二十四
安全防犯対策課に戻ると、緑川が防犯安全キャンペーンのキャラクター募集のチラシ原稿を持ってきた。
それを見て、僕は「ああ、これでいい」と言った。
「じゃあ、これをプリンタで印刷して配りますね」と緑川は言った。
「そうしてくれ」と言った。
そこに携帯に電話がかかってきた。履歴を見ると、何度も携帯に電話をもらっていることが分かった。
「鏡です」
「岸田です。お忙しいところをお電話して済みません。でも、朝刊を読んでいたら、鏡さんのことだとわかったものですから、お電話しました」と岸田は言った。
「そうですか。確かに狙撃されそうになったのは私です」と言った。
「島村勇二が糸を引いているんでしょうか」と言った。
「そう思います」と答えた。
「島村勇二は全国手配になりましたから、この間頂いたリストの方も捜査令状が下りると思います。島村勇二が早く捕まるといいですね」と言った。
「ええ、そう願っています」と応えた。
「元気そうで良かったです」と岸田は言った。
「これくらいじゃ、へこたれませんよ」と僕は言った。
「頼もしいですね。では、これで失礼します」と言って、電話は切れた。
岸田信子の電話は何だっんだろう、と一瞬思った。
そこに、鈴木がやって来て、「ポスターはこれでいきますからね」と言って、A3判のポスターを見せた。
「これをプリンタで印刷して何箇所かに貼ります」と言った。
「それはいいが、ちゃんと許可を取って貼らせてもらえ」と言った。
「もちろんです」と鈴木は言った。
そうしているうちにお昼になったので、鞄から愛妻弁当と水筒を取り出すと屋上のベンチに行った。
弁当の蓋を開けようとしていると、「いつもここで食べていらしゃるんですね」と並木京子が声をかけてきた。僕は慌てて蓋を閉じた。
「あっちでみんなと食べませんか」と並木は、女子ばかりが座っているベンチを指さした。
「ありがたいけれど、一人で食べるのが好きなんだ」と言った。
「そうですか。じゃあ、ご無理は言いません」と並木は離れていった。
弁当を開けると、どでかいハートマークの卵焼きがチキンライスの上に載っていた。しかも、ケチャップでハートマークが二重に書かれていた。
僕は並木に見られなくて良かったと思った。
昼食を食べると、西森から電話がかかってきた。
「今、いいですか」
「ええ」
「重森昭夫があなたに会いたいって言っているんですよ」と言った。
「まだ、病院にいるはずじゃないんですか」
「ええ、警察病院にいます」
「もう、審問しているんですか」と僕は言った。
「そういったところです」と西森は言った。
「こっちに来てもらえますか」と続けた。
「構いませんが」と言うと、「パトカーを使って来てください」と言った。
「分かりました」と言って、電話を切った。
安全防犯対策課を出ると、パトカーで警察病院まで行った。
受付で、重森昭夫の病室を尋ねた。三〇三号室だった。
エレベーターで三階に上がり、三〇三号室のドアをノックした。西森がドアを開けた。
もう一人刑事がいた。
「村瀬康雄と言います」とその刑事は言った。
西森が「重森があなたに訊きたいことがあるって言ってしょうがないんですよ」と言った。
「分かりました」と僕は言った。
村瀬のベッドサイドに丸椅子を持っていって座った。
「私に訊きたいことがあるって言うから、来たんだ。それは何だ」と言った。
「あっ、こいつだ。俺が狙っていた奴だ」と重森は言った。
村瀬はメモを取っていた。
「そうだ。お前の標的だ」と僕は言った。
「そうなんだ。俺は確かに照準をこいつの頭に向けていた」と重森は言った。
「そうだろうな。それは感じたよ」と僕は言った。
「感じた? 三百メートルも離れているのに」と重森は言った。
「そういう勘は、私は強いんだ」と僕は言った。
「確かに照準を合わせていて、後は引き金を引くだけだったんだ」と重森は言った。
「だから、身を隠して、お前のいる建物まで走ったんだ」と僕は言った。
「そんなはずはない。そんなに時間的余裕はなかったはずだ」と重森は言った。
「そう思っているだけだ。私を見失って気が動転していたんだ」と僕は言った。
「そんなことはない。お前を見失ったりはしていなかった」と重森は言った。
「そう思い込んでいるだけなんだよ」と僕は言った。
「いや、そんなはずはない。確かに照準に捉えていたんだ」と重森は言った。
「だったら、どうしてここにいるんだ」と僕は言った。
「だから、それがわからないんだ」と重森は言った。
「三百メートルなら、一分もかからず走れる。階段を駆け上がるにしても五階だから三分もあれば上れる。つまり、四分もあればお前の所に行けたんだ」と僕は言った。
「四分は長い時間だ。そんなにお前を見失ったりはしなかった」と重森は言った。
「そう思っているだけだ」と僕は言った。
「そんなことはない」と重森は言った。
「だったら、どうして両腕、両足を折られているんだ。私が屋上に上がったからだ。その時はまだお前は、私に気付いていなかった。腕を折った時にお前は気絶した。それからのことは覚えていないのは当然だ」と言った。
「いやいや、どう考えてもおかしい。見失ってはいなかったし、仮に見失っても四分も見失うことはない。そんなことをすれば、相手にもう一度照準を合わせ直さなければならない。そんなことはしなかった」と重森は言った。
「じゃあ、どうして、両腕、両足の骨を折られたんだ。その時間があったからだろう」と僕は言った。
「そこがわからないから、訊いているんだ。俺には不思議でしょうがない」と重森は言った。
「不思議でも現実はこうなんだから、受け入れるんだな」と僕は言った。
「それが受け入れられないから訊いているんだよ」と重森は言った。
「もう、話すことはない。両腕、両足の骨を折られた時に、あまりの苦痛に意識が飛んだんだ。忘れたものを思い出そうとしても無理な話だ」と僕は言った。
「確かに気絶したが、その直前までは覚えている。突然、お前が現れたんだ」と重森は言った。
「堂々巡りだな。突然、人間は現れたりはしないよ。お前の思い違いだ。記憶が前後しているんだ」と僕は言った。
「そんな馬鹿な」と重森は言った。
「訊きたいことはそれだけか」と僕は言った。
「ああ、そうだ」と重森は言った。
「じゃあ、帰るぞ」と僕は言った。
「でも、俺は確かに照準を合わせていたんだ」と重森は最後に言った。
「養生しろよ」と言って、僕は病室を出た。
西森も病室から出て来た。
「彼は意識が混乱している」と僕は言った。
西森は「そのようですね」と言った。
「でも、あなたを狙ったことははっきり証言したんだから、それでわたしたちとしては、十分ですよ」と続けた。
「それまでは、あんなふうには話していなかったんですか」と西森に訊いた。
「ええ。完全黙秘していました。ただ、あなたに会わせろ、としか言いませんでした」と西森は言った。
「だったら、ちゃんと証言が取れたということになりますね」と僕は言った。
「ええ、そうです。助かりました。これで調書は進みます」と西森は言った。
「そうですか。じゃあ、私は帰ります」と言って、西森と別れた。
そして、パトカーで黒金署まで送ってもらった。