。
「やると言うのか。若造が」
「その若造と言うのは、止めてもらえないかな。こっちの怒りを買うだけだぞ」
 相川はおろおろしていた。
「お前はここに座っていろ」
 僕は玄関に出て、草履を履いた。
 二人がたえを掴んでいた。
「娘を離せ」
「そうはいくか。金を払うまでは娘は人質だ」
「そうか。後悔しても知らんぞ」
「何を言ってやがる。こっちは五人なんだぞ」
「それがどうした」
「五人だと言っているんだ」と厳つい顔をした男が言い終わらぬうちに、たえを掴んでいた男二人が腕をだらんと下げ、帯を切られて前がはだけていた。
「な、何をしたんだ」
「見えなかったろう。峰打ちさ。骨までは折っていないから、今は痺れているだけだ」
 僕は相手に見えるように、刀を鞘に収めた。
「これが居合い抜だ。刀を鞘から抜きざま、相手を切る戦法だ」
 厳つい男は腰を抜かしていた。
「さあ、後の三人は私とやり合いたいかな。今度は峰打ちでは済まないかも知れないよ」
 用心棒の三人はすっかり怖じ気づいていた。
 僕は尻餅をついている厳つい男の前にかがみ込むと、彼は斬られると思ったのか目を閉じた。
「斬りはしないよ。それじゃあ、こっちの首が飛ぶ」
 厳つい顔の男は、恐る恐る目を開けた。
「手を出しな」
 男は手の甲を向けて差し出してきた。
「そうじゃない。こうだ」と手の平を上向きにした。
 僕は巾着を開けて、彼の手の平に小判を五枚載せた。
「これで借金はなくなったよな」
 男は頷いた。
 相川が「先生、証文を」と言った。
 そうか、証文を取り返さないとまたやってくる恐れがあるな、と思った。
「証文は持ってきたんだろうな」
 厳つい顔の男は頷いた。そして金を懐に入れると、代わりに証文を取り出した。
 僕はそれを受け取ると、堤に渡して「確かに、証文ですか」と訊いた。
「確かに」と堤は答えた。
「じゃあ、これで貸し借りはなしだ。そうだな」
「はい」
「うせろ」
 厳つい顔の男と用心棒たちは、逃げるように門から出て行った。
 彼らがいなくなると、堤は玄関で手を突いて頭を下げた。
「娘が危ないところをお助け頂き、かたじけのうござる」
「なんの、大したことではありません」
「このまま、お返しするわけにはいきません。どうか、もう一度座敷に」
「いやいや、お気遣いなく」
「せめて夕餉でも」
「夕餉はもう先約がありますので」
「だったら、お茶をもう一杯でも」
 僕は仕方ないと思って、草履を脱ぎ、玄関を上がった。刀は帯から抜いて右側に置いた。
 しばらくして、たえがお茶を運んできた。そして、茶碗を置くと、両手を突いて「危ないところをありがとうございました」と言った。
「怪我がなくて良かったですね」
 そう言うと、たえは僕の方を見て、「あなた様に助けて頂きましたもの」と言った。
「助けるだなんて、大袈裟な」
 たえは、ぽっと顔を赤らめて「失礼します」と下がっていった。
「鏡殿。これでも私は武士でござる。施しを受けるわけにはいかないので、少しずつでも返済したいのですが、どこにお住みですか」
 僕は困った。相川の顔を見た。代わりに答えてくれ、と目で合図した。
 相川は「先生は、家老の屋敷に逗留しています」と答えた。
「家老というと島田様の屋敷ですか」
「そうです」
「えっ、ということは、あなたが盗賊を成敗したというお方ですか」
「そうです」と相川が答えた。
「道理で、私にもあの二人をどう倒したのか見えませんでした」
 僕は答えようがなかった。
 結局、相川に話は任せて、僕は黙ったまま茶を飲み干すと、おいとまをした。
 帰り道、相川が「やはり先生は凄いですね。一瞬にしてあの二人をやっつけたんだから」と言った。
「今日のは、内緒だぞ」
「いいえ、これを話さなくて何を話すと言うのですか」
 ああ、と僕は溜息をついた。

 屋敷に戻り、すぐに座敷に向かった。きくが来るのを待って、二つの櫛を渡した。
 一つはすぐに頭に差してみたが、もう一つの方は手にしたままだった。
「こんな高価なものを」と言ったきり、黙ってしまった。僕はその櫛を手に取ると、今している櫛を抜き、その櫛をきくの頭に差した。
「似合っているよ」
「でも、普段は使えません」と言った。
「この部屋に入ってきた時だけ使えばいいだろう」と言うと、嬉しそうにしていた。