小説「僕が、剣道ですか? 6」

十八
 船着場に行き、船賃を払い、他の客と一緒に舟に乗った。
 向岸に着くと舟を降り、川岸に上がった。
 川の向こうは浅草だった。
 吉原は浅草寺の裏手にあった。粋な旦那衆に会った。
 僕は門を潜り、高木屋を探した。見付けると、中に入った。女将が出て来て、上がるように勧めたので、遊びに来たのではないことを告げた。
「どういうことなのです」と訊かれたので、「風車大五郎殿はおられますか」と訊き返した。
「ええ」と言うので、事の次第を話して、いくら借金があるのか訊いた。五両を少し欠ける額だった。その借金を払うと、女将は笑顔になり、風車の居所を教えてくれた。
 裏手で風呂焚きをしているようだった。
 僕は案内されて、風車に会った。
 風車はばつの悪そうな顔をしていた。しかし、「これはこれで楽しいですぞ」とも言った。
 風車に「財布は持っているのですか」と訊くと、懐から財布を出した。中は空だった。
 僕は風車に十両を渡した。
「面目もありません。これは後でお返しします」と風車は言った。
「そんなことは気にしないでいいですよ」と僕は言った。
「そうはいきませんよ」と言って、早速、借金を帰そうと店に向かおうとしたが、僕が止めた。
「借金は払っておきましたから」と言った。
「それじゃあ」と言いかけた風車に、僕は「こんな所で仕事していないで、今日も遊んできたらどうですか」と言った。
 そう言うと何とも言えない嬉しそうな顔をした。
「いいんですか」と言うから、「顔に書いてありますよ」と僕は応えた。
 風車は慌てて顔をこすった。
「きくには、今日も風車殿の分はいらないと伝えておきます」と言った。
「そうですか」と言う風車の腰は、もう浮いていた。
「くれぐれも、もうお金をすられないように」と言うと、「わかってます。こりごりです」と言った。

 風車と別れて、吉原を出ると、船着き場に向かった。
 家に帰ると、風呂を焚く時間を過ぎていた。
 きくが「風車殿はどうされてましたか」と訊かれたが、「夕餉の時に話す。風車殿の分はいらないよ」と言って、湯船に水を汲み、火をつけた。どうしたわけか、今回は上手く火をつけられた。やはり、コツがあったのだ。
 風呂に火をつけると、庖厨ではきくが夕餉の支度をしていたので、ききょうを捜した。ききょうは、寝室で掛け布団をはだけて、眠っていた。
 その隣に僕は横たわった。ききょうのほっぺたをつついたりしていた。そのうち、僕も眠ってしまった。

「夕餉ですよ」ときくに起こされた。ききょうも起きた。
 ききょうを抱いて、居間に向かった。
 きくがご飯をよそいながら、「風車殿はどうされたのですか」と訊いた。きくからご飯をもらうと、懐に風車の手紙をまだ持っていることに気付いて、それをきくに渡した。きくはそれをいったん受け取ったが、すぐに返して「済みません。わたしは文字は読めないんです」と言った。
「そうか」と言うと、手紙の内容を読んで聞かせた。猫小判のところでは、きくは笑い声を上げた。でも、すぐに笑うのを止めて、「それでは京介様は吉原に行ったのですか」と言った。
「行かなければ、風車殿にお金を渡せないだろう」と応えた。
「そうですけれど」ときくの言葉は歯切れが悪い。
「わたしは吉原には興味はないよ」と言った。仮に興味を持ったとしても、性病にはかかりたくはなかった。
 僕がそう言うと、きくは安心したような顔をした。
「手紙の内容はわかりました。それでどうされたのですか」と訊いた。僕は吉原に行って、どうしたのか、風車がどんな風だったのかを話した。
 きくは可笑しそうに聞いていた。
「風車殿らしゅうございますね」と言った。
「そうだな」

 夕餉が終わると、僕は風呂に入るのを忘れていたことを思い出した。風呂は焚きっぱなしだった。
 風呂は水を入れなければ入れないほど熱くなっていた。
「先に洗い物をすればいい」と僕は言った。
「そうですね」ときくは言い、盥を出してきて、風呂の湯を汲んで、洗い物をそこに入れた。水で冷まして何度も洗った。
 洗った物は僕が干し竿に干した。
 おむつは最後に洗った。それも干した。
「今日は久しぶりに一緒に入ろう」ときくに言った。
 きくは嬉しそうな顔を見せた。
 風呂では、僕が水鉄砲をして見せると、ききょうがとても喜んだ。きくも真似てみたが、僕のようには上手くできなかった。手の平が小さかったからだ。

 風呂から上がり、布団に転がった。ききょうを両手、両足で持ち上げた。
「ぶーん。飛行機だ」と言ったが、この時代にはなかったことを忘れていた。
 でも、ききょうは喜んだ。
 きくも甘えてきた。そんなきくを、ききょうを降ろして、抱き締めた。口づけをした。お腹は膨らんでいたが、足をこすりつけてきた。その足を絡めた。
 久しぶりに、きくの中に入った。
 きくは濡れた手拭いを持ってきて拭いた。手拭いを片付けると、抱きついてきた。
「きくはどこまでも一緒ですからね」と言った。

 夜半になった。きくはよく眠っていた。
 時を止めた。
 奥座敷に行くと女が畳に座っていた。
「どうしたんだ」と僕が言うと、「今日はおきく様とされたんですね」と言った。
「当然ではないか。それがどうしたと言うのだ」と僕は言い返した。
「霊には心がないとお思いなのですか」と女は言った。
「そんなことは……」と言いかけて、考えていなかった、とは言えなかった。
 女は僕に抱きついてきて、口づけをした。そして、僕の一物を頬張って立たせると、躰の中に入れた。
「こんなにも、あなたが恋しいのに」と女は言った。そして、僕の頬に涙が伝わった。
 女との交わりはそれだけだった。終わると、女は消えた。

 僕は寝室に戻ると、時を動かした。それほど疲れてはいなかった。しかし、眠気はすぐに襲ってきた。

 朝は、やはりききょうに起こされた。
 ききょうは僕に相手にして欲しかったのだ。
 顔を洗おうとして、少し目を離した時に、ききょうは縁側に出て来て、落ちてしまった。
 手拭いで顔を拭いている時に、ききょうの泣き声が聞こえてきた。
 縁側の下に、横になって泣いていた。
 躰を調べた。手足は骨折している様子はなかった。頭はよく見た。頭は大丈夫のようだった。きくも縁側にやってきた。
「ここから落ちたんだ」と言うと、ききょうを抱き取り、躰を調べた。
「良かった」と言うと、僕の方を向いて、「注意してくださいね」と言った。母親の顔だった。
 僕は頷いた。僕自身ひやりとしていたのだ。
 庭石に頭を打ち付けなくて、良かったと思った。
 タイムパラドックスのことが頭を過った。そんなことで、ききょうは絶対に失わないと思った。タイムパラドックスなんて、もうどうでも良かった。
 ききょうを失ったら、僕はどうにかなってしまう。そう思った。

 風車のいない朝餉が始まった。ききょうは、きくの膝元にいた。
 会話がなかった。
 今日、風車は帰ってくるのだろうか。五両で一日過ごせるのなら、もう一日泊まってくるかも知れなかった。