小説「僕が、剣道ですか? 7」

二十二
 一ヶ月が経ち、期末試験が迫っていた。

 その間、小児科医院にも行った。
 試験が終われば、夏休みになる。夏休みには、インターハイがある。今度は全国の強豪が集まる。楽しみだった。
 だが、僕は部活はやっていなかった。監督は何も言わなかった。
 バックネットの裏から絵理の走る姿を時々見た。
 一度、走り寄って来て、「沙由理さんと別れたそうね」と言った。
 よく知っているな、と思ったが、富樫が情報源か、とすぐに思った。
「で、付き合ってくれる」と僕が訊くと、「不純異性交遊した人とは、付き合いません」ときっぱりと断られた。
 これも天罰だと思って諦めた。

 期末試験が終わった。僕は安全圏にいられた。
 放課後、沙由理がやってきた。
「どうしたんだ」と訊くと、「いい男はいないわね」と答えた。
「そうか。残念だったな」と言うと、「あのきくという子は彼女じゃないんでしょう」と訊いてきた。
「彼女じゃないよ」
「だったら、わたしが彼女になってあげる」と言った。
「どういう風の吹き回しなんだよ」と言うと、「あなたに釣り合う男がいないのよ」と沙由理は言った。
 そして、「何でも一度いいものを見てしまうと、ランクを落とせないものよね」と続けた。
「あのなぁ、こっちにも選ぶ権利はあるんだけれど」と言うと「絵理ちゃんでしょう」と言われた。
「でも、断られたのよね。あの子、潔癖だから」と沙由理は言った。
「どうしてそれを知っているの」と言うと、「富樫君に話したの、忘れているの」と訊かれた。そんなことまで話していたっけ、と思ったが、絵理のことは話していたような気がする。
「富樫君もきくって子のことは、従妹としか聞いていないようね」と言った。
「だから、そう言っているだろう」
「まぁ、いいわ。まだ中学生でしょう。あの年頃だから、ああ言っているだけだと思うことにしたの」と沙由理は言った。
「それを同じレベルでやり合うなんて馬鹿よね、わたしも」と続けた。
 その時、富樫が来た。
「捜してたんだぞ」と言った。
 それを機に沙由理は去って行った。
「また、よりを戻したのか」と訊かれたので、頷いた。
「それより、部室に来い。去年のインターハイの覇者、倉持喜一郎のビデオを見せるから」と言った。
「そんなの見なくてもいいよ」と言ったが、富樫に強引に部室に連れて行かれた。

 部室にはテレビの前に部員が座って、ビデオを見ていた。
 僕が入って行くと、富樫は「倉持喜一郎のビデオを京介に見せたいのでいいですか」と訊いた。
「いいよ」と監督が言うと、ディスクを交換した。そして、倉持喜一郎のビデオを流した。準決勝と決勝戦の二試合だった。

 見ていると、普通に倉持喜一郎が、小手や胴を取っているように見える。しかし、僕は違和感を覚えた。決勝戦は何度か止めて、コマ送りでも見た。その違和感ははっきりとした。倉持喜一郎は時間を止めている、と思った。根来三兄弟(「僕が、剣道ですか? 5」参照)と同じ力を持っているのだ。
 小手の場面をコマ送りすると分かる。竹刀がその一コマ前までよりも伸びていた。ほんのコンマ何秒かの時を止めているのだろう。しかし、それで剣道は勝負がつく。
 面白い相手だと思った。
 自分以外にも時を止められる能力を持った者がいる。それは当然だろうと思えた。しかし、同じ能力を持っているのであれば、技量の差が大きい。その点では、僕に勝ち目はないかも知れなかった。真剣勝負なら僕に勝ち目はあるだろう。しかし、競技剣道でなら、相手の方が技量が上だと考えるのが普通だ。練習量が桁違いのはずだからだ。僕は普段から部活にも出ていない。
 倉持喜一郎か。難敵だった。

「なっ、ビデオ見ておいてよかったろ」と富樫が肩を抱いて言った。
「そうだな」と僕は言った。
「倉持喜一郎は絶対王者と言われているんだ。高校一年から今年で三年になるんだが、それまで一度も負けたことがない。付属の大学にも出稽古に行っているようだが、彼に勝てる者がいないそうだ」と言った。
「そうだろうな」と僕は言った。
 あのように時間を止められては、大学生だろうが、社会人だろうが、勝てる訳がない。この先、彼を止められるのは、僕だけかも知れなかった。

 家に帰った。
 きくは僕を出迎えるとキッチンに行った。夕食の手伝いをしているのだろう。
 僕は制服を脱ぐと、スウェットに着替えた。
 そして、ベッドに寝転がった。
 時が止まっている中で、小手の打ち合いになるとする。そうしたら、相手の方が上手だろう。
 すうっと竹刀が伸びてきて、僕の小手を叩く瞬間が見える気がした。
 だが、定国がその小手を弾き返したらどうだろう。相手の小手はがら空きになる。そこを僕が小手に取る。
 もし、時を止める能力が同じだったら、そうかも知れないが、相手が上だったらどうだろう。今日のビデオではコンマ何秒かの世界だった。長時間なら、僕には自信があるが、短時間だとどうなのかは、分からない。相手は短時間の時間止めに慣れていることは間違いない。それもやっかいな問題だった。