小説「僕が、剣道ですか? 5」

三十一
 夕餉が終わると、風車はまた碁を打つ真似をした。
 僕は部屋の隅の碁盤の前に行くと、座った。
 風車が早速、三子置いた。そして、自分の第一子を打った。
 僕はその石にかかるように石を打った。風車に自由に石を囲ませては、勝てないと思ったからだった。
 風車は僕の打った石を無視して、右上の星の位置に付けるように白石を打ってきた。僕はその白石の下に打った。僕の黒石に断点ができた。その部分に風車は打ってきた。僕の石は風車によって切られたのだ。僕は一方を伸びた。その判断は正しかったが、その先が難しくなった。碁が難しくなると、風車の力が冴えてくる。風車が切った僕の石は取られてしまった。そこで僕は投了した。
「やはり、三子ではまだ風車殿には勝てません」と言った。
「そんなことはありません」と風車が言ったが、「では四子に戻しますか」と言ってきた。もう一局しようと言うのだ。だが、僕は「今日はこの辺で」と断った。
「残念ですな」と言って、風車は隣の部屋に引き上げていった。

 僕が布団に入ると、きくがききょうを抱いて隣に入ってきた。
「疲れは取れましたか」
「ああ、大体は」と言った。
「それは、ようございました」
「心配をかけたね」
「それはいつものことでしょう」ときくは言った。
「それもそうだ」と僕は言った。
「休みましょうね」
「ああ」
 僕は目を閉じた。すぐに眠りはやってきた。

 次の日は晴れていた。
「朝餉を食べたら、出立だな」ときくに言ったら、「はい」と応えた。
 風車が顔を出し、揃って朝餉を食べた。
 ききょうは味噌汁を掛けたご飯を食べていた。
 きくが盛った少なめの茶碗一杯分をききょうは食べた。
「ずいぶんと食べるようになったな」と言うと、「そうなんです」ときくも言った。
「ミルクの代わりに白湯にしたら、食事の時に食べるようになりました」と言った。
 それを聞いていた風車が「ミルクとは何ですか」と訊いてきた。僕は困って、「乳のことです」と答えた。
「そうですか」と言ったきり、風車は黙った。僕はホッとした。

 朝餉を食べ終わると、宿賃を精算して宿をたった。
「ぬかるみに注意してくださいね」と風車が言った。昨日の雨のせいで道はぬかるんでいた。台車はなるべくぬかるみでないところを押して歩いた。
 周りを見回したが、不審な者がいる気配はなかった。定国も唸らなかった。

 少し、歩いて行くと易者がいた。定国が唸った。隠密なのだろう。しかし、易者に扮しているとはどういうことなのだろう。あれでは、僕らを付けてくることはできないだろうに。
 風車が興味を示して、易者の元に走って行った。
「気をつけなさい」と言おうとしたが、間に合わなかった。
 風車はすぐに帰ってきた。
「お代は一両と言うものだから、高過ぎると言って観てもらわなかったのです」と言った。
「一両はないですよね」と僕も言った。
 易者の前を通り過ぎようとすると、「おぬし」と呼び止められた。
「何ですか」と僕が言うと、「観て進ぜよう」と言った。
「一両でしょう。そんなお金は払えませんよ」と僕は言った。
 易者は「ただで観て進ぜよう」と言った。
 易者は僕に何か話したいようだった。
「だったら観てもらいましょう」と僕は言った。
 易者の前に座ると、きくと風車が横に来た。
「気が散るので、他の者は少し離れていてもらえませんか」と易者は言った。
 僕はきくと風車の方を向いて、「済まないが、この易者の言うとおりにして欲しい」と言った。
 風車は「大丈夫ですか」と訊くので「大丈夫です」と答えた。きくも同じことを訊きたかったのだろう。僕の答えに頷いていた。
 風車はなおも「ただで観ると言ったのですから、一両を渡しては駄目ですよ」と言った。
「分かっています」と僕は少し笑いたくなった。
 きくと風車が離れていくと、「右手を出してください」と言った。
「手相を観ているように見えるように」と続けた。
「彼らは離れた。何か言いたいことがあるんだろう」
「ええ」
「公儀隠密だな」
「そうです」
「それがどうして私に話を」
「公儀隠密と言っても一枚岩ではないのです。わたしは最初から鏡殿の成敗には反対でした」
「それは何故」
大義名分がありません」
「そうだな。私は一方的に攻められている。これには怒りも感じている」
「そうでしょうな」
「で、話とは何だ」
「根来兄弟のことです」
「根来兄弟?」
「ええ、一昨日、鏡殿が倒したのは、根来兄弟の長兄の根来信一郎でした」と言った。
「そうなのか」
「はい。彼らは三兄弟で、その下に信二郎と信三郎がいます」
「ほう。あと二人か」
「そうです。しかし、侮れません」
「分かっている」
「彼らは不思議な力を持っています。それはおそらく鏡殿もそうでしょう。でなければ、根来信一郎を倒すことなど出来はしません」と易者は言った。
「私の力が分かっていると言うのか」
「いいえ、はっきりとは。しかし、根来三兄弟の力は知っています。公儀隠密の中でも別格なのです。はっきり言って、公儀隠密の中に彼らに勝てる者はいません。あの柳生一族ですら恐れているのですから」と易者は言った。
「はっきりと言うな。それでは、公儀隠密は私を倒すことができないと言っているのと一緒ではないか」と言った。
「そうです。だから、わたしは鏡殿に手出しをすることは止めた方が良いと言ったのです。しかし、わたしの意見は取り上げられませんでした」
「私の討伐を公儀隠密に命じたのは、幕閣にいるな」
「はい」
「誰だ」
「わたしの口からは」
「ここまで言ったのだ。同じことだ。おぬしが言わなければ、江戸城に乗り込んで、片っ端から斬っていくことになるぞ」と言った。
大目付の二宮権左衛門でござる」
「そうか。手間が省けた」
「でも、あなたは江戸には足を踏み込めませんよ。公儀隠密が阻止するでしょう」
「しかし、おぬしは公儀隠密では私を倒せぬと言ったではないか」
「根来兄弟がいます」
「彼らも兄の元に送ってやるだけだ」
「関所がありますよ」
「関所など、何のことはない」と僕は言った。
「やはり、時を止められるのですね」と易者は言った。
 僕は「どうしてそれを」と言いそうになったが、ぐっと口を閉じた。
「やはりそうなんですね」と易者は言った。そして、「目は物事をよく伝えると言いますよ」と続けた。
「これで易は終わりです」
 僕は立ち上がった。
 そして、きくと風車のいるところに向かった。